第8話 四月二十一日の業務 その一 《京都行き編》

 四月二十一日。


 今頃大手町では、五月五日の満月の夜に向けた、異世界渡航希望者向けのセミナーの準備がなされていることだろう。


 一方、稔は現在、京都行きの新幹線のぞみに乗っていた。通路側には稔が、窓側の隣には服部がノンアルコールビールを飲んでぐだっている。いつもの長い包みは座席の下だ。


 なぜこんなことになったのか。


 発端は昨日、ニニから指令が下ったことにあった。


 稔と服部は局長室に呼ばれ、珍しく局長机に座ったニニから真面目な顔をしてこう告げられた。


「京都駅で坂東ばんどうの様子を見てきなさい。連絡が取れなくなっている」


 服部は何となく嫌そうな顔をしていた。


「マジかよ……俺も顔が一致しないんだけどなぁ」

「蔵野と倉橋は明日のセミナーの準備で多忙を極めている。そこで、暇な服部と新人の上田君の二人がかりなら、あの坂東も引きずって連れて帰ってこられると私は信じている。多分」

「今、多分って言いませんでした?」

「気のせいだ」

「あと何で上田だけ君づけ?」

「何となくだ! お土産は抹茶味の生八ツ橋がいいと倉橋が」

「倉橋ちゃんはそんなこと言いません。ニニ局長が食べたいだけでしょ」


 服部は正面からぐっさり切り込む。ニニは図星だったらしく、くるりと椅子を回して言い訳をしはじめた。


「だってー、ネットで見たしー、私も画像撮ってアップしたいしー」

「職権乱用っつぅんでしょ、それ。間に合ったら買うんで」

「よろしく! 出張計画書等は倉橋がもう作っている。話を聞いておくように」


 何だか、漫才のように勝手に話が進んでいると思った稔は、そっと手を挙げた。


 ニニと服部は稔を見る。


「上田君、何だ? 質問か?」

「はい、あの、坂東さんって誰ですか」


 そもそもの疑問だった。坂東とは何者なのか。ニニが連れ帰ってこいというのだから、局員であることは間違いなさそうだが、服部もいまいち顔を知らない相手を探せというのは酷ではないだろうか。


「前に言っただろう、毎日京都駅のホームで魔法陣の痕跡を探しているという部下の話を」

「ああ、そういえば伺っていました」


 先日、四月六日の夜に課室で稔はその情報に接していた。ただ、名前までは聞いていなかった。


 服部が頭をぽりぽりと掻きながら、まだ抵抗する。


「そいつが坂東さんだってのは俺も分かってますよ。ただ、一度会ったっきりで、向こうだって覚えてるかどうか」

「間違いなく、服部のことは一度会えば忘れないから大丈夫だ」


 稔は思わず吹き出した。白髪、背の高さ、顔の傷、長い包みと似合わないスーツ姿の三十路男性といえば、間違いなく服部しかいない。一度見ればよほどのことがないかぎり忘れない。


 稔は服部に睨まれ、そっと目を逸らした。


「よし、話は以上だ。倉橋の機嫌を取るためにも、お土産を忘れるな!」


 以上である。


 稔は新幹線の中で、昨日の出来事を走馬灯のように思い出す。


 朝一の新幹線で一路京都へ。どことなく不機嫌な服部を連れて、稔は缶コーヒーで眠気を覚ましていた。


 服部が不機嫌な理由は大体分かっている。自身が強制的に異世界に行く羽目になった事件のことを思い出すからだろう。ちょうど、その現場に行く必要がある、と言われて納得するような素直な性格ではない。稔は服部とはここ三週間程度の付き合いだが、そのくらいは把握していた。


 だから、稔はそっとコンビニで買っていた柿ピーを服部の前に差し出す。


 服部は無言で受け取り、袋を破って食べはじめた。まるで餌付けのようだが、黙っておく。


 それからしばらくして、静岡に入ったあたりで服部が稔に話しかけてきた。


「そういや、倉橋ちゃんが坂東さんの画像お前のタブレットに入れとくって言ってたな」

「ああ、えーと……はい」

「何かあったんだな」

「証明写真って、映りが悪い人いますよね」

「分かった、それ以上言わなくていい」

「心霊写真だったんですけど」

「言わなくていい!」


 稔はせっかくなので、タブレットに坂東と思しき人物の画像を表示させた。服部も何だかんだ言って、怖いもの見たさに画面を覗きこむ。


 坂東一重ばんどうかずしげは、見た目は普通のサラリーマンだった。蔵野より若干若いくらいで、四十は越えている。本当にどこにでもいそうな清潔なスーツ姿のサラリーマンだ。見た目は。


 問題は、その両肩と頭の上にピースサインをして映りこんでいる紫色の靄の集団だった。おそらく、坂東本人も気づいていていないように振舞っているだけと思われる。通りすがりの女性が、稔の持っていたタブレットのその画像をちらりと見た瞬間、「ひっ」と言ってそそくさと逃げていったことが稔は忘れられない。


「その坂東さんですが、倉橋さんからは勘が鋭い、としか教わっていないんですが」

「大体その認識で合ってるよ。霊感もあるし、知らないはずのことを何でか知ってるタイプだ。ただどうして知ってるかの理屈を説明できねぇだけだ」

「怖くないですか」

「……霊魂に聞いたとか答えそうだな」


 稔は服部の神妙な面持ちに、「やだなー、そんなことあるわけないじゃないですか」と答えようかどうしようか迷っていた。あの証明写真を見た後では、あながち、否定しきれないからだ。


 しかし、そんな人が毎日通う京都駅ホームは、心霊スポットになりはしていないだろうか。


 稔は服部にそれを伝えると、服部は露骨に嫌そうな顔をした。


「お前なー、そういうこと言うか普通。ただでさえ行きたくねぇってのに」

「すみません。でも服部さん、意外と幽霊苦手なんですね」

「そりゃそうだ、殴っても切っても効かない相手はどうしようもねぇだろ」

「じゃあ、普段は皆さんどうしているんですか? こないだの霊魂の大群がもし暴動でも起こしたら、大事だと思うんですが」

「その対処はニニ局長がやる。まあ、今まで起きたことがないけどな」

「坂東さん、ひょっとして本当は事務要員ですか」

「そのはず……なんだがなぁ」


 服部も自信なさげだ。坂東さん、何をやらかした人なのだろうか。


「まず、うちには管理一課と管理二課があって、事務は一課、それ以外は二課所属なんだよ。だから俺は二課、坂東さんは一課の所属な。まあ、何かと出張が多いから机の上は何にもないが」


 それは稔も倉橋から聞いて知っていた。ただし——。


「倉橋ちゃんが一課にいるみたいに、ちょっと二課のほうに足突っ込んでる人が……並べたくないが倉橋ちゃんと坂東さんなんだよ。完全に事務要員なのはお前と蔵野課長ぐらいだぞ」

「二課に配分が偏りすぎていませんか」

「一課に誰も居着かないからそうなった、って蔵野課長がぼやいてた」


 服部はノンアルコールビールを飲み干す。ついでに残っていた柿ピーもざらざらと口の中に放り込んだ。


 稔は思った。多分、一課に人が居着かないのは、仕事の精神的過酷さだけでなく、霊魂の存在を認めたくない人が多いからではないだろうか、と。実際にお札の力を借りて霊魂を日常的に見ている稔も、目が合うと時々後ろをくっついてくる霊魂がいて、倉橋に相談することしばしばである。その倉橋が霊魂を睨むと、そそくさと霊魂はどこかに行ってしまうので、度々世話になっている。「もー、しっかりしてくださいよ」と倉橋に叱られることも慣れてきた。だが、稔が霊魂を睨んでも、睨み返されるだけなので、何の効果もない。


 新幹線のぞみはまもなく名古屋に到着しようとしていた。

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