第5話 上田稔、三年目の春 その五

 異世界との行き来がある程度制限されているとはいえ、禁止されていないのは、ひとえに需要があるからだ。


 世界中から集まる異世界を研究対象とする研究者や、冒険家のようなものが大半だが、中には一般人で興味本位から異世界に渡ろうとする人間もいる。


 そのため、内閣府異世界通行管理局では異世界セミナーを開いて、異世界への失踪者の中には帰還者がいないこと、ドラゴンや鬼といったモンスターと遭遇する可能性が高いこと、渡航後の責任は政府は一切持たないことを説明する。


 中には、こちらに来た異世界人と仲良くなって、異世界へ移住するといったケースもある。


 他にもまだまだ決まりごとはあるのだが、これらはすべて、課室で稔がメモ帳片手に非常勤職員の倉橋くらはし——くるりとしたショートボブに、小動物系の小顔が印象的な稔より年下の女性——から聞いた規則というか、業務の初歩だ。ちなみに、勝手に魔法陣へ飛び込んで異世界へ行こうとする輩もいるのではないか、と尋ねたところ、「はい、いますね」という返答があった。いるのか、そんな輩。


「異世界への渡航が制限されるのは、宗教関係者、犯罪歴のある人物、過去の失踪者の三親等内の親族、それと事前に病院でメディカルチェックを受けて通らなかった人ですね。最後は異世界で無自覚にバイオテロを起こさないためでもあり、異世界に迷惑をかけないための措置です。ちなみにこの規則ができたのはちょうど一年半前で、完全に異世界への渡航を禁止すべきという意見もあったそうなんですが、異世界人が来て世間への露出が増えてくると、どうしても解禁論のほうが勝っちゃった、というニニ局長が呆れるような事態があったんですよ」


 ——ああ、それは前にいた課でテレビを見ていたから分かる。


 異世界人は総じて、顔がいいのだ。おまけにこちらの世界の文化にもすぐに順応して、魔法の使い方をネットで公開して大騒ぎになったこともある。幸い、こちらの世界の人間はごく一部を除いてその魔法を使えなかったからいいものの、とにかくネット受けがよかった。二〇二〇年の東京オリンピック前からただでさえ多かった外国人観光客が、倍以上世界中から渋谷に押し寄せてくるくらいに。


「最初は通管業務も霊魂相手だけだったそうなんですけどね。ほら、渋谷って元々地形的に溜まりやすいところなんですよ」

「溜まる? 何が?」

「いわゆる幽霊が、ですね。都市伝説知りません? 渋谷七人ミサキとか」


 また怖い話だ。稔は反射的に心を閉ざした。


「その話は追々と……それより、勝手に魔法陣へ飛び込む人対策ってあるんですか?」

「魔法陣はニニ局長の通行証を持たないと、通れない仕組みになってるんですよ。私たちの業務は、通行者がその場で手渡される通行証とパスポートや免許証などでの本人確認、事前登録の名簿との一致を確認して、さらに通行許可の判子を押すことです。それが揃って初めて、魔法陣を通行できるんですよ」


 倉橋は自慢げに自身の持つタブレットを掲げる。どうやら、名簿はすべてそのタブレットの中に入っているらしい。通行証はともかく、ペーパーレス化の時代だな、と稔は思った。


「次の満月は六日です。なので、まずは数の少ない、異世界に渡航する人の分の業務を担当してもらえればと思います」

「いきなりですか」

「大丈夫ですよ。今回は数が少ないですし、本人確認さえできればいいんです。何かあれば、私かニニ局長に聞いてください」


 そして、倉橋はごそごそと自分の机の中を漁り、新品のタブレットを一つ、稔に寄越した。


「今回の分のデータは入れてあります。それと規則集も中にありますので、一度目を通しておいてくださいね」

「分かりました」

「私からは以上です。何かご質問はありますか?」


 そう言われれば、と稔は思いついた質問を並べてみる。


「もし非常事態が発生したときは、どうします?」

「そのときはニニ局長と服部さんが対処します。私たちは渋谷駅構内に逃げ込む算段です」

「あの、周囲にいる人たちの避難誘導とかは」

「それは警察のお仕事です」

「よかったというか、それでいいのかというか」

「仕方ありませんよ。私、陰陽師ですけど、化け物退治はお仕事じゃないですし」


 ——陰陽師?


 稔は首を傾げた。あれか、ゲームや漫画に出てくる式神を使ったり何やら呪文を唱えたりする職業のことか。


「多分、上田さんの想像よりも大分地味なお仕事ですよ、陰陽師」


 ——ばれた!?


「上田さんってば、顔に出るから分かりやすいんですよ。もー、ちゃんと勉強してきてくださいね。これから先、上田さんは宗教関係の人と折衝とかあると思いますので」

「は、はあ……すみません、不勉強で」

「ちょっと踏んじゃいけないタブーとかあるので、本当に、勉強してくださいね」


 倉橋の気迫に、稔は頭を下げどおしだった。


 倉橋はそれで納得したのか、態度をころっと変えて、話題も変える。


「そういえば、セミナーは大体満月の夜の二週間前に行うので、次回は上田さんも参加してくださいね。私が言わなくても、ニニ局長が指示してくれると思いますけども」

「普段はどこでやるんですか?」

「大手町の貸し会議室を借りて行います。そのへんの手配は私がしますので、大丈夫ですよ」

「助かります。ここの事務って倉橋さんがいないと成り立たないんじゃないですか?」

「そうなんですよ。私、ここに来てから一度も有給使ったことないんです」

「……ワークライフバランスって推進してませんでしたっけ、内閣府」

「してたと思いますよ。でも、ここに入ってくる人ってすぐに辞めちゃう人が多いですから、困ってたんです」


 倉橋はちょっと大げさに嘆いてみせた。嘆くのも無理はない、課の特殊性を鑑みても、それだけ逼迫した事態に陥っているのが内閣府異世界通行管理局の実情だからだ。他の課室も人手が足りない足りないというだろうが、ここはそれらよりもはるかに精神的にハードワークで、給料も普通の常勤、非常勤公務員と変わらないだろう。


 そう考えると、稔も今後どんな事態が待ち受けているのか、覚悟を決めておかなければならない。幽霊ぐらいで怯んでいては、倉橋に笑われる。


 とは意気込んだものの、三日後、稔は見事にカルチャーショックを受ける羽目になる。

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