第一部 第一章 上田稔、三年目の春

第1話 上田稔、三年目の春 その一

 二〇二三年四月一日。天気はうららかとは言い難く、夏日をとうに超えた暑さで、日本全国を夏ムード一色にしていた。


 上田稔うえだみのる二十四歳独身、最初の異動先は、とんでもないところだった。


 その名も、内閣府異世界通行管理局、通称通管局と呼ばれる、異世界と冥界と現世を繋ぐ渋谷のスクランブル交差点の巨大魔法陣を管理する部署だ。その通管局管理一課が正確な稔の所属となる。


 何でも、局長は人間ではないだとか、課の人間もどことなく異彩を放っているだとか、異世界人や幽霊も混じっているだとか、オカルトじみた噂が絶えない。だが、稔には、課に配属された新年度初日に何となく噂の出所が分かった気がした。


 何かもう、挨拶に来た局長室の扉からして、冷気が漂っている。霊気? どっちでもいいが、目には見えない。


 稔は局長室の扉を三回ノックする。


「どうぞ、上田稔君」


 ——え?


 名乗ってもいないのに、ノックしただけなのに、中から稔の名前を呼ばれた。それも、女性の張りのある声でだ。


 稔は薄気味悪さを感じながらも、「失礼します」と言って局長室の中に入る。


 広いスペースに革張りの応接セット、局長と書かれた三角の木の置物が置かれている木製机とヘッドレスト付きの椅子。両の壁にはずらりと並んだ書類のファイル。ああ、いかにもな局長室だ。異常に冷房が効いているのも、それらしい。


 などと稔が思っていた矢先、ヒュン、と音がした。


 気のせいだろうか。目の前に、日本刀を持った白髪の少壮の男性がいる。黒のスーツ姿と反比例するかのような何やらボサボサの長髪で、右目周辺に熊にでも引っ掻かれたかのような痛々しい爪痕がある。


 その白髪の男性と相対しているのは、金髪碧眼の美女だ。灰色のスーツに身を包み、なぜか巻き毛の長髪に花弁と蔦が巻きついている。


「ようこそ、内閣府異世界通行管理局へ。私が局長のニニブルカだ。ニニ局長と呼びなさい」


 局長室の扉の向こうからかけられた声と同じ、張りのある声でニニは稔を圧倒する。


「えっ、あっ、はい! ……あの」

「まあ質問は待ちなさい」


 余裕綽々のニニへ向けて、白髪の男性の剣撃が繰り出される。もはや稔の目には追えない速度で、何度も風を切る音が聞こえる。だが、ニニは避けずに右手の指二本ですべて軽々と、まるで魔法でも使っているかのようにぴたりと止める。一撃たりともニニの指以外に触れることなく、下段から逆筋の袈裟斬りが振られたときも、ニニはにっこり笑って親指と人差し指で弾いた。


 たったそれだけで、日本刀は白髪の男性の手から跳ね、くるくると弧を描いて稔の数歩手前の床に刺さった。


「ひえ!?」


 稔は後ずさる。「あー、くそ」と呟きながら、白髪の男性は日本刀を取りに来た。


「服部、自己紹介をしなさい」


 ニニがそう言うと、床から日本刀を引き抜き、左手に持っていた鞘に戻した白髪の男性は、稔に向けて挨拶をする。


服部拳次はっとりけんじだ。あんたより一ヶ月早くここに来た。まあよろしく」


 一ヶ月前、というと三月、それはまた中途半端な時期の採用だ。とはいえ、稔はそれ以上追及しなかった。何か特殊な事情がありそうだし、単純に稔は目の前の日本刀が怖かった。


「よろしい。さて、上田君、何か質問は?」


 稔は二人を見て、まず穏当そうなニニ局長という謎の人物に迫ることにした。


「あの……ニニ局長は、もしかして、異世界人ですか?」


 異世界人。噂では、約三年前の神隠し事件時に人が消えたと同時に現れた、『異なる世界から来たと主張する人々』のことだ。事実、その人々は不可思議な力を使い、政府の保護という名の管理下に置かれている、と稔は聞いている。


 今さっきの服部とニニのやり取りの、たった指二本で俊速の日本刀と渡り合う力は、まさしくその『不可思議な力』ではないだろうか。


 そんな稔の思いを知ってか知らずか、ニニは胸を張って答える。


「私は異世界人というより、精霊だ!」


 稔は凍りついた。ただでさえ冷たくなっている局長室の冷房がぶっ壊れたのではないだろうか、と思えるくらい、冷え込んだ。


「精霊とは何かを語ると長くなるから省略するとして、人間とは違う生き物だということだけを頭に叩き込んでいればいい。まあ、これから相手をする人間や霊魂たちも、普通の人間の感性からすればぶっ飛んだ」

「ニニ局長、話が長くなるんで、手短に」


 服部に促されて、ニニはぷくっと頬を膨らませた。


「業務について詳細はまず服部に聞くこと。そして次の満月に備えて事務業務のサポートをすること。まず君のすべきことはこの二つだ! はいはい、休憩終わり! 服部、新人指導がてら話をしてやれ」


 ——今のは休憩ではなく、試合だったのではないだろうか。


 服部は床に置いていた長い包みを持って、日本刀を収納する。そしてまだ凍りついたままの稔の背を叩き、「行くぞ」とだけ言った。


 我に返った稔は、部屋を出ていこうとする服部を追いかけつつ、ニニへ一礼をして、局長室を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます