第8話 何でもない日でした。(その4)

 その日のきわめつけは、グィネヴィアの襲来だった。

 

 すっかり泣き疲れた私は、自室のベッドで服のままごろりと寝転んでいた。外には月が昇り、館は静まり返っている。甲高いノックの音が部屋に響き、私はノロノロ起き上がり、ドアの前まで行って立ち止まった。こんな夜更けに部屋を訪ねてくるのは誰だろうか?


「誰?」


「俺。」


 俺、って誰?と思ったが、そんな風に喋るのは、私が知る限りベドビアしかいない。私は、あわててベッドの脇に放り出していたベールを頭から被り、ガウンをひっかけてドアを開けた。

 そこには、誰もいなかった。


「ここよ、お姉様。」


 下から声が聞こえて、見下ろした先に、美しい少女が立っていた。黄金色の髪を緩く三つ編みにして、藤色のネグリジェに身を包んだグィネヴィアは、薄暗がりの中でもうっすら光を放っているように見える。


「グィネヴィア……、今、ここにベドビアがいなかった?」


 私はあたりを見回す。グィネヴィアが心なしか機嫌が悪そうに「フン」と鼻息を吐く。まさか、妹がベドビアの声色を真似たのだろうか? そんなわけはない、今のは男の人の声だった。きっと空耳だろう。


「私以外誰もいないわ。それよりお姉様、こんな夜遅くに、ベドビアが訪ねてくることなんてあるの?」


「ない、と思うけど……。」


「本当? ベドビアを庇ってるんじゃないの? お姉様は優しいから。」


「いえ、そんなことは決して。はい。ありませんです。」


 なんとなくグィネヴィアに威圧され、私は直立不動で答える。


「あのー、それで、何の用?」


 おずおずと尋ねると、グィネヴィアはころっと態度を変えて、寂しがる子猫のような目になった。


「怖い夢を見て眠れないの……、お姉様、一緒に寝てもいーい?」


 枕を両手で抱きしめて、ウルウルとこちらを見上げる。別の意味で私はウッとたじろぐ。私は、妹のお願い攻撃に弱いのだ。というか、こんなに可愛い生き物のお願いをはねつけることのできる人間などいるだろうか? 否、いない!

 私は両手を広げてグィネヴィアを抱きしめようとして、はたと思い留まった。ちっと舌打ちのような音がしたが、妹は先ほどと同じに瞳と体をフルフルさせてそこに立っている。今日はいやに空耳が多い。気にしないことにして、私は思考に戻る。


 そうなのだ。妹をベッドに迎え入れるには、一つ、いやいくつか問題がある。まず、さすがの私も、寝るときはベールを外している。っていうか、ベールを被ったまま寝るのは、鬱陶しくて寝にくいし、ビジュアル的に怖い。次に、妹を妬む悪役令嬢の姉は、果たして怖がる妹を慰めるために一緒に眠ったりするものなんだろうか……、ない、ないなぁー。悪役令嬢の威厳(?)が台無しだろう。


(どうしよう……。)


 私は困ってちらりと妹の方を見る。


「お姉様、私……、寒い。お部屋に入ってもいい?」


「!」


 自らの失態に気づき、私は内心で仰け反る。しまった、考えにふけるあまり、大事な妹を寒い廊下に立たせっぱなしにしてしまった!こんなに細くてか弱い女の子を。見れば、グィネヴィアのネグリジェは提灯袖で、白くて細い腕がむき出しになっている。


「ちょっと、なんて恰好してるのよ。早くこれ羽織って、部屋に入りなさいっ。」


 夏の終わりとはいえ、夜は寒い。その中をこんな薄着でふらふらと部屋を出てくるとは、よほど怖い夢を見たのだろう。それなのに、私ときたら……。先ほどまで下らない理由で躊躇していたことをひどく後悔する。私は急いで、自分が着ていたガウンをグィネヴィアにかぶせ、抱えるようにして部屋に招き入れた。


「体が冷たくなっちゃってる。」


 私は、グイネヴィアの小さな手を握り、口元に持っていく。まずは冷えた体を温めなければ、と思い部屋を見回すが、暖炉に火は入れていないし、温かいお湯もない。


「ベディを呼んで、暖炉に火を……。」


 呼び鈴につながる紐に手をやろうとしたところを、グィネヴィアに止められる。


「私は大丈夫。お姉様が一緒に寝てくれたら、すぐにあったかくなるから。」


「そうだね。わかった。じゃあ、すぐに寝巻に着替えるから。」


 私は、チェストから寝巻を取り出し、着ていた服を脱ぎ捨てる。


「な、なに?」


 下着一枚になった私を、ベッドに腰かけた妹が凝視している。なんだか、猛烈に恥ずかしくなって、私はそろそろと寝巻を取って、手早くかぶった。


「なんでもない。お姉様、いいなって思っただけ。スタイル良くて。」


「なに言ってるの? グィンだって、すぐにこういう体つきになるわよ。ううん、グィンだったら、もっとスタイル良くなると思う。お姉様よりずっと。」


 小さなグィネヴィアもそんなことを言うようになったのか。他愛ない羨望に、私は思わず微笑む。グィネヴィアの横に腰かけると、彼女は思いつめたように下を向いてしまう。


「どうしたの?」


「ううん。久しぶりにグィンって呼んでくれたから。嬉しくて。」


「グィン……。」


 胸を突かれたように、言葉が出ない。私は戸惑う。何のために、彼女を傷つけてきたのか。何のために、彼女を傷つけなければならないのか。こんなに……


愛しているのに。


「お姉様、三つ編み直して。」


 しばらく放心していたらしい。グィネヴィアがこちらに背中を向けている。すっかり緩んでしまった三つ編みに手を伸ばし、私は息を吸い込んだ。久しぶりに触る妹の髪は、絹のように柔らかい。心なしか、指が震えている。


「ちゃんと編まないと、あなたの髪はすぐに絡まるんだから。」


「うん、だから、いつもみたいにお姉様がやって? 私はうまくできないの。」


 私の妹はなんでもできるのに、なぜ自分の髪をうまく編むことができないんだろう。でも構わない。そのおかげで、彼女に触れる口実ができる。私は、心を込めて、彼女の美しい髪を編み上げる。


「はい、できた。さ、寝なさい。」


 グィネヴィアを寝かせてシーツをかけてやる。「お姉様も」と、妹が控えめにとなりと指さす。私はうなづくと、ベッドに上がり、彼女の横にもぐりこんだ。ベールを付けたままで横になるなんて、かなり奇妙だが、もう気にしないことにした。


「怖い夢って、どんな夢みたの?」


 傍らに片肘をついて、シーツから顔の半分を出している妹を覗き込む。


「うーん、忘れちゃった。お姉様といると……安心して……。」


 グィネヴィアは小さく欠伸をすると、琥珀色の瞳を瞬かせる。とろりと、瞼が下がっていく。私は、彼女の胸をとんとんと叩くと、早く安らかな眠りが訪れるように促した。

 幾夜もこんなやりとりを交わしたことが、懐かしく思い出された。もう、触れることはできないと思っていたのに。つんと、鼻の奥が痛む。泣くな。泣いたら、すべてが崩れてしまう。まだ、役割は終えていない。私は、妹を幸せにしなければならない。


 すうすうと穏やかな寝息をたてる少女に身を寄せると、私は小さくおやすみを言い、自分も枕に頭を落とした。慌ただしかった一日が、大きな疲れとなって私の体を包み込み、眠りの淵に引きずり込む。

 明日は早く起きよう。早く起きて、このたるんだ気持ちを奮い立たせなければ、グィネヴィアのためにも。今夜はただの小休止。誰も彼も、私自身も、少し調子を崩しているだけ。明日にはすべて、元通りに……。


 ―――― こんな夢を見た。


 眠りの中で、誰かが、私のベールをそっとたくし上げる。ぐっと、息をのむ音がする。それは、悲痛な、今にも泣き出しそうな気配で、私は心配になる。見ないでほしい、この醜い傷を。憐れまないでほしい、この誇らしい傷を。そう思うけれど、体が重くて、声が出ない。


「あのね、ビビが大けがをする夢を見たんだ。俺を庇って、あなたが片目を失ってしまう夢。」


 その指が、私の、今はない右目に触れる。ほら、やっぱりまだ冷たい。


「ビビは、俺が命を狙われたのに巻き込まれたんだって、今日父上に聞いた。俺、子供で、呑気で、ビビに頼ってばかりで、本当にごめん。どんなことをしても、償うことはできないけど、でも……。」


 グィン、それは違うわ。本当は、もっと早く、あなたを突き放さなければならなかった。あなたを幸せにするためには、私が不幸にならなければならなかった。それなのに、あなたと過ごす喜びに、私は、自分の幸せを優先させてしまったの。

 この右目は、しびれを切らせたこの世界の理が、私に怪我を負わせただけ。役割どおり、私が、黒いベールを被らざるを得なくなるように。だから、あなたは一つも悪くない。私に負い目を感じることなんてない。だから、あなたには見せたくなかった。あなたにだけは、見られたくなかったの。


「俺は、強くなるよ。強くなってビビを守れるようになる。それまで、しばらくお別れだね。」


優しく私の前髪を弄びながら、夢の中のグィンは、悩ましいため息をつく。


「ビビのいない生活なんて、キツすぎる。邪険にされても、嫌われてもいいから、そばにいたかった。だけど、我慢する。だから、俺の願いを一つ叶えて。」


 唇に柔らかいものが触れる。頬にも、額にも、瞼にも、順番にキスが落とされる。それは、私の体に約束を刻むように、厳かに行われる。


「次に会う時は、もっとちゃんとしたキスをしよう。そして、俺は、あなたを娶る。いいね、愛しいお姉様?」


 夢だからこんなにちぐはぐなのね。あなたは、王子様に娶られる方よ。あなたを見初めるのは、アッシュグレイの髪に、湖のような深い青の瞳をしたパーシヴァル王子。私が認めたひとだもの、きっとあなたを幸せにしてくれる。いいわよね、愛しい妹君?


 私は、夢の中で頷く。これで、いいのだ。


 その夜を最後に、グィネヴィアはベドビアを連れて、ペンドラゴンの館から姿を消した。

 







 

 




 

 

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