第6話 何でもない日でした。(その2)

「なんだ、今日はお菓子はないのか。」


 湖のほとりでぼーっと座っていると、後ろから声をかけられた。


「うん。今日は妹が用事だから。今まで言わなかったかもしれないけど、あの美味しいお菓子を作ったのは、私じゃなくて、妹なの。」


 私は湖の水面を見たまま答える。パーシーが私に好意を持ってくれている理由の一つは(もしかしたら全部かもしれないけど)、私がいつも美味しいお菓子を持参しているからだ。パーシーは、私がお菓子屋の娘で、私自身もあの美味しいお菓子を作れると思っているかもしれない。もしそう思っているなら、今日は、その誤解を解いておきたいとなんとなく思った。


「なぜ、今、そんなことを言うんだ?」


 パーシーの声がやや冷たくなる。やっぱり、私が作ったものではなかったと知って失望しただろうか。今日は、隣にも座ってこない。


「だって、私のことを勘違いしたままでいてほしくないから。私は本当は、不器用で、何の取り柄もない人間なの。」


 私は立ち上がって、持ってきた包み紙を後ろにそっと隠した。やっぱり見せられない。あれは、こんな完璧な人にあげられるようなものじゃない。


「今隠したものを見せてくれないか?」


 私はギクリとする。


「こ、れは、大したことないもので、お菓子でもないし……。」


「いいから見せろ、ビビ。」


 命令し慣れた口調。その威厳に圧せられて、私はおずおずと手を前に出す。

 パーシーは包み紙をゆっくり私の手からもぎ取ると、じっとそれを見つめた。

 一生懸命きれいに包んだつもりだったけれど、リボンは歪み、包み紙の模様もセンスがイマイチだ。パーシーの手の中にあると、そのお粗末さが際立つ。私は恥ずかしくて真っ赤になった。


「開けても?」


 断っても彼は開けるだろう。私は無言で頷く。パーシーがリボンをほどき、包み紙を開く。中から刺繍を施したハンカチを出してぱらりと広げた。


「これは……。」


「あなたの誕生日だって聞いたから。緑色の芋虫に見えるけど、機関車なの。正確にはタンク機関車だけど。私が小さい頃によく見た、じゃなかった、よく聞いた子供番組っていうか童話で…、パーシーって名前なの。ただ名前を入れるだけじゃ芸がないから、同じ名前のキャラクターを刺繍しようと思って。でも全然うまくできな……。」


 不意に抱きしめられ、息が止まる。


「教えてくれないか。そのパーシーはどんな奴なんだろう。」


「い、いい奴よ。頑張り屋だけど、少しおっちょこちょいで、皆んなの人気者。主人公のトーマスの一番の友達。」


「ありがとう、ビビ。」


 ふっと笑った気配が耳元して、彼は「でも、私はそんないい奴じゃない」とつぶやく。私は小さく身震いした。


「君に出会ったとき、私は弟を殺したばかりだったんだ。その後始末でこの村に来て、偶然にここを通りかかったとき、君が湖のほとりでお菓子をむさぼり食っていた。あんまり旨そうに食べているんで、それで声をかけたんだ。考えてみたら、食欲というものを感じたのは、あの時が初めてだったな。」


 目の前が真っ暗になったような気がした。肩に回された腕から、パーシーの悲しみが流れ込んでくる。饒舌な彼の口調から、苦しみが滲みだしている。


「なんで、今、そんなことを言うの?」


「君と同じだ。君には、私のことを勘違いしたままでいてほしくない。私は本当は、残酷で、非道な人間なんだ。」


 もしも本当に同じなら、パーシーは私に、それでも構わない、それでも好きだって、言って欲しいということになる。本当に残酷で非道な人間なら、そんな風に思うだろうか。


「引いた?」


 パーシーの声は少しかすれていた。

 私はパーシーの背中に手を回し、力任せに締め上げた。


「熱い抱擁は嬉しいが、け、結構苦しいんだ、が。」


 本気で苦しそうにパーシーが呻き声をもらす。


「パーシーが、私のことを舐めくさっているようだから、苦しくしてんのよ。それがどんなことだって、私は、大事な友達の告白に引いたりしない。」


 締め上げていた腕をパッと離すと、パーシーはふらふらとよろけて私から身を離した。

 彼は、膝に手をつき、仁王立ちになっている私の顔をしばらく見上げていたが、最初は小さく、次第に大きく笑い出し、そのままどすんとそこに腰を下ろした。それは、いつもの貴族然とした彼の立居振舞からは想像できない、子供っぽい仕草だった。


「偉そうだからつい忘れがちになるけど、私たち同い年なのよね。子供で当たり前だわ。」


 私も湖の方に目をやりながらパーシーの横にしゃがみこむ。


「同い年じゃない、私の方が年上だ。誕生日が過ぎたからな。」


「はいはい。」


 私たちは顔を見合わせて、また少し笑った。パーシーが幾分かすっきりした顔になって、口を開く。


「なぁ、ビビ、もう一つ告白をしてもいいか。」


「悪いけど、それはダメ。友達でいられなくなる。だから、言わないで。」


 私は断った。今日のパーシーは変だ。私もだが、パーシーはもっと変だ。私には、パーシーが何を言おうとしているのか、分かっていた。


「知っていたんだな。いつからだ?」


 少し笑いを含んだ声で、パーシーが問いかける。その視線は湖の遠くを見ている。空が、高い。

 私は視線をしゃがみこんだ足元に戻して、手慰みに草を何本かむしった。


「結構前から。あなたはいつも最高級の乗馬服を着て、変わった紋章の指輪をしている。突然現れたかなり年上に見えるあなたの知人は、あなたに敬語で話しかけ、あなたを何度も『殿下』と呼びかけた。彼は、二本の大剣をいつも持ち歩いている。ランスはある意味、世間ではあなたより有名だわ。だからすぐ分かった。」


「私が、パーシヴァル=ヴォーディガンだと?」


「うん。」


 でも、知りたくなかった。できれば、ずっと知らないでいたくて、先延ばしにしていたのだ。

 王子は、お姫様と結ばれる。それがこの世界のルールであり、望ましいエンディングだ。悪役令嬢からの横恋慕は、あくまで形式的で、前座的なものでなければならない。


「君は、聡明だな。そんなに賢い女は、私のまわりにはいなかった。」


 他人事のように彼は言う。まるで本当に感心しているような口調に、私はイラつく。分かっていたなら、なぜ隠し通してくれなかった。無策に身分違いの町娘に正体を明かすパーシヴァルに無性に腹が立った。


「馬鹿にしてるのっ? あなたの正体を知ってしまったら、私はもう、あなたに…。」


 こんな風には会えなくなるのよ?、という言葉は言えなかった。彼が、私に口付けていたから。パーシヴァルの体重がかかって、私は後ろに尻餅をつく。咄嗟に手をついてなんとか持ちこたえたが、そのせいで両手が使えない。それをいいことに、パーシヴァルはなおも身を乗り出して、私に深くキスをする。


 こんなことは、予定されていない。

 こんなことは、許されない。

 こんなことは、繰り返してはいけない。

 もう二度と、妹を傷つけたりしない。


 私は、何とか体勢を立て直すと、両手をパーシヴァルの胸に置き、一気に突き放した。


 バシャンという派手な音がして、水飛沫が立ち、私の顔にもいくつか水滴が飛び散った。


 私は、無言で立ち上がると、反対を向いて、猛然と走り始めた。湖の岸辺は浅瀬だ。急がなければ、すぐに追いつかれてしまう。


 案の定、はるか後ろで、パーシヴァルが岸に上がる音が聞こえた。

 振り返っている場合ではないのに、私は湖の方を振り返ってしまう。濡れ鼠のようになったパーシヴァルが、湖のほとりで佇んでいた。彼の無事を確認してほっとしたのも束の間、彼が笑っているのを見て、私は顔から血の気が引く。

 短い付き合いであっても、一緒にいるときはその表情を一つ残らずこぼさぬよう、ずっと見ていたのだ。あれは、心から怒っている顔だ。確かに、不敬罪で殺されても文句は言えない。


 彼が口を開く。呼んだのは私の名前ではなかった。


「ランスロット!」


 私は慌てて前を向いたが、時すでに遅し。目の前には大きな男がいて、私は走っていた勢いで、彼の胸に飛び込んだ。


「熱烈だなぁー、ビビ。 今度は殿下と何して遊んでるの?」


 俺も混ぜてよ、とランスもといランスロットが呑気な顔で覗き込む。私は、ぶつけた鼻をさすりながら、緑色の瞳を見上げて、懇願した。


「ランス、一生のお願い。私を逃して!」


 えっ?という顔をして、彼は、私と、湖の方から私に向かって歩き出しているだろうパーシヴァルの方を交互に見る。


「えーと、殿下の様子を見る限り、それはダメそうなんだけど、どうしよっか?」


 全く困っていない感じで、ランスロットはへらりと笑う。私は、手を合わせて、お願いしますっ!と頼み込む。


「うーん、君には借りがあるしなぁ、ま、いっか。」


 ランスロットは少し頭を傾げると、にっこり笑って、私の肩に置いていた手を離した。代わりに私を背中にまわし、こちらに歩いてくるパーシヴァルと対峙する。


「殿下ー、どうしたんですか? はははっ、ずぶ濡れじゃないですか。おっかしー。」


「ランスロット、お前はそういう奴だって分かってたよ。死ぬ覚悟はできているんだろうな?」


「いやー、そんな覚悟生まれてこのかた持ったことないです。それより、逃げる女の子を追いかけるなんて、なんかストーカーみたいでカッコ悪いですよ? ここは穏便スマートにいきましょう。」


 私にちらりと視線を向け「行っていいよ」と合図する。


「ありがとう!」


 小さくお礼を言って私は走り出そうとする。ところで、「借り」って何なんだろう?


「そうだ、ビビ。」


 ランスロットに呼びかけられ、私は首だけ振り返る。ふいにランスロットに引き寄せられ、すでに走る体勢に入っていた私はよろけて彼の胸に寄りかかった。


「これ、ごめんね。」


 ランスロットが私の顔に鼻先を近づけて小さくつぶやいた。その指が、私の眼帯の上をつうっと滑る。私は残った左目を見開く。


 あの日は雨で、暗くて、すべてが色を失っていた。それでも、灰色のマントを頭から被ったあの男は、こんな鮮やかな色の瞳をしていなかったか。まるで、絵本に出てくる怪物みたいな、らんらんとした緑色グリーン・アイを。


 次の瞬間、私は突き飛ばされた。かろうじて体を支え、そのまま森の外に向かって走り出す。後ろでランスロットが、パーシヴァルに向かって歩きだした気配がした。ガチャリと背中の剣が音を立てる。


 もう、私は振り返らなかった。


 































 

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