第5話 何でもない日でした。(その1)

 前略 お父さん、お母さん、お元気ですか? 

 今日は、何も報告したいことがありません。本当に、何も起こらない、変哲のない、何でもない日でした。


 その日は、起きた時から何かが変だった。

 いつもと同じ日差し、いつもと同じ服装、いつもと同じ朝食。グイネヴィアは変わらず美しい少女で、ベドビアは変わらずやる気のない使用人だった。けれど、館を取り巻く空気は、これから全てが変わることを告げていた。


 朝食後、最近いつもそうしているように、私はサンルームで刺繍をして時間を過ごしていた。急げば、昼前には仕上がるだろう。

 そこへベドビアがやってきて、空になったカップに新しく紅茶を注いでくれた。大抵は自分でやるのに、珍しい。私は目を上げた。


「ありがとう。」


「何縫ってるんすか?」


 せっかく礼をいったのに無視か。私はほとんど出来上がっている刺繍から、覗き込んでくるベドビアに見えるように作業している手をどけた。


「ふふふ、何だと思う?」


「緑色の、芋虫っすかね。なんか目がぎょろっとしててキモくないっすか?」


「もうあんたには聞かない。どっか行ってよ。」


 私は作業を続行する。密かに傷つきながら。


「あー、うそうそ。冗談ですって。めっちゃうまく出来てるじゃないすか。それ、俺にくれませんか?」


「嫌よ。これはあげる人が決まってるの。」


「マジすか。じゃ、これでいいや。」


 刺繍用品を入れてあるカゴから、練習刺繍が施された布をヒョイととり、ベドビアはしげしげと眺める。


「おおー、これ徐々に、かなり微々たるものであるが、ミミズの歩みのように上達してる様子が見てとれるっすね。」


「ありがとう。そういう正直なところ、好きよ。」


 いちいち付き合っていられるか。私は刺繍を再開しながらいい加減に相槌をうつ。しばらく静かな時が流れる。


「ビビアンお嬢様…、ここ、もう痛くないっすか?」


 刺繍に集中しだしたところで、突然右目の眼帯に触れられたので、私は飛び上がるほど驚いた。見上げると、ベドビアは先ほどと全く同じ位置、つまり私の右斜め前に立ったままだった。


「ま、まだいたの? びっくりした…。勿論もう痛くないわ。平気よ。」


「俺が、もう少し早く、駆けつけていれば…なんて、何言ってんすかね、今更。」


 私は黙る。そして、作業するのに邪魔だからと言って、ベドビアの前ではよくベールを外していたことを悔やんだ。彼だって、この傷を気にしないわけはないのに。それこそ、今更だ。


「そんなことない。ベディが間に合ったから、私もグィンも助かったのよ。ちゃんとお礼を言ってなかったわね。あなたは従者フットマンの仕事を十分以上に果たしたわ。」


 ありがとう、と笑う。

 ベドビアは、何か言いたそうにしばらく私を見ていたが、唐突に私の前に膝をついた。


「久しぶりに、ビビアンお嬢様が小さい頃よくやった、アレやりませんか?」


「アレって、まさか騎士ナイトごっこ? なんで急に……。」


 グイネヴィアが私の妹として家に来た頃、まわりの大人を取られたような気がして、私は寂しかった。そんなときに、よく遊んでくれたのが、ベドビアだったのだ。


「私、ベドビアは、これより先、あなたを守り抜くと誓います。誓いの口付けを許してくださいますか、ビビアン姫?」


 私の問いかけなど聞いてはいない。まぁ、いつものことだ。私はその真意を確かめることを早々に諦め、立ち上がった。騎士に対峙するお姫様らしく、毅然と。


「いいわよ、ベドビア。あなたを私の騎士に任ずる。これからは精進するように。」


 私は跪くベドビアの顔の前に左手を差し出す。


「ありがたき幸せ。」


 ベドビアは私の左手を取り、うやうやしく薬指に口づけする。まるで本当の騎士みたいに。


「ねぇ、何があったの? いつも変だけど、今日は輪をかけて変よ?」


 ベドビアはすっと立ち上がると、私を見下ろした。やっぱり一緒に遊んでいた頃とは、顔つきも体格も全く違う。ベドビアは、すっかり大人の男の人になってしまった。私は、たった今のやりとりを思い出して、気後れのようなものを感じていた。


「別になんでもないっすよ。仕事があるんで、あとは自分でやってくださいね。」


「えっ、グィンが来るまでいてくれないの?」


 私は突然寂しくなり慌てて呼び止める。ベドビアの背中が遠く見えて心配になる。


「大丈夫っす。今日は来ませんから。」


「なんで…。」


「さっき旦那様に呼ばれてました。大事なお話があるんだそうっす。今日はビビアンお嬢様は一人で遊んでてください。」


「なに、それ。今日はミンスパイのはずだったのよ。楽しみにしていたのに……。」


「それ、グイネヴィアお嬢様に言ってあげてくださいよ。あの人、こたえてないように見えるけど、お嬢様の大根役者も真っ青な嘘くさいいじわるに、それなりにダメージ受けてるんで。」


 ベドビアが大人の男の人みたいに笑う。複雑な思いが後ろにあるようなどこか寂しそうな笑みに、私は言葉に詰まる。

 

 穏やかな日の光が差し込むサンルームに取り残されて、私は、ただ立ち尽くしていた。
































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