第2話 この世界には、理があるみたいです。

 拝啓 雨の多い季節になりました。といっても、こちらには梅雨みたいな風流なものはありません。あったときにはうっとおしくて嫌いだったけど、なくなってみると、途端に恋しくなるものってありますね。

 お父さん、お母さんはお元気ですか? 私は、先日ドジって軽い怪我をしました。あ、といっても元気だから、特にお父さん、心配しないでよね。

 それよりも、大発見がありました。この世界にはことわりがあるみたいです。ことわりっていうと大げさなんだけど(一度使ってみたかっただけ)、ゲームでの役割とルールみたいなものを想像してみてください。


「かわいそうにね、でも自業自得だから治してはやらないよ。」


 誰かが枕元にいる。言葉とは裏腹に、辛そうな声。まるで自分が傷ついたみたい。そんなことない、大丈夫よ。そう言いたいけれど、私は痛みに朦朧もうろうとして目が開けられない。


 ふいに、脂汗が浮かぶ額に冷たいものが当てられる。


(気持ちいい。)


 ひたりと当てられたそれは誰かの手なのだと分かる。その指先が、焼けるように熱い私の右目のあたりに移動する。


 青く透明な光がまぶたの裏を通って頭の中に浸透していく。脳を貫ぬくような痛みは、徐々に薄れ、やがてほとんど感じなくなった。


 痛みに耐えて緊張していた四肢が一気に弛緩する。私は静かに息を吐いた。深い海の底から、水面に引き上げられたみたいに、酸素を体いっぱいに吸い込む。部屋の中の空気は湿っていて、暗い。ということは、まだ雨が降り続いているんだ。


「起きた?」


 待ちかねたように問いかける声。


(まだ。やっと眠れるようになったのよ? 少し寝かせて。)


 私は浮き上がった反動で、背中からベッドに沈み込む。シーツの肌触りが心地よい。これで、やっと、深く、眠れる。窓の外から聞こえる雨音が私を再び深い淵に誘う。


「スゥ………」


「ねぇ、起きてよ。あんたが起きてないと退屈なんだって。」


「スゥ………」


「ちょっと、僕は取るものもとりあえず、あんたの為に辺境の地からかけつけたんだよ? お礼くらい言ってもいいんじゃない? カツ丼をご馳走するとかさ。」


(そんなことをするのは取り調べ中の刑事さんだけよ。)


「まぁ僕は犯罪者じゃないからね。わかった、おとなしくしてる。とにかく、早く起きてよね。でないと…。」


(苦しいって。寝込んでる人間にいたずらしないでよ。)


「………」


(聞こえてるよね? 鼻摘つままれると息がうまくできなくて、苦しいんだけど。)


「………」


「息ができへん言うとるやろーが!」


 私は跳ね起きた。

 見慣れた部屋、見慣れたベッド。私の寝室だ。そのベッドの脇には無表情のクール・ビューティー(男)が私の鼻をまんでいたときの指の形を維持したまま、座っていた。

 まーくんは、オカッパくらいにまっすぐ切り揃えた銀髪に、銀色の瞳で、全体的に水銀みたいに冷たい輝きを放っている。けれどよくよく見るとその容姿は、氷の女王のように美しく、魅惑的だ。

 ただ、いつも素っ気もへったくれもない漆黒のローブをまとっているので、その美しさはほとんど隠されている。


「はぁ、はぁ、ちょっと、まーくん、寝ている人の鼻をつまむってのはどうなのよ。死んじゃうでしょうが。」


 私は息も絶え絶えに恨みごとをいう。何日寝ていたんだろう、とにかく体力がものすごく落ちているみたいだ。起き上がるのも苦しい。


「死にはしないって。目に怪我をしただけなんだから。」


 まーくんは私の喘ぎなどものともせずに、指をローブにこすりつけて拭いている。なんとなくむっとするが、いつものことだ。私はとにかく息を整えることに集中した。


 そういえば、「目に怪我」って。


 額から目にかけて違和感があり、なんとはなしに自分の目のあたりに手をやる。頭から右目全体が、包帯でぐるぐる巻きに巻かれている。


「あ? あー、あー、あー、そういうことか!」


 私は大げさに上に向けた掌の上に拳を打ち付けた。いわゆるガッテンの仕草だ。その間にもこれまでの出来事の記憶が一気に戻ってくる。妹のグィネヴィアが事故に遭い、私はそれに巻き込まれて怪我をしたらしいということも。ということは……。


「マーリンっ、グ、グィネヴィアはっ!?」


「ここ。」


 焦って名前で呼んでしまったが、まーくんは気にしていないようだ。彼は自分の足元を指差す。覗き込むとベッドの脇の隙間に小さな体がうつ伏せに横たわっていた。

 ドラマでよく見る、犯罪現場に貼られた被害者を形取ったテープみたいな格好だけど、彼が今ここで殺したのでなければ、生きているのだろう。その体は小さく上下している。それにしても、相変わらず自由な寝相だな、と私は感心する。


「よかったぁ、無事だったんだ。」


 私はそそくさとベッドを降りると、グィネヴィアを抱き上げた。頭から爪先まで、どこも傷ついていないことを確認してから、ぎゅっと抱きしめる。もう11歳になるというのに、すうすうと寝息を立てるその体はヒヨコみたいに小さくて柔らかかった。


「よかった。」


 私は念を押すようにもう一度言う。私の妹はいる。この腕の中に、生きて、眠っているんだって。


「なに泣いてんの。」


 不機嫌そうな声が聞こえ、黒のローブでごしごし左の頬を擦られる。


「ほっとしただけです。 って、なんでそんな面白くなさそうな顔してるのよ。」


 まーくんはきゅっと眉を寄せて、あからさまに不機嫌そうな顔だ。


「面白くないからだよ。さっきまでゼェゼェしてたくせに、そのチビが無事だったからって元気になっちゃうわけ? あんた、現金すぎない?」


「当たり前でしょ? 愛は全てを超えるのよ。」


「うぅーん。」


 腕の中のグィネヴィアが身動みじろぎする。


「いけない、いけない。」


 私は今まで寝ていた場所にグィネヴィアを横たえ、上から布団をかけた。彼女のふくよかな頬には絨毯の痕と涙の筋が残っている。


「まーくん、なんでこの子を床で寝かせたりするのよ。」


 よく眠っているのを確認してから、私はギロリとまーくんを横目で睨んで苦情を言う。すこし慌てた様子で「僕が来た時にはすでに床の上で寝こけてたんだって」と弁解する姿が珍しかったので、まぁ許してやろうという気になった。


 そもそものところ、怪我がこの程度で済んだのも痛みを治めてくれたのも、全部彼のおかげなのだから、私はもっと彼に感謝しなくてはならないだろう。


「そうだよ、感謝したってしきれないくらいだよ。」


「そうよね。お礼、何がいい?」


「あんたの命。」


「それはダメ。」


「じゃあ、カツ丼。」


 私の命はカツ丼と同等か。私は笑いを噛み殺して真顔になる。無駄話をしている暇はない。すべきことは山ほどある。


「ビビ……。」


 グィネヴィアが私を呼ぶ。目が覚めていたのかとギョッとするが、寝言だったらしい。グィネヴィアは小さい頃私の名前が発音できず(簡単だと思うんだけど)、「ビビ」と呼んでいた。やがて、それが家族の間での私の呼び名になった。


「じゃあね、グィン。おやすみなさい。」


 今は枕に小さな頭を押し付けて、難しい顔をして眠っている妹の額に口付ける。髪も睫毛も黄金色の大切な私の宝物。ここでお別れだけど、良い夢を見てね。


「そいつから離れる気なの?」


 後ろからまーくんが尋ねる。自分のことでもないのに、彼はまた辛そうな声を出す。冷血漢のくせに、私には甘いのだ。


「そいつとは随分な言い草ね。グィンは今も十分過ぎるほど可愛いけど、大きくなったら絶世の美女になるのよ? まーくんも攻略対象なわけだし、今からツバつけとこう、くらい思わないわけ?」


 私はまーくんを部屋の外に追い出しながら軽口を叩く。


「うげっ、気持ち悪いこと言わないでよ。なんで僕があんなチビとどうかならないといけないわけ?」


「そうよね、まーくんに大事なグィンを任せるのは私も不安だから、あの子は今をときめく王子様にあげることにするわ。」


「あぁ。」


 回廊を歩き始める私の後ろで、まーくんの足音が止まる。


 振り返ると、眩しいものでも見るように、まーくんは目を細めて直立不動の状態でこちらを見ていた。


「思い出したのか。」


「思い出したんじゃない。わかったのよ。私は、あの子のかたきなのよね?」


 私は再び前を見て歩き始める。


「グィンは、このゲームのヒロインなんでしょう? 悪役の私と仲良くしていては、いつまでたっても幸せにはなれない。」


 悪者が働かなければ、運命は動き始めないもの。


「まずはお父様とお母様を説得して、グィンをこの家から追い出さなきゃ。グィンは追放されて行き着いた先で、お妃になるためにふさわしい教育を受けて、すれ違う誰もが振り返るほどのレディになるの。」


 目に見えるようよ、美しく成長したあなたが。


「あんたは右目を失ったんだぞ。半分しか見えないじゃないか。」


 私は足を止める。その抑揚のない声に、底知れないなにかを感じたから。熱が上がったのだろうか。館の回廊はいつものようにひんやりとして静まり返っているのに、グニャリと歪んで見える。


(まさかとは思うけど、怒ってる、なんてことはないよね?)


 怖くて、私は振り返ることができない。


「怒らないわけないでしょ。あんたは『事故』だなんて誤魔化していたけど、僕は騙せない。あんたに与えた守護を破ったのは、人間の振り下ろした剣だろう?」


 やはりバレていたのか。雑多な考えと大げさな素振りを織り交ぜて、本当の記憶を読みにくくしていたのに。


「で、誰なの?」


 次に声が聞こえた時は、息がかかるくらいすぐ後ろに、まーくんはいた。背中全体がぞくりと粟立つ。

 一瞬で目の前が真っ暗になって、私は、彼が広げたローブの中に包み込まれたのだと気付く。中二の私の背丈は、大人のまーくんの胸くらいまでしかない。外から見たら、まーくん1人が立っているみたいに見えるだろう。あの時も、そうだった。


「僕に断りなく、僕の物を奪った奴だよ。あんたの飴玉みたいな目は、僕のお気に入りだったのに。」


 本当に覚えていないのよ。それに、まだ、一つ残ってるからいいじゃない。そんなに怒らないで。でないと、この世界が壊れてしまう。私は願う。


「わかった、もう怒らない。でも、あんたを傷つけた人間は見つけ出して、必ず……」


 殺すよ、と悪魔は優しい声で囁いた。































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