恋する馬鹿者⑨

 かの魔法使いのもとを訪ねれば、幸せになれるらしい。

 そんな男性の独白とともに、その映画は始まった。

 暗い広間の中。居並ぶ観客達の中央やや上部辺りにて、私は千鳥さんと共に座っている。

 私が彼女とデートをするにあたり、始まりとして選んだのは映画観賞であった。

 そこには諸々と理由がある。

 初デートであるが故に互いに緊張もするだろうと、まずは一緒にいることに慣れるため。そしてなにより、上映されている物語が彼女のお気に入りであるため。以前にも話に出てきた映画化される彼女のお気に入りの文庫本、それが昨日をもって封切となったのである。これを逃す手はない。

 待ち合わせをした際に千鳥さんはソワソワとした期待を隠しきれてはいなかった。その想望の念が純粋に私との逢瀬にのみ注がれていないことは、残念ながら事実であろう。しかし本日の目標としては、第一に彼女を楽しませることにある。自身の邪念は捨て去り、私は紳士らしく彼女をエスコートする義務があるのだ。

 私が改めて決意を胸にしていると、物語は淡々と進んでいく。

 所謂ファンタジーというものであろう。幻想的な世界観を舞台に主人公が旅立ち、そして成長する物語。私は映画という娯楽に理解が深いわけではない。それでも分かりやすく面白かった。映画だからこその力動的な演出と音響は、私を一気に物語へと惹きこんだ。結末も概ねハッピーエンドであるし、私達は興奮した余韻をひきずりながら館外へと躍り出た。


「面白かったです」

「はい、とても」


 私が千鳥さんに映画の感想を伝えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。その様は、まるで彼女が映画の作成に関わったかの如く、誇らし気で満足そうであった。

 私達は互いに映画の出来栄えに満足したことを確認し合うと、詳細な感想を述べながら行く。この時間こそが、人と映画を観ることの醍醐味である。

 駅前の大広場を通る。そこは華美な装飾で彩られていた。

 拠点駅として機能する大きな駅舎には、多くの商業ビルが併設されている。私達が訪れていた映画館もその中にあった。よって人の往来は多く、今日のような特別な日には相応の活気に満ち溢れていた。七色に光るイルミネーションを眺める買い物客たち。足を止めて大道芸に見入っている旅行者たち。人々はそれぞれの目的をもってこの場に集まる。

 そんな活気の中心ともいえるモノが一つあった。

 駅舎を底辺に凹の字のように囲まれた大広場の中央。

 そこに大きな一本のモミの木が屹立していた。

 色鮮やかな光に装飾された大木は美しく、そこには特別に多くの人々が、それも男女の二人組が見上げるようにして留まっている。その様子はモミの木が恋人たちを祝福しているようでもあり、昨年までの私ならばこの光景を臨んで気落ちしたに違いないだろう。しかし今日ばかりは勇気づけられるような、不思議な感慨を覚えた。


「しかし意外でした」

「なにがです?」

「実はもう少し、私には難解な話なのかと身構えていました」


 それは映画の内容についてである。

 読書家である千鳥さんが一番好きだと公言していた作品だったのだ。私は根拠のない思い込みで、門外漢には理解が及ばない機微のある高尚なものを想像していた。しかし、いざ蓋を開けてみると私においても非常に楽しめた。生徒たちの言葉を借りるのであれば「普通に面白い」といったところだろう。決して奇をてらったものではなく、終始没頭させられるものだった。

 そんなことを伝えたならば千鳥さんは考え込む素振りを見せて答えた。


「私はどうにも、本当に好きなものは『俗っぽい』ものを選ぶ傾向があるみたいです」

「『俗っぽい』ですか?」

「人情味があるのが好きなんです」


 俗っぽいとはまた、あまり好意的に使われる言葉ではない。

 しかし彼女の言わんとしている事は理解できる気がした。つまりはありふれて他愛もないものこそを尊びたいという気風であろう。そのような考え方であれば十分に賛同できる。言われてみれば先の物語も、大衆娯楽といえる内容であったかもしれない。だからこそ彼女が好み、私も楽しみを見出せたのだ。


「ふふ、そういえば――」


 千鳥さんがふと何かを思いついたかのような笑みを見せる。私は疑問に思い「なにか?」と問いかけた。


「いえ、俗っぽいと言ったら、どうしてか寅次郎さんと最初に会ったときを思い出しまして。あれも相当に俗でしたねえ、なにせ社会の窓ですし」

「あまり思い出さないでくれると助かります」


 彼女は笑みを絶やさずクスクスと笑い続ける。その女神もかくやという微笑みを拝めるのであれば私の恥なんぞいくらでも贄に出す所存ではあるが、居心が悪いのには変わりない。すると彼女は、そんな私の顔を覗き込むようにして言葉を述べてきた。


「でもこう言ってはなんですが、だからこそ人情味があって、ちょっと愉快で――私は嫌いではありません」

「それは――」


 千鳥さんは少し気恥ずかしそうにして佇んでいた。

 そして私からの返答を待っている。

 その様子に、彼女なりに踏み込んだ発言をしてくれたのだと悟った。そしてそれに気づいてしまうと、私はわたわたと返す言葉を見失ってしまう。どうするどうすると繰返し自問するばかりで、効果的な試案を導き出さない我が脳髄を不甲斐なく思う。思考を切りかえるためにも目前へと迫りつつあるモミの木へと駆け寄り、その立派な幹へとヘッドバットしたい衝動に駆られるが、そればかりは我慢した。となればやるべきことが定まらない。

 嗚呼、頭を打ち付けても人々から不審がられない手頃な堅物はないものか。

 私は悶々と、気の利いた殺し文句を模索する。そうして互いに物言わず、赤面ばかりしていたならば、唐突に周囲がざわついたことに気づいた。


「何でしょう?」

「さあ」


 場の空気の変容に二人して疑問に思う。

 その人々の騒めきは徐々に大きくなり近づいてくるのだ。

 それと同時に遠くの方から唸り声のような合唱が聞こえてきた。それは大広場の真正面、駅舎から真っすぐとのびる大通りの方から響いてきている。

 私達も含め大広場にいた人間は何事かと、広場よりは薄暗い大通りの方角へと目をむける。


 そうして、彼らは来た。

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