第42話 電子世界

 “ 脳の同期 ” とは、思考や記憶、感覚といった全てが強制的に共有されてしまう事を意味する。単に恥ずかしいだけではない。片方の脳が破壊されれば、もう片方の脳も道連れにされる。まさしく、一心同体となるのだ。

 当然、双方の脳にかかる負担も尋常ではない。だからこそ、共有する記憶が多く相互理解も深いとされる、何十年来の友人や夫婦、もしくは自分の意識をコピーしたシステムが同期相手の理想とされていた。類似した脳は、同期が楽なのだ。


 しかし、そんな奇抜な方法が使われていたのも数十年前までの話である。電気信号に変換した意識をプログラムに忍び込ませてバグを直すなど、今となっては時代遅れの危険なやり方として廃れてしまっていた。もっとも、わざわざ意識を潜り込ませなくても、専用の高性能ソフトウェアを使えば外部から安全にバグチェックができるので、必要性が無くなったともいえる。


 無論そういった歴史など、カメならともかくウサギが詳しいはずもない。


 何の知識も無いまま、電気信号となったウサギの意識は、あてもなく電子世界を漂っていた。


 痛みは無い。それどころか何の感覚も無い。自身の内と外を隔てていた皮膚は全て剥がれ、少しでも気を抜けば周りを飛び交う光の粒子群に体が同化してしまいそうだった。


 違う、霧散か?


 ウサギは意識の繋ぎ止め方すら分からず、揺らめく世界にその身を委ねようとした。


 次の瞬間である。


 脳が広がった。少なくとも、ウサギにはそう感じた。


 視界が開け、凄まじい量の情報が入り込んでくる。それは、まぶたの裏でチカチカするあの光が無限に増えたかのようだった。


 突然皮膚の感覚が戻る。が、ただの電気信号であるウサギに、当然皮膚などあるわけがない。これは、ついさっき同期されたカメの感覚を共有しているだけである。

 普段のウサギであればそれを理解するのに数分はかかる所だが、今や思考もカメと同じくする彼にはすんなりと理解できた。


 ともあれ、電子の海に散りかけたウサギの自我は、カメとの同期によって無事収束したようである。


「カメ」

「ああ」


 返事は、ウサギの内側から聞こえてきた。言葉を交わさずとも意思の疎通はできるのだが、外にいる鵜森や青鳥に会話を聞かせる為には声に出す必要があった。


 ウサギは、遠くの暗闇に目をやる。


「あっちに、鵜森ちゃんが見つけた抜け道があるんだな」

「そうだ。移動の仕方は分かるな?」

「おうよ」


 レールのようなものに足を乗せる。カメの脳を探って出てきたアドレスを、そこに打ち込んだ。


「……言っとくが、意識を失うなよ」

「任せろや。飛ぶのは慣れてる」


 最後の数字を入力した所で、体がぐいと前に引っ張られた。言葉通り光の速さで、ウサギはスリープシステム内部へとその身を送ったのである。










「なんだここ」


 数秒後。ウサギは、目の前に広がる光景に唖然としていた。


 あれ? オレ確かにスリープシステム目掛けて飛んできたよね? 間違えてなんちゃらランドに来てないよね?


 ウサギの困惑も無理はない。彼の目が捉えたのは、夥しい人達が集うアミューズメントパークだったのである。


 ……聞いてないよ。


「……スリープの見せる夢が総合アミューズメントパークと化しているんだが、どういうことだね」

『なんだそれは。私も知らないよ』


 疑問を共有したカメが鵜森に尋ねたが、何の成果も得られなかった。

 鵜森の声が、耳に届く。


『とにかく、今は情報が欲しい。ウサギさん、ひとまずその辺りを歩いてみちゃくれないかい』

「はいよ」


 言われなくてもそのつもりであった。なんならちょっとワクワクする。

 ウサギは、身軽な体で遊園地のような場所に降り立った。


 行き交う人々は、大人から子供までその年齢は様々だ。彼ら彼女らの顔には笑みが浮かんでおり、まさに理想的なテーマパークといった風景である。ぶつからないよう人の間を抜けていると、内からカメが声をかけてきた。


「今の所は特に特筆すべき点は無いな。幸せな休日そのままだ」

「ほんとにね。……お、ジェットコースターまであるぜ、カメ! あれはぜひ調査しなきゃいけねぇな!」

「オイオイ、僕らには時間が無いんだぞ? 情報を集めるならホラあそこに図書館が見える。早速行ってみようじゃないか」

「バカおめぇそれ自分が行きてぇだけだろ! そんで、せっかく行くならあの “ 世界の車両百選 ” とやらにだな……」

「いや、仕事をするなら腹ごしらえも大事だぞ。フードコートがあるからまずはそこに……」

『君達、何をしてるんだ!』


 見兼ねた鵜森が一喝した。ウサギの体は混乱のため奇妙な動きを繰り出し、周りの客を引かせている。


「クソ、体が一つしか無いって不便だな……」

「早く事件を片付けて二つに増やすしかない」

『君ら、よっぽど変なこと言ってるって気づいてる?』


 最初はウサギとカメの行動に渋っていた鵜森だったが、完全に割り切ることにしたようである。一度咳払いをし、ウサギに言った。


『一人か二人、話を聞いてみてくれ。その際に外から来たとは悟られないでくれよ』

「オッケー」

『ああそれと、電子世界にいる間は姿を自在に変えられるはずだ。試しに若い頃の姿を思い出してみてくれ』

「お、悪くないねぇ」


 そういうのは大好きだ。ウサギは目を閉じ、二十代半ばぐらいの自分をイメージする。次に目を開けた時、ウサギの体は誰もが振り返るほどにすっかり見違えていた。

 ピカピカに磨かれたアトラクションの柱に映った自分の顔に、ウサギはニヤリとする。


「やっぱオレちゃんイケメンだわ」

「ハン、どれだけ見目麗しくても中身はジジイ二人だ。地獄の化身だよ」


 否定はできない。適当にブラつき、目をつけた一人の女性に近づいた。


「ヤー、遊んでるぅ?」

「遊んでるわよぉ。なぁに、お兄さんカッコいいわねぇー」

「でしょ? 今時間いい?」

「いいわよぉ」

「ちょい聞きたいんだけどさ、オレってスリープ入りたてで、ここの事あんま知らないんだ。だいぶ想像してたのと違うんだけど、最初からこんななの?」


 ウサギの問いに、女性は唇をすぼめた。


「まーあたしもそんな詳しくないけど、最近になってからって感じ? それまでは全然違くて、それこそマジ理想みたいな夢見てたの。それがいきなりここに連れてこられて、ほんとびっくりだわぁ」

「そうなんだ」

「そうよ! 一回元カレとすれ違った時とか、もうテンション下がりまくりでね? あたし元カレ超ダメでぇ、前なら絶対夢に出てこなかったからマジヤバかった。アレ本物かな?」

「どーだろね。……え、じゃあ今フリー? オレおねーさんの新彼氏に名乗り上げちゃおっかな?」

「ふふ、ダメよぉ、あたし今カレシ待ってんの。ここで出会ってメチャ気が合った感じで、即ラブ。カレシ裏切れない」

「残念。でもありがとうね、色々教えてくれて」

「どういたしまして。……前の世界も良かったけど、この世界も悪くないってあたし思うわ。あなたもイイ人見つかるといいわねぇ」

「ほんとにね。それじゃあねー!」


 手を振って彼女と別れ、ウサギは歩き出す。しばらくすると、カメが話しかけてきた。


「……どうやら、スリープに入れられていた者の意識は全てこの場所に集まっているようだな」

「みてぇだね。黒幕は何考えてんだろ」

「さぁな。さて、僕と脳を同期しているなら分かるだろうが、お前は次の行動を選ばねばならない。このまま聞き込みを続けるか、スリープを探すか……」

「……ダイレクトに黒幕を探すか、だな。そう簡単にいきゃあいいんだけど……」


 ピタリとウサギの足が止まる。行動を迷ったのではない。とある障害物に、立ち止まらざるを得なかったのだ。


 ウサギの数メートル先。ごった返す人々は、無意識にその障害物を避けて歩いている。その為、ソレの周りにはぽっかりと何もない空間ができあがっていた。


「――どうもあちらさんは、オレらに選択肢を与えちゃくれなさそうだぜ」


 ウサギが言う。彼を瞬ぎもせずじっと見つめていたのは、ありふれた仮面をつけた一体のピエロであった。

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