第37話 オレが

 しばらくは誰も喋らなかった。緊張からではない。火鬼投の次の言葉を待っていたのである。


「……いや、終わり?」


 そして、とうとうじれったくなったウサギがツッこんだ。それに火鬼投は首を縦に振る。


 終わりのようだ。


 会話を続けたいウサギは、仕方なく浮かんできた疑問を口にする。


「えーと……それ、どうやって上書きすんの?」

「上書き自体は簡単ヨ。スリープシステムが入ってるサーバをシャットダウンしたら、新システムが入ったサーバを繋いで起動させる。そして管理者権限で大基幹システムにアクセスして、新システムを認識させるノ。大体、そうネ……二十分程度で終わるかしら」

「じゃあすぐやれよ」

「問題が二つあるノ。一つは、スリープに入っている人達の事。脱走者のように比較的最近スリープに入った人なら大きな問題は無いんだケド、何十年も前にスリープした人は、もはや装置自体が生命維持の役割を果たしているワ。となると当然、システムの切り替えの際にご臨終……なんてこともあるカモね」

「げ、そりゃマズいな」

「……いえ、そうとも限りませんよ」


 北風が、落ち着いた声で言った。


「それこそマンパワーで解決できる問題だと思います。命の危険がある人を事前に調べ、各個人に別の生命維持装置をつけるんです。時間はあまりありませんが、警察官の人数を考えればできなくはないでしょう。……勿論、スリープシステムに気づかれないよう、考えて行動する必要がありますが」

「よく気づいたな、北風ちゃん! ジイちゃん褒めてあげる!」

「ありがとうございます」


 だが、まだ問題は一つ残っている。それを問い詰めると、火鬼投は気まずそうな、居心地悪そうな、なんとも言えない顔をした。

 とはいえ、言わないわけにもいかない。火鬼投は、渋々口を開ける。


「……ないのヨ」

「はい?」


 火鬼投の目が泳ぐ。


「……まだ、プログラムが完成してないノ」


 間抜けな沈黙。


 しかし次の瞬間、全員が口々に責め立てた。


「おおおおおおおオメェあれだけ全能感出しといてソレ!? 嘘だろ!? マジでか!?」

「しっかたないじゃないノ! アタシだってスリープの異常に気づいたの一ヶ月前とかよ!?」

「そこから調査し、新システム開発に踏み切ったのが三週間前といった所か? やれやれ、無能が上に立つと部下に皺寄せが来てしまう分かりやすい例だな」

「最初はパッチ当てたりしてちょちょっと対応しようとしたのヨ! でも、当てる側からどんどん……なんていうの、剥がされて」

「剥がされる? 総監、ふざけた格好しとらんでどういうことか教えてください!」

「どんなバグが起こってんのか知らないケド、スリープにとって都合の悪いプログラムコードがドンドコ消されちゃうノ! あとネ、格好は真面目だカラ! いい加減覚えといテ太陽ちゃん!」

「いやぁ、アンタそんな状況でよくオレにあれこれ説教できましたね」

「るっさいワネ! クローンのクセに生意気にぐずぐずしてるアンタが悪いノヨ!」

「……ところで、今そのプログラムはどこまで完成しているのですか?」


 こんな時でも周りに流されない北風の質問に、火鬼投は少し一息をつけた。呼吸を整え、若き警察官に向き直る。


「……九割方といった所ネ。あと少しよ」

「十二時までには」

「それは確実に間に合わないワ。システム自体の完成は間に合う。だけど、下手なシステムを導入するコトなんてできナイ。結合テストやら総合テストやらやってたら、早くて……明日の朝か、昼か」

「そうですか。ならば取れる行動は絞られますね。そうでしょう、太陽さん」


 いきなり不意を打たれた太陽は、しかしはっきりと頷いた。


「せやな。“ 時間稼ぎをする ” 、“システム開発の速度を上げる ”、まあザッとこの二つか」

「ハァ? 時間稼ぎはともかく、システム開発の速度を上げるなんて無理ヨ。アレは専門知識が必要だし、そもそもたかが一人増えた所で……」

「なら、三人ならどうです?」


 火鬼投の目の前で、北風が制服の上着を脱ぐ。彼の体からボキボキと骨の鳴る音がしたかと思うと、肩や胸の横辺りから皮膚を突き破るようにして、四本の腕が生えてきた。

 目を見開いた火鬼投に、五つの目を持つ北風は言う。


「……太陽さんに引き抜かれる前、僕はシステム管理部にいました。なので、最低限の知識は持ち合わせています。メイン開発こそ難しいですが、テストなどサポートぐらいはできるかと」

「いや、アンタ、その能力は……!」

「気持ち悪いですかね、すいません。ですが、見ての通り常人の三倍の動きは可能ですよ」


 そこで北風は黙り、火鬼投の判断を待つ。

 この場にいた人間で、北風の僅かな声の震えに気づいていたのは、太陽だけであった。北風は、自身の能力を嫌悪していた。その嫌悪は、母を殺した父と同じ能力を受け継いだ自分にすら、向けられていたかもしれない。


 それが、こんな状況だからこそとはいえ、自ら能力を明かしたのだ。


「……火鬼投総監」

「何ヨ」


 彼の覚悟を、上司として無下にするわけにはいかなかった。太陽は、火鬼投に深く頭を下げる。


「僕からもお願いします。北風を使ってやってください」

「だけどネェ、この能力を使うなんて……!」

「みみっちい事言ってんなよ! 今それどころじゃねぇだろ!」

「全くだ。いくら昔殺人に使われた能力だろうが、使う人間が違えば別モノになる。貴様は、刃物を使う料理人にも、唾を飛ばして同じ愚論を叫ぶのか?」

「え、殺人に使われたんスか!? 北風さん、そりゃ今まで大変だったでしょ……! 後でいっぱい話しましょ! オレもオレの元ネタ、テロリストだったんスよ!」

「……総監」

「……!」


 老人二人の援護に、青鳥の全然関係ない共感も加わり、味方のいない火鬼投は承知せざるを得なくなった。

 額に手をあて、大きなため息をつく。


「……北風君はそんなコトしないって分かってるケド、どうしても頭では例の事件に繋げてしまうワネ」

「オメェは昔から潔癖性なトコがあるからな。ま、そんなヤツも多いよ。オメェは徐々に慣れてきゃいいだろ」

「ありがとネ。そういう所ほんと好きよ、ウサギちゃん」

「そっか、オレはお前あんま好きじゃないけどな」

「キィッ!」


 まるでサルのような悔しげな呻き声を上げる火鬼投である。ウサギはへへへと笑いながら、ふと思い出した事があった。

 彼を比丘田の施設で見た時に抱いた違和感についてである。


 火鬼投が比丘田の協力者であると断じるカメに、あの時のウサギは引っかかっていた。……引っかかって当然だ。彼が犯罪に手を貸すはずが無いのである。


 火鬼投は、犯罪阻止と市民の平和に対して、呆れるほどの執着をしている。

 それを、長年彼を見てきたウサギはよく知っていた。


 もっとも、歳のせいか今まで忘れていたのだが。


 ともかく、これで一つは対策ができた。残るは――。


「時間稼ぎ、ですね」


 北風は、カメに視線を送った。カメは彼の意向を汲み取ると、煩わしそうに頬をかく。


「……撃滅機関は、本人の意志を何より尊重する部署だ。だから、青鳥君が望んで時間稼ぎをしたいと言うのなら、僕が止める術は無いな」

「オ、オレがやるんですか!?」

「そりゃそうだろう。十二時の約束は絶対だ。まさか君、大勢の人間の命がかかったこの約束を、すっぽかすつもりだったというのではあるまいな?」


 射るような瞳に、青鳥は「そんなつもりは全くありません」と急いで否定する。だが、あまり顔色は良くない。

 だがカメは、そんな彼にも容赦ない追い討ちをかける。


「……青鳥君の意識を見捨て、乗っ取られて帰ってきた君の命を奪うという手もあるぞ」

「ゴルァカメ、意地悪言うんじゃねぇ!」

「ハッパをかけてるだけだ。あまり本気じゃない」

「ちょっと本気なのもどうだよ! いや待て、そういやどうやってスリープは青鳥の脳を乗っ取るつもりなんだ?」


 ウサギの問いに答えたのは、やはり火鬼投であった。


「これは推測だケド……スリープ装置に入れられるんじゃないかシラ。クローン人間の脳をサーバに見立て、何らかの方法でそこにシステム基盤を作ってデータを移す。この “ 意思 ” が何を指すのか良く分かんないから、どう移すのかは見えないケドね」

「それさ、スリープで寝てる他の奴とか、赤ちゃんじゃダメなの?」

「恐らく、普通の人間であれば、脳をまるきり上書きするのは困難なのカモしれない。赤ちゃんに至っては、脳が未完成だしね。ところがこちらのクローンときたら、脳は完成しているのに肝心の中身はすっからかん。乗っ取るにはとても都合の良い環境なのヨ」

「それ、余計にオレ助かる見込みないじゃないスか」


 ゆっくり動いてゆっくりスリープに入ろうかな……とぶつぶつ呟く青鳥の隣で、ウサギは何やら考え込んでいた。だが、やがてポンと手を叩く。


「いい事思いついた」

「なんですか、ウサギさん」

「うん。聞く?」

「はい」


 さては突破口が見つかったのかと期待する青鳥に、ウサギは明るく言う。


「オレが、青鳥の代わりにスリープに入るってのは、どうだろう」


 表情を固くした青鳥とは裏腹に、ウサギはいつも通りヘラヘラと笑ってみせたのであった。

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