第12話 パターンが違う

 話は案外、トントン拍子に進んだ。

 警察としても、謎の男を永遠に留置所に閉じ込めておくよりは、厄介者とはいえベテランの二人に任せる方がマシだと判断したらしい。

 異例の事態ではあるが、ウサギとカメは、これで太陽に押し付けられる仕事が無くなると喜んでいた。


 かくして、撃滅機関の部屋に青鳥専用の机が構えられたのであるが……。


「なんすか、この量」


 青鳥は、自身の机にドサリと置かれた資料の山を見下ろし、言った。カメは上から丁寧に指を差して、哀れなる部下に説明する。


「今回の始末書、今回の損害報告書、強化錠剤の使用許諾書、前回の始末書、損害報告書、前々回の始末書、損害報告書、その他諸々エトセトラだ」

「たまりすぎじゃないですか?」

「その都度処理をしなければこうなるのは自明の理だ」

「オレ、事務仕事なんてしたこともないんですが」

「そこは勿論お教えするとも。ただし最初の分だけだ。そこから先は一人でやりたまえ。まあ質問は随時受け付けるから、遠慮せずなんでも聞けよ」

「はぁ……」


 さすがの量にゲンナリしたが、それでもやるより他無いのである。青鳥は椅子に座ると、書類へと向き直った。

 しかし、一枚手にしたところで、ふと大きく息をつく。それを嘆息と捉えたカメは、ちらりと青鳥に目をやった。


「どうした?」

「いや……机があるのっていいなぁと思いまして」

「青鳥君に対物性愛の心があるとは驚きだな」

「対物性愛? ……ああ、えーと、そうじゃなくてですね、今になってウサギさんの居場所を用意するって意味が分かったというか。や、その、まぁいいです。仕事をやります」

「うむ。精々役に立ってくれたまえ」


 尊大な態度も、ここまで歳上だと腹が立たないものである。青鳥は腕まくりをすると、改めて書類の山から一枚を取り出した。


 そうして数枚が片付いた頃であったか。外に遊びに出掛けていたウサギが、騒々しくドアを蹴散らして帰ってきた。


「やいコラのろまガメ、出動だぞ!!」

「なんだ、喧しいな。どうせまた同じような事件だろうに」

「違う! 今回のID消失者は既にりゅう……」


 何かを言いかけたウサギに、カメの右手が素早く彼の口を塞いだ。ウサギもすぐ奥にいる青鳥の姿に気付き、しまったという顔をする。


「りゅう……何ですか? その人も、オレと同じ立場の人なんですよね?」


 耳ざとく聞きつけた青鳥が尋ねる。オロオロして目を泳がせるウサギの口を覆ったまま、カメは平然と答えた。


「――留置所に行きたいと望んでいるんだと。そうだろ? ウサギ」

「むぅむぅ!」

「確かに、捕まる前に留置所を希望してくるヤツは初めてだな。そんなわけで、僕とアホは今から現場に行ってくる。帰ってくるまでに、その書類の山を半分は片しておくんだよ。脇目も振らず、仕事以外の事は脳に入れず、与えられた居場所を存分に堪能するといい」

「この山作ったの、ウサギさんとカメさんじゃないすか……」

「お土産買ってくるからちゃんと待ってろよ! ケーキ好きだろ? イチゴちゃんの乗ったやつ買ってきてやるよ!」

「あ、ありがとうございます……」


 二人の圧に押され、青鳥は首をカクカクと縦に振った。そうして、ウサギとカメは早足に部屋を出て行く。

 一人になった青鳥は、ともすれば深みに落ちそうになる思考を振り切りつつ、えげつない量の書類仕事に取り掛かったのである。










「粒子化が始まっているとはどういうことだ」


 ウサギへの罵倒もそこそこに、カメは問いかける。バイクにまたがったウサギは、ゴーグルを下げながら叫んだ。


「オレが分かるかよ! とにかく、北風ちゃんからそう連絡が来たんだ!」

「頼りにならん男だな、貴様は。早く出せ。この目で見て判断してやる」

「ほいじゃ掴まってろよ! 飛ぶぜぇー……!」


 ニヤリと笑うウサギは、全身が総毛立つのを感じた。エンジンの振動と、握ったハンドルの感触。巻き上がる風、浮遊感。それら全てが、彼の言い様のない高揚感をかきたてていた。


「……レッツらゴー!!」


 大型バイクは、空気を切り裂き急発進した。いくら慣れたとはいえ、後ろに座るカメはたまったものではない。老体に叩きつけられる強風に耐え、舌を噛まないように黙っていた。


 やがて、通常ではありえない速度の大型バイクは、とある公園に到着した。太陽らの手により人払いは済んでおり、辺りには眼前の光景に戸惑う警察官数名しかいない。

 彼らが囲むその中央には、撃滅機関のターゲットが崩れ落ちていた。


「あ……あ、あ」


 若い女性だった。何の特徴も無い、どこにでもいるような普通の女性である。スーツでも着せて交差点に投げ込めば、瞬く間に見失ってしまえるだろう。


 そんな彼女には、足が無かった。いや、足の代わりにスカートの裾から吐き出されていたのは、大量の粒だった。


「そんな……私、私は、ただ、恋を叶えたくて……」


 目に涙を浮かべながら、女性は呆然と言う。ウサギの後ろで、カメが舌打ちをした。


「――パターンが違う。どうなっている?」


 そう。今までは、異常を検知したという無機質な声の後に、粒子化現象が起きていたのである。粒子化しているにも関わらず、意識を保っているのは初めてだ。

 ウサギはカメに制されるより先に、バイクを飛び降りて女性に駆け寄っていった。


「大丈夫か、嬢ちゃん!」

「あ、あなたは……」

「すぐ病院に連れて行ってやる! そしたら全部良くなるから!」

「いえ、いえ、私は……」

「おい、女」


 同じくバイクから降りていたカメが、冷たい声で呼びかける。彼は彼女のすぐそばに落ちていた拳銃を拾い上げ、その中を改めていた。


「……弾が無い。貴様、どこで銃を使った?」


 その一言に、控えていた警察官らがザワつき始めた。

 女性の顔から色が消える。彼女の目が、ぎこちない動きで後ろの植え込みに向けられた。

 即座にウサギが視線を追って、植え込みを覗き込んだ。瞬間、彼は息を呑む。


 そこには、とっくに事切れた一人の男が胸から血を流して倒れていた。


 ――とうとう、死人が出てしまったのだ。


「だって! 彼はずっと私と付き合ってきたのに、彼は私の事を知らないって言うのよ!? 私なんて顔も知らないって……! だから……だから!」


 女性は取り乱し、叫んでいる。その間にも、ぶくぶくと粒子化は進んでいる。


「なんで!? なんで彼の名前が出てこないの!? 殺すほど好きだったのに、思い出が無いの! 初めて出会った場所は!? 初めてキスした場所は!? 顔も……顔すら……!!」


 もはや、ツブが服を着ているようだ。残された口を懸命に動かしながら、最後まで彼女は悲鳴を上げ続けていた。


「ああ……ごめんなさい……」


 プツンと声が途切れる。とうとう口にまで粒子化が及んだのだ。


 警察官が幾人もいる公園が、静まり返る。誰も、何も話すことができないでいた。


 ――いや、死人が出たのだ。ウサギはハッと我に返ると、もう一度彼の姿を確認すべく植え込みに戻った。

 しかし、そこにあった事実にウサギはまた驚愕する。


「なんだよ、コレ……!?」


 男は確かに死んでいた。大量の粒を、右の袖口から溢れさせながら。


 ――これは、なんだ?

 オレ達は何を見せられているんだ?


 拳を握るウサギに、カメはようやく脳から絞り出した言葉を投げつける。


「……比丘田の茶番だな。僕らは、ヤツの人形劇の観客となっていたんだ」


 それが正しいかどうかは分からない。ただ、無性にウサギは腹立たしかった。


 人の尊厳を踏みにじるどこかの誰かに、耐え難い怒りを燃やしていた。

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