第70話 激しき赫怒

「はぁ…はぁ…はぁ…」


紅桜に全力の魔法を放ったことで若干、魔力欠乏を起こしているシノア。

しかし、刀を杖代わりにして戦う姿勢は崩していない。


にも関わらず紅桜の神速の動きを視認することもできず首を掴まれ身体を宙に浮かせることとなった。

攻撃がくればすぐにでも対応できると自負していたシノアだったが、彼女の動きは今までの比ではなくシノアが反応できる速度をはるかに超えていた。


「がはっ?!く…くそっ…」

「…坊や、確かに私は殺されたいといったわ」


静かな声色の中に流れ落ちる滝のような激情を含んだ言葉を放つ紅桜。

その眼は今までで一番鋭く、触れるだけで凍ってしまうのではと錯覚させるほどに冷たかった。


「さっきの攻撃はさすがの私も死を覚悟したわ。でもね、私の権能は“斬る”こと。それのみに特化している代わりに何もかもを思いのままに切り裂ける。それが魔法のような事象であったとしても」


先ほどの攻撃を受けてもなお、ほとんど無傷の紅桜がその理由を語り、シノアは驚きのあまり目を見開いた。


事象を切り裂く─それはすなわち自分が望まない結果を否定し拒絶するという法則制御の究極完成体である。

その前には生半可な魔法など意味をなさず、事象そのものに干渉できる術を持たねば一方的にやられるのみだということを示している。


「それに─」


だんだんとシノアの首にかけた手に力を込めながら紅桜は先ほど言いかけた言葉を紡いだ。


「─私は斬り殺されたいのよ」


その言葉と共にシノアを放り投げ血の海に大きな波紋を生み出した。

一方、投げられたほうのシノアは久方ぶりに供給された酸素を身体全体に感じ、もだえ苦しみながらもなんとか立ち上がり、紅桜へと向き直った。

しかし、あれほどの大魔法を行使し自身の魔力量の限界を超えて戦い続けたシノアにダメージがないわけがない。


「くふっ…がっ…がはっ?!」


右眼が燃えるように呻り、口から大量に吐血し苦しそうに咳き込み始めたのだ。


「限界かしらね。その子の真の力を引き出せたことは称賛に値するけれど、それ以上命を燃やして戦えば…坊や死ぬわよ」


わけもわからず片眼を押さえていたシノアだったが、紅桜からの言葉と自ずの手に握られた相棒を見て自分の運命を悟った。


今までシノアがとてつもない魔力量を操ることができたのは桜小町に込められた無尽蔵の魔力があったからである。

それに加えて、紅桜の視認すら不可能なスピードや鋼鉄すら一突きで打ち砕く強烈なパワーに耐えられてきたのも、生命エネルギーを代償に桜小町の秘儀を行使してきたからだ。


桜小町─真名を村正と云うこの刀は紅桜と対になる伝説の妖刀である。

かつてネクロマンサーと呼ばれた男が愛用した二振りの刀はそれぞれ、“斬る”ことと“放つ”ことに特化していた。

使用者に宿りその力を授ける紅桜に対し、使用者の生命エネルギー…魂を吸い取り、肉体的にも精神的にも超強化する村正。

どちらが使用者に負担をかけるかは言うまでもないだろう。


「…ッ…僕…は…」


血を吐きながらか細い声でゆっくりと声を紡ぎ始めるシノア。

静かでありながら力のこもったその声色に紅桜は自然と耳を傾ける。


「…僕は…もう…生きる価値なんて…ない…」


緋色の涙を両目からこぼしながら吐き出された言葉たちは深い悲しみを宿していた。

それは単なる自虐的なものではなく、大切なものを自分のせいで失ったという複雑な感情を持ち合わせている。


「はじめて…初めて大切だと思える存在ができた…それなのに僕は…守られて…その人が目の前で冷たくなっていくのを…ただ見ていることしかできなかった…」


その脳裏に浮かぶのは生まれて初めて裏表のない笑顔でシノアを包みこんでくれた大切な人。

肉親の母親よりも深く愛し、心を許したかけがえのない存在。

だが今、彼女は静かに眠っている。


「あの人を失って気付いたんだ…僕にとってはあの人の存在がすべてだと…あの人のいない世界に生きている価値など─」


段々と強くなる語気と共にその眼に宿る炎も激しさを増していく。

それはすなわち権能の強化─自分自身の魂そのものを燃やし、さらなる強さを求めようとする自殺行為だ。


「─ありはしないッッ!!」


その言葉を置き去りに紅桜へと斬りかかるシノア。

今までが子供の児戯に思えるほどの速さ、攻撃の重さをもってして自身の全力を超える力でぶつかる。

その攻撃をぶつけられた紅桜はしばらく涼しい顔をしていたが、シノアの赫怒をその身に感じ歓喜のあまりその口を三日月のように吊り上げた。


「ふふ…そうよ。そうこなくっちゃね。お互いの命を懸け、勝っても死ぬ負けても死ぬ、究極の死合が私はしたかったのよ」


喜びに打ち震え、今まで以上の殺気を滾らせる紅桜。

それを一身に受けても尚、堂々と刀を構えるのは命の灯火を右眼に宿した哀れな死神だ。


「いらっしゃい坊や。今までとは比べ物にならないほど全力で殺して愛でてあげるわ…」


そして、紅と蒼の閃光が交錯する。

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