第57話 家族の拒絶

「それじゃあ僕はアルクさんの様子を見てくるから、おとなしくしておくんだよ?」

「うん!また来てね、シノアお兄ちゃん!」


元気に手を振りながら満面の笑みを浮かべているのはアルクの妹であるミーシャだ。

シーツを被り暗い表情をしていた彼女は今ではすっかり元気になり、シノアが与えたアッピュリオを口いっぱいに頬張っている。


そんな彼女を見て安心したシノアは、アルクの様子を見にいくためミーシャの部屋を後にした。


アルクが眠っていた部屋に戻ると、彼はちょうど目が覚めたようで大きく伸びをしているところだった。


「ふわぁ~…おはようシノア君。寝かせてくれて助かったよ」

「いえいえ、少しでも休めたようでよかったです」


その言葉に微笑むアルクだったが、シノアが持つ割れたカップを乗せたおぼんを見て表情を曇らせる。妹の部屋に行ったことを察したのだ。


「ミーシャに会ったんだね。大丈夫だったかい?」


アルクの視線は微かに血の付着したシノアの外套に固定されており、その目は悲しげに憂いを含んでいた。

すなわちまた誰かを傷付けてしまったのか、と。

自分の大切な妹が病気のせいとはいえ他人を傷付けるというのは、兄からすれば耐え難い苦痛だろう。

妹がそれによりどれほど苦しんでいるかを知っているがゆえに、救えない自分自身の無力さを嘆くのだ。


シノアはそんな彼の手を握り優しく語り始めた。


「アルクさん…僕は以前、ある村で病気にかかった男の人と会いました」


ゆっくりとしたシノアの語り口にアルクは思わず耳を傾け、その視線を美しい紅宝玉ルビー色の瞳に絡めとられた。


「その人の病気は吐く息に霧状の毒が含まれるという難病で、それのせいで何人かの村人を殺してしまったと、とても後悔し苦しんでいました」


吐毒病─前世風に言うならば、後天性呼吸器不全異常症といったところか。

汚染された空気や水を長期間摂取することで稀に起きるこの奇病は、名前からその危険性が垣間見える。

この病にかかったが最期、死を待つのみとなる。

治療法は現段階では見つかっておらず魔法や錬金術による薬も一切効果がない難病だ。

だが、この病の厄介な点はそこではないのだ。


「この病気の恐ろしいところは病気にかかっている人には全く影響がないってことなんです」

「病気なのに影響がない…?」


アルクの言葉にシノアは静かにうなずくと話を続ける。


「吐毒病の人は身体の中に毒に対する免疫が作られているので、自分自身が吐いた毒で死ぬことはありません。自分が吐いた息で周りの人間が死に初めてようやく、その病に気付くとこができるんです」


シノアの言葉に思わず絶句するアルク。

無理もないだろう。自分はのうのうと健康的に生きながら、他人を無意識のうちに死に追いやるなど、常人ならば発狂するような出来事だ。


「その人は病気になって一か月が経過していました。幸い、僕は神聖魔法で吐かれた毒を無効化できたのでその村全体を浄化、病気の男の人に呼吸用の魔導具を取り付けて短い時間ですが、家族と話せるようにしました」


約一か月ぶりの家族との再会、本来なら涙を誘うような場面だが、現実はそう甘くない。

久しぶりに会った家族から男性に贈られたのは、侮蔑と蔑みの視線、そして辛辣な言葉だった。


「…それは、なんというか…家族に対する言葉ではないね」


アルクの口から思わず出た一言にシノアはうなずくと、怖いほどに無表情で話を再開する。


「その家族─男性の奥さんと娘さんは男性に死で償うことを要求しました。死こそが犯した罪に相応の罰であると」


男性の罪とは自分の娘の恋人とその子供を殺害・・したこと。家族殺しはどこの世界でも重罪である。


「男性は死刑執行の日の前日、僕の目の前で自ら命を絶ちました。涙を流しながら何度も何度も謝って…その謝罪が誰に向けられていたのか、今でもわかりません」


ゴクリ…と、生唾を飲み込む音が響きアルクの緊張は高まっていく。初めて見るシノアの表情、その声色は何の感情も宿していないはずだが、見る者聞く者の恐怖を最大限に煽り立てる。


「彼の死体を見た家族は、最愛の人を失った悲しみに満たされるわけでも、愛すべき父親を亡くした悲壮感に暮れることもなく、ただ一言…“腐る前に処分しなきゃ”と」


部屋全体の温度がまるで零度以下になったかのように、アルクの体感温度は急降下していた。それはシノアの語り口だけでなく、だんだんと濃密になってきたその殺気が原因だろう。


「僕は生まれてこの方、家族というものがわからなくて…彼らを見て少し失望しましたよ。血のつながりはこれほど弱いのか、死別すら悲しむに値しなくなるのか…と」


シノアの口からそれ以上その家族のことが語られることはなかった。

だが、彼から漂う殺気やその冷たい声色が結末を物語っている。


「…少し話がそれましたね。僕が言いたかったのは、家族に理解されないことほど苦しいものはないってことですよ」


少しの沈黙の後、普段の優しげな表情と声色がシノアに戻ったことでアルクの緊張が解け、ダイヤモンドのようにこり固まっていた空気が柔らかくなる。


「あの男の人はどの道死ぬほかなかった…でも、家族に受け入れられて優しい死を迎えるのと、家族から拒絶され孤独に死をむかえるのとでは、果たしてどちらがいい死に方なんでしょうね…」

「そうだね。だから僕もミーシャのありのままを受け入れてやるべき…だね」


アルクの言葉にシノアは嬉しそうにうなずき、少しだけ気恥ずかしそうに訂正を入れた。


「まぁ、ミーシャちゃんは薬もあるし、助かるんですけどね。あ、そうだ、それから─」


ミーシャの話題に戻ったことでシノアは錬金術師から支持されていた内容を思い出し、アルクへ栄養剤と睡眠薬を渡し急いで錬金術師の家に向かわなければならないことを告げる。


「ほ、ほんとうかい?なんていうか…本当にすごい人だったんだな…」

「あの人は何者なんですか?村の人には見えなかったんですが…」

「あぁ、最近この村に家を買った人でね。なんでも若い頃に遠い東の国で錬金術を極めて、年老いてからは恵まれない人なんかに食事や薬を無償で提供しているって話だったから…あまりにも胡散臭すぎて信じていなかったんだけれど、どうやら噂は本当のようだね」


渡りに船、地獄に仏、異世界に親切老婆とはまさにこのこと。

あまりにもタイミングが良すぎるが、たまにはこんなのもいいだろう。


シノアの話を聞いたアルクはさっそく妹を隣の部屋から連れ出し、支度をさせる。


「おにいちゃん、どこいくの?」

「あぁ、病気が治るんだ。もう大丈夫、痛い思いも苦しいこともなにもないんだ」


思わず涙をこぼしそうになるアルクだったが、なんとかこらえ妹の手を握りドアの前に立つ。

泣くのはすべて終わってからである。


ミーシャの用意ができたことを確認したシノアは玄関のドアを開け二人を先導する。


災厄の訪れは近い。

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