スタンピード

 アルスたちがエリセンの街を経つ数日前――ヴァルシャ帝国の帝都アマデウスにある帝城のとある一画にて、泡色のドレスに身を包んだ金髪の女性――ルーシェは、今日も今日とてお茶を楽しんでいた。

 勿論、彼女の耳にもグリューセルの街付近にあるダンジョンに異変が起きたという話はすでに届いていた。それにも関わらずこうして優雅にお茶をしているのは、この行い自体が彼女にとって必要な事だからである。


 人間、他人と関わり合おうとすれば、心に負担がかかる。何故なら他人とは、自身の意のままに行動しない存在だからである。故にすれ違いなどが生じて、ストレスが発生する。勿論、そう言うのを嫌って孤独を望む者もいる。しかし、ルーシェの立場上それは許されない。それは彼女が人の上に立っていなければならない存在であるからだ。人の上に立つ存在だからこそ、常に人目に晒され、彼等の思惑が彼女に差し掛かる。故に彼女は常人よりも心身ともに負担が大きいのである。

 そして、そう言った心の行き詰まりから一時的に逃れる術を人間誰しも一つは備えている。例えば、運動などと言った、身体を動かす事で気を紛らわせるなど、要はメンタルケアであり、彼女の場合、それがお茶を楽しむ事だったのだ。


 外の優しい風に当てられながら、メイドが淹れた紅茶を五感で楽しむ事で彼女は、一時的とは言え、重圧から解放されるのだ。


 故に彼女は真の意味で帝国の危機が訪れない限りは、この行事を止めることはあり得ないのだ。






 お茶を始めてから暫く経ち、ティーポットの中身が底をつきかけようとした頃――ルーシェのもとに一人の騎士が姿を現した。


 普段であれば、許可も無しに憩いの場に立ち入り、息抜きの邪魔をした騎士に対して叱るべきだが、その表情は至って真剣なものであり、何やら大事な話であると察した彼女は、紅茶の入ったティーカップへと伸ばす手を下ろすと、横目で騎士を見やり、話せと訴えかける。


「グリューセル付近のダンジョンの事で報告があります!」

「ふむ。何か進展でもあったか?」

「いえ。ダンジョンの活性化については未だ原因が掴めぬままでありますが、如何やらダンジョン内の魔物が外へ出て来て、グリューセルへと進行を始めており、このままではグリューセルどころか……」

「……帝都まで向かってくる可能性があるか……」

「はっ!」


 グリューセルの街と帝都アマデウスは、直線上の距離であり、その間に森や川などの障害物は一切なく、馬車で最短、五日ほどで着いてしまう距離である。

 つまり、このまま魔物の進行が進みグリューセルの街が落とされれば、最悪その五日後には同様に帝都にも危険が及ぶ可能性が十分にあるのだ。

 故に事が起きる前に魔物の進行を止めなければならない。


「ギュスタードにこの話は?」

「はっ! サリエリ宰相閣下には、既に別の者が報告に向かいました!」

「成る程……よしっ! すぐに馬の用意を! 私も行こう」

「……宜しいので?」

「うむ。事が済んだらギュスタードの奴に色々小言を言われるかもしれないが、そんなのは些細な事だ。何より、民の平和を守ってこその我々であるからな!」


 そう言って意を決した彼女はどこか暗い表情をしていた。

 無理もない――何故なら、帝都からグリューセルまでの距離よりダンジョンからグリューセルまでの距離の方が近いので、彼女たちがグリューセルへと着いた頃にはすでに戦場の海と化しているからだ。

 そうなると住民に被害が及ぶ可能性があり、彼女はそれを気にしているのだ。

 しかし、それを察してか否か騎士は話す――如何やら街に残った騎士や冒険者たちが住民の避難を始めており、彼等に被害が及ぶ事は無いとの事であった。

 それを聞いた彼女は「そうか」と一言、安堵の息をこぼすと、再び決意に満ちた顔をする。そして――


「では行くぞ! グリューセルへ――」


 そこにはもう、先程までの暗さは一切なかった。

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