滅亡読書論

 6月のとある日曜日に、私は図書館へと向かった。


 私が住む市の西端にあるその図書館は、50年近く前に建てられたそうで、新しくもないけれど古めかしくもない、どっちつかずの姿を見せてくれている。


 顔なじみの司書さんに挨拶をして、私はいつもの様に東側に並ぶ窓側の席の1つに陣取った。


 窓からは、図書館の前に広がる公園や、その奥にある住宅街が見える。公園の中央には噴水があって、チロチロと水が流れているのを時々眺めながら、図書館の本を読むのが、私は好きだ。


 荷物を席にいったん置くと、財布とスマホだけはしっかりと持って、今日読む本を捜しに、本棚の森へと向かう。


 足は自然と小説の置いてある場所へと向けられる。学術書を読むときもあるけれど、それはよっぽど知識欲に乾いている時だけ。高校のつまらない授業で事足りている時は、どうしても小説を読みたくなってしまう。


 本棚と本棚の間をゆっくりと歩きながら、どれか良い小説はないかと目を皿の様にして、並べられた本を眺めていると、本棚の上段部分に置かれていた緑色の背表紙が目に留まった。


『滅亡読書論』というのがその本のタイトルだった。作者名はノー・クレジット。冗談ではなくて、本当に作者名が「ノー・クレジット」なのだ。


 いかにも馬鹿げているその名前に、私は思わずクスリとしてしまう。


 気に入った、読もう。


 心は簡単にノー・クレジット氏のセンスに傾き、私は背伸びをして、何とか本を取り出した。


 眺めている時はそれほどでもなかったのだが、実際に手に取ってみると、思ったよりも分厚く重かった。長編なら大変だなと思いつつ、パラパラと最初のページを捲ってみて、ホッとした。


 目次には、沢山の小説の題名が列挙されていた。「滅亡読書論」もあれば「滅亡アシスト」、「滅亡キャットフード」に「滅亡落単」等々、偏執狂かと思うほど「滅亡」という言葉に拘ったラインナップだ。全部で30作品はあるだろうか。


 これは丁度良いや、と思って、私はイソイソと、荷物を置いた席へと戻った。


 ドッカリと腰を下ろして、ふと窓を見やると、噴水の周りで子ども達が遊んでいる。その周りでは、犬の散歩をしている老人や、恋人らしい2人連れがベンチで楽しくおしゃべりをしたりしている。


 いつもと変わらない、どこか詰まらないけれど安心する光景だった。


 私はフッと顔を綻ばせると、そのまま視線を机の上に置いた本へと向けた。


「じゃあ、読みましょうか」


 私はそう宣言すると、本の表紙をパラリと開けた。




 一番初めにあったのは、表題の「滅亡読書論」だった。


 若い図書館司書が、世界が彼の世代で滅亡するという曽祖父からの予言を間に受けて、滅亡するまでの間に、いかなる読書をして過ごすべきなのかを綴る、という体裁の物語だった。


「祖父の予言は絶対だ。僕はそう思う。それならば、司書である僕に出来る事は、いつ起きるかわからない、けれども必ず来る滅亡に向けて、これからいかなる読書をすべきなのかをネットに記しておく事なのだと思う」


 主人公の「僕」はそんな使命感を持って、わざわざネットに「滅亡読書論」というサイトを立ち上げて、来るべき滅亡に備えた読書論を展開して行くのだった。


 曰く、自分の知識に対する欲望に従って本を読むべきだ、曰く、眠る時以外の全ての活動において活字を拾い続けるべきだ、曰く、自分が現在進行形で行っている読書がいかに滅亡へと結びつけられているのかを把握しておくべきだ等々……。


 勿論、こんな意見に耳を貸す人は殆どいない。大多数の人が、彼の意見を無視し、ごく少数の人が彼の意見を嘲ったり罵倒した。


 けれども、「僕」はそんな事にはめげずに、日常における司書の業務をこなしながら、淡々と「滅亡読書論」を記し続けて行く。


 そんな営みを続けている内に、やがて、「僕」の意見に賛同する人々が現れる。すると、彼等は「僕」の「滅亡読書論」を他の人々に広げる活動を始めた。そうこうして行く内に、彼の「滅亡読書論」はどんどんと広がって行き、気付けば多くの人々が「滅亡読書論」を実行しているという事に気が付く。


 その様を見て、彼は内心でこう思うのだ。


「僕は、図書館へ通う人々が「滅亡読書論」の内容をしっかりと実践しているのを見て、とても穏やかな気持ちになった。人々は「滅亡読書論」を支持している。ならば、この世界はその内滅亡するに違いない。結局のところ、人類が滅亡するのかどうかは、人類がその事象を信じるかどうかにかかっているのだ。そして、人類は今、滅亡を夢物語ではなく、現実の物として受け止めている。彼等は、漸く、僕や曽祖父と同じ土俵に上がる事が出来たのだ。約束の日は、近い」


 そこで、この物語は終わっている。


 読み終わってから改めて最後のページ番号を確認すると、66ページと記されていた。


 別に世界が実際に滅亡する訳ではなかったが、その予感に満ちた最後が、何だか私をとてもワクワクさせた。


 まるで本当に、今ある世界がこれから滅亡するのではないかと思わせる様な、そんな終わり方だったのだ。


 私は一旦、本にしおりを挟むと、目を閉じて伸びをした。


 短編は面白いのだが、1作品読むとどうしても疲れてしまう。


 だから、こうして1作品毎に目を閉じて背伸びをするのだ。


 思いっきり伸びをすると、そのまま顔を上に向ける。そこでゆっくりと目を開けて、図書館の天井を見ようとした。


「あれ?」


 思わずそんな言葉が口から洩れ、ピタリと身体の動きが止まった。


 いつもなら、クリーム色の天井が見えるのだが、その代わりに驚くほど青い空が私の視界に飛び込んで来た。


 ソフトクリームの様な雲がフワフワと浮いているのがはっきりと見える。


「天井、どうしたんだろう?」


 目の前の光景の意味がわからず、私は視線をそのまま前方へと向けた。


「え?」


 私は再び素っ頓狂な声を上げていた。


 目の前には、図書館なんてなかった。


 あるのは、ボロボロになった廃墟の様な建物だった。


 周りには本棚の残骸が散らばり、大勢の本たちが部屋一面に散らかっていた。


「な、何?」


 意味が分からずに、私は窓の方を見やった。


 そこには公園と住宅街が見える筈だった。


 けれども、見えたのは、真っ黒に焼け焦げた、どこまでも続く黒い焦土の地平だった。


 私は思わず、立ち上がった。


 ガタッという音が、やけに廃墟の中で響き、同時に焼け焦げた床にスマホがカツンと落ちた。


 慌てて拾い上げて画面を見る。液晶は付いたが、左上にあるべき電波を示す記号は「圏外」表示になっている。


 カレンダーのアプリを開いて、今日がいつなのかを見る。


 2019年6月8日。


 間違いなく、今日だ。


 心臓が早鐘の様に鳴り始めた。


 よくわからないが、何か酷くまずい事が、たった1つの短編小説を読んでいる間に起ったらしい事だけは分かった。


 頭がクラクラして、急に世界と自分との距離感がわからなくなって来た。


「う、ウソでしょ……」


 私はクルリと後ろを振り向き、大きな声で叫んだ。


「ねぇ、誰かいませんか? 一体、どうなっているの? 誰か? 誰かいないの?」


 でも、その声は空しく廃墟の中に響いて消えて行くばかりだった。


 私は力なく椅子に座り直すと、目の前の机に置かれた本を見やった。


 震える手で、取る。


「滅亡読書論」という表紙が見える。最初に見た時よりも、どことなくすすけている様に思えるのは、気のせいなのだろうか。


 誰もいない廃墟の中で、私はゆっくりと本を開けた。


「こんなの、ウソだよ……」


 そう呟きながら、私は再び最初から、「滅亡読書論」を読み始めた。


 目の前に広がる現実げんそうから、いち早く逃避するために……。

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