蜜柑を食べる

 嫌な事があると、会社帰りに蜜柑を買う事にしている。

 

 蜜柑がなければ、オレンジでも良いのだけれど、むくのが大変なので好きではない。 

 

 手軽に剥ける蜜柑の方が、私は好きだ。人生、簡単な事の連続の方が楽だし心穏やかでいられる。周りの世界がどうにも仕方のないほど困難に満ち溢れているのだから、せめて、自分でコントロールできる部分くらいは楽にしていたい。


 そんな思いから、今日も私は1籠350円の蜜柑をスーパーで買った。


 小粒の蜜柑がザッと見て7、8個は入っている。一晩で食べるには、十分だろう。


 


 スーパーから家に帰ると、私はパンプスを脱ぎ捨てて、そのまま居間へと向かう。パンプスが規則だなんて本当に頭の悪い会社に入った物だと思うのだが、給料は良いので、止められずにいる。それでも家に帰ってパンプスを脱いだ瞬間の解放感は異様なほどで、やっぱり、私はパンプスが嫌いなのだといつも実感する。


 玄関から続く廊下を電気をつけながら進み、奥の扉を開けて横にあるスイッチを押すと、出かけた時のままの居間が視界に入る。


 中央に小さなテーブルがあるので、その上に蜜柑を置くと、傍にある椅子を引き寄せてどっかりと座った。


 右側にはベッドが置かれ、左側にはテレビや食器棚、それに大学生時代の名残で、小さな本棚がある。本棚の中には、漫画や小説がギュウギュウに詰められているが、ここ最近、手に取って読んだりはしていない。


 窓を開けて喚起をしようかとも思ったが、面倒くさかったので、そのまま蜜柑を食べる事にした。


 袋から1つ、適当に蜜柑を出す。オレンジ色の丸っこい物体を、私は暫く繁々と眺めていたが、やがて親指を突き刺すと、一心に剥き始めた。


 皮を剥いていると、今日、会社であった嫌な事が色々と思い出されて来た。


 ウザい上司からは書類のミスでネチネチと嫌味を言われたし、甲高い声だけが取り柄で仕事はさっぱりの同僚から下らない人生訓を聞かされたり、入社して1年にもなるのに、未だにまともに書類の処理も出来ない後輩にもう何度目かわからない説明を与えたり……。


 どうして、会社というのはこうも厭な人間ばかりなのだろう? 給料が良いから我慢はしているが、そうでなければとっくの昔に辞めていたはずだ。


「皆、死んじゃえば良いのにねぇ……」


 誰に言うともなく呟くと、丁度、蜜柑の皮が剥けた。


 そこで、中身を取り出し、机の上に置いた。


 思わず、笑みが零れる。


 そこにおかれたのは、一糸まとわぬ小さな女性だった。今日は黒髪をショートボブに整えた、20代前半くらいの女性だった。瞳は何故か青と紫のオッドアイだ。唇はふっくらとしており、肌は透き通る様に白い。顔も均整が取れており、パッチリとした二重瞼が実に可愛らしい。


 どうやら、良い蜜柑農家に当たったらしい。


 これが外れると、人間とは違う得体の知れない生物が出て来たりするので油断がならないのだが、今日は大当たりだった様だ。


 私は、オドオドした顔をしている女性を暫く見つめていたが、やがてソッと右手で掴むと、そのまま口元へと持って行く。


 途端に、女性の顔が恐怖で満たされた。


 その様を見て、私は身体全体がゾクゾクするのを覚えた。


 「そうそう、その顔。蜜柑はこうでなくっちゃね」


 私は女性に語りかける様に呟くと、そのまま彼女の首を噛み千切った。


 悲鳴は聞こえない。蜜柑は喋らないのだ。


 ただ、コキュコキュという独特の噛み応えと共に、ジンワリと甘い蜜柑の味が口中に満ちて行く。


 目の前には、首の千切れ目からトクトクと紅の血を流し、ビクビクとまるで死にかけの魚か何かの様に痙攣している女性の身体があった。


 テーブルに血が落ちるのはもったいないので、慌てて私は傷口から血を思いっきり吸った。


 チュルチュルと血を吸うと、口に果汁が溜まるのがわかった。


 今年の蜜柑は出来が良い様で、サラサラとした果汁がとても甘い。


 私はそのまま、残りの女性の身体をクリクリと丸めて、ポイッと口の中に放り込んだ。


 コキュコキュバキュバキュと口の中で音がする。この音と歯ごたえが、また楽しい。


 十分にコキュコキュバキュバキュ言わせてから、クイッと一気に呑みこむと、胃の中へ蜜柑が流れ込むのが分かった。


「今日の蜜柑、美味しいなぁ」


 思わず呟いてしまう。


 こんなに美味しい蜜柑を食べていると、今日あった嫌な事が、少しだけ薄れる様な気がする。


 私は手に付いた血をティッシュで丁寧に拭くと、休む事なく、袋から2個目の蜜柑を取り出した。


 よくよく数えると、いま取り出した蜜柑と合わせて、まだ7個残っている。


「たくさんあるんだし、ゆっくり食べないとね」


 何と言っても、今の生活の中で一番楽しい時間なのだ。


 あっという間に終わってしまったら、勿体ないではないか。


 蜜柑の皮を剥きながら、私は気分がウキウキして来るのが分かった。


 さぁ、次はどんな人が出て来るのかな? 


 どういう風に噛み千切ろうかな? 


 噛み千切られる瞬間、その人はどんな顔をするのかな?


 私は胸をときめかせながら、蜜柑の皮を剥き続ける。


 そして、思わずこう呟くのだった。


 「やっぱり、蜜柑は止められないなぁ……」


 

 


 


 


 

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