カーテンレール

 引っ越しをしたら、真っ先に買うべきはカーテンだ。新しい住まいに引き移ったならば、可能な限り早く、カーテンレールのあるすべての場所にカーテンを掛けるべきなのだ。


 5年ほど前、私は就職を機に、それまで暮らしていた学生アパートから、職場に近いマンションへと引っ越した。


 引っ越したのは、1人暮らし専用のマンションの3階だった。間取りは1LDKで、玄関から短い廊下を通って寝起きする部屋へと向かう、という構造になっていた。


 言ってしまえば、どこにでもある普通の部屋だったのだが、一番の決め手は、南向きにベランダが付いている事だった。南向きであれば、洗濯物を干してもすぐ乾くし、何よりも明るくて良い。そんな考えもあって、私は内見を済ませるとすぐにその部屋に入る事に決めたのであった。


 引っ越し自体は順調に行った。元々、そんなに荷物が多い訳ではなかったので、案外簡単に済ます事が出来たのだが、1つだけ問題が発生した。


 それまで暮らしていた学生マンションには窓が1ヶ所しかなかったので、カーテンもその窓にかけるための1セットしかなかった。


 ところが、新しく引っ越した部屋には、南側と東側に窓があり、持って来たカーテンの大きさにピッタリ合ったのは東側だったので、自然と南側の窓にはカーテンがない状態となってしまったのである。

 

 本来であれば、すぐにカーテンを買うべき所なのだろうが、会社のある平日にはクタクタになって帰って来るため、それからもう一度、カーテンを見に出かける気にはならなかった。


 ならば休日はどうかと言えば、こちらもまた、わざわざカーテンだけのために出かけるのが億劫だった。


 そのため、1週間が経っても、2週間が経っても、南側の窓にカーテンが引かれる事はなかった。


 それどころか、私はそこにカーテンが引かれていないのを良い事に、カーテンレールにハンガーを何本も引っかけて、洗濯物を干す場所にしてしまったのだった。


 これが案外しっくりと行って、正直、わざわざベランダに出て干すより楽な事もあり、いつしかカーテンレールに洗濯物が干される、という光景が常態化して行ったのであった。


 これもひとえに、私の自堕落さが原因なのだが、当時は、楽だしこれで良いだろうくらいにしか思っていなかった。いや、むしろ、こういう画期的なカーテンレールの使用方法を考えて、密かに悦に入っているくらいだったのである。


 ところが、そんな状況を一変させる出来事が起きた。


 それは、アパートに入って1ヶ月ほど経過した時の事であった。


 その頃になると、会社からの帰りが遅くなる事もしばしばになっており、その日も、私は午後11時過ぎくらいにマンションの自室に到着したのであった。


 いつもの様に鍵をガチャガチャとやって扉を開け、中に入る。そうすると、シーンと静まり返った暗闇が私を出迎えてくれる筈だったのだが、その日に限って、様子がおかしかった。


 玄関の扉を開けて中に入った瞬間、奥の方から、音が微かに聞こえて来たのだ。


 ギィギィギィィ、ギィギィギィィ……。


 そんな、何かが軋んでいる様な音だった。

 

 会社帰りでヘトヘトになっていた筈なのだが、その音を聞いた途端に、身体全体に緊張が走るのが分かった。


 それまで、こんな音を自室で聞いた事がなかったのだ。


 誰かが部屋に居る。


 私はそう考えて、ゆっくりと足音を忍ばせて玄関から居間へと続く廊下を歩いて行った。


 居間と廊下を繋ぐ扉は閉まっていた。


 私は静かにドアノブを掴むと、もう一度、耳を澄ませてみた。


 ギィギィギィィ、ギィギィギィィ……。


 先ほどよりも大きな、何かが軋む音が聞こえた。


 私はその場で、ゆっくりと深呼吸をすると、一気にドアを開けた。


「そこに誰か……」


 居るのか、と叫ぼうと思ったのだが、言葉は途中で止まってしまった。


 扉を開けると、真正面に南側の窓が見えた。


 その窓の近くで、首を吊っている複数の人影が見えたのだ。


 顔は暗くて判らなかった。だが、私が入りながら声を上げた途端に、その人影たちが、クルッとこちらを向いた様な気がした。


 その様子を見て、私は悲鳴すら上げられずに手近にある筈のスイッチを捜して、乱暴に押した。


 すると、部屋の中が明るくなったのだが、途端に、首を吊った人影達の姿は消え、いつもの様にカーテンレールに服をかけたハンガーがぶらさがっているのが見えるだけとなっていた。


 どうやら、暗闇の中でそのハンガーを人と見間違えてしまったらしい。


 そう気付くと、途端に緊張が身体から抜けるのがわかった。


 何だ、勘違いか。


 幽霊の姿見たり枯れ尾花、とは良く言った物だ。


 そう胸を撫で下ろした時だった。


 目の前にかかっていたハンガーが、風もないのに一斉に揺れた。


 同時に、ギィギィギィィ、というあの音が、部屋の中一杯に鳴り響いたのであった。




 その日以降、私はカーテンレールにハンガーをかけるのを止め、その週の休日にはカーテンを買って南側の窓にかけた。


 それからは、南側の窓で何かおかしな事が起こる、という事はなくなった。


 だから、引っ越しをしたらすぐに、全てのカーテンレールにカーテンをかけるべきなのだ。


 さもなければ、その窓でどんな事が起こるのか、わかった物ではないのだから。


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます