鳥居

 大学生の頃に下宿をしていたアパートから歩いて5分ほどの場所に、小さな神社があり、その入り口に赤い鳥居が立っていた。


 大学に入った当初、僕はその赤い鳥居の前を自転車で良く通っていた。鳥居の前を通るルートが一番、大学と下宿の行き帰りに便利だったからだ。


 朝と夕方に鳥居の前を行き来している内に、いつしかその光景は、僕の中で日常の一部となって行った。




 大学に入って半年ほどが経った時の事だ。


 僕はいつもの様に、自転車で大学へと向かっていた。


 家から出て数分で、赤い鳥居の前に出る。


 僕は何気なく、鳥居の方へと視線を向けた。


 いつもなら、鳥居の奥に小さな祠がポツンと祀られているのが遠目に見えるのだが、その日だけは違っていた。


 鳥居の前には、大勢の人が立っていた。


 スーツ姿の人もいれば、セーラー服姿の女子高生、買い物袋を提げた主婦に、腰の曲がった老人までいる。


 皆、ニコニコしながら僕の方を見ている。


 朝の9時前である。


 別にその日に神社の祭りがある訳でもない。


 それなのに、大勢の人が鳥居の前に集まって、僕の方を見ている。


 何だか胸騒ぎがして、僕は鳥居から視線を外すと、一気にその場から離れようとした。


 その時だった。


「お前も来いよ」


 耳元で、老若男女入り乱れた様な声が聞こえた。


 余りにも不意の事だったので、僕は驚いてしまい、その拍子にバランスを崩して、その場で自転車ごと倒れてしまった。


 体中が痛かったが、今の声は一体何なのだろう、という思いの方が強く、僕は辺りを見回した。


 そして、あの赤い鳥居の方へ視線を向けると、その場で凍り付いてしまった。


 赤い鳥居の前には、相変わらず大勢の人が立っていた。


 彼等は、笑っていた。


 大口を開けて、本当に愉快そうに笑っていた。


 ただし、声は全く出ていなかったのだが。


 声を出さずに、大勢の人が爆笑している様を見て、僕は一気に血の気が引いた。


 倒れた自転車を慌てて立てると、僕は極力鳥居の方は見ない様にしながら、一目散にその場から離れたのであった。




 その事があってから、僕は赤い鳥居の前をどれだけ急いでいても通る事はなくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます