第6話 婚約破棄

 ちょっと気になるフレーズが出て来た所で、一旦話を中断し、ホテルにあったバスローブっぽい物を羽織って、二人でソファに移動した。


 備え付けの電気ポットでお湯を沸かし、コーヒーの準備をする。


「あ、私やります!お砂糖とミルクはどうしますか?」


「ありがとう。じゃあ、ミルクだけ入れて貰えるかな?」


 営業などをしていると、コーヒーを飲む機会が割と多い。

 元々ブラック派だが、以前飲みすぎて、胃を壊しそうになった事から、ミルクだけは入れるようにしている。


 健康の為なんて訳では無い。

 正直、今病気になって死んでしまっても、何の未練もなく逝ける。

 自分で自分を殺すような事は、まぁ約束もあり出来ないが、今の俺は30代にして既に余生だと思っているから、いつ死んでもいい。と言うか、どうでもいいのだ。


 でも、どうせなら『ピンピンコロリ』が理想だ。

 痛い思いはしたくないよね?


 コーヒーを入れている後ろ姿を見て、こういうのいいなーと思ってしまう。

 独り身に染み渡る光景だな。くっ…なんてな。


「お待たせしました。どうぞ。」


 シズクちゃんは、コーヒーをテーブルに置き、俺の隣に座る。


 いただきます。と飲み、話の続きを聞こうと、また煙草を咥えて気付いた。


「あ、ごめんね。今更だけど煙草大丈夫?」


「はい。気にしないでください。」


 微笑みながら答えてくれた。うん、良い子だ。


 煙草の煙を長く吐き出し、続きを聞いてみる。


「さっきの話の続きだけどさ、まぁ一番気になるのは…」


「元婚約者、ですよね?」


 そうそう。

 元彼とかじゃないんだよ。

 これって結構、大事になったんじゃないか?

 婚約者って事は、もう二人だけの問題じゃなくて、周りも巻き込んでの別れだっただろうし。


「相手の人は、私の会社に出入りしていた営業さんだったんです。何度かお誘いは受けてて、でも私あまりお付き合いってした事が無かったので、男の人と二人でって抵抗があって、お断りしてたんです。」


 シズクちゃんが語ってくれた事は、二人が出逢う切っ掛けと、付き合う事になった経緯だ。


 一見よくある話だ。俺も営業だからその手の話題はよく聞く。


 でも、付き合う事になった経緯は、なんて言うか、どんな顔をして良いのか分からなかった。


 だから極力表情に出さずに、頷いて聞いていた。

 それは好きになるのも無理は無い。ある意味反則だろ。


「それから一年付き合って、婚約したのが半年前だったんです。」


 早く家族が欲しかったんです、だって。

 そりゃね、分からんでもないよ。

 そのまま上手く行けば、幸せになれただろうね。


「でも、三ヶ月前にある女の人に会ったんです。その人から圭一さん…あ、婚約者の名前です。圭一さんとはどう言う関係なのか?と詰め寄られまして。」


 あー、そう言う事か。

 寝耳に水だよな。圭一さんよ、お前は間違った。その女にも好きだー、とかお前だけだーとか言ってたんだろ。


「結局その女の人とは仲良くなったから良いんですけど、その時に色々彼の事を聞いて、この人とは家族になれないなと。それでその女の人と二人で、どういう事なのかと聞きに行って、婚約破棄をしますって。」


 仲良くなっちゃったの?!被害者同士ってやつだな。

 そうなるよな。

 向こうの親戚やら両親に話をして、正式にこの話は無かった事になったそうだ。


 シズクちゃんの親戚は?って聞いたんだけど、居ないんだってさ。

 俺も似たようなものだけど、聞いて悪かったな。


 なんて言うか、親戚が居ないって、別に自分が悪い訳では無いんだけども、人に聞かれると後ろめたい気分になる人もいるみたいだし。


 俺もさ、別れた妻の両親には、親戚が居ないって事で、初め結婚を慎重に見極められたものだ。

 まぁ、それはどうでもいいか。


 彼女は淡々と語っているが、この話は付き合い始めから含めて、思い出すのも辛い話しだろう。


 俺はこの話を聞いても、慰めて上げられる言葉を持ち合わせていない。

 だから彼女の肩を抱き寄せて、髪を撫でてあげる。


「大変だったね。」


 そんな言葉しかかけて上げられないが、今まで何の関係も無かったからこそ、色々吐き出せるんだろうと思い、黙って聞いてあげた。


 話しをしてると、多分だけどこの子は周りを心配させまいと、色々我慢してたんじゃないかな。


 シズクちゃんは、俺が髪を撫でてきた事にピクっと震え、俺を見つめてきた。


 その瞳には涙が浮かんでいた。

 そして抱きついて来たかと思うと、震えながら泣き出した。


 それはもう、堰を切ったように泣き出した。


 うんうん。泣きたいだけ泣けば良い。

 俺には何も出来ないけど。聞く事しか出来ないけどね。


 彼女の求めて止まない幸せは、暖かな家庭を築く事なのだと言うのは痛い程分かった。

 だからこそ俺は、この子と付き合う事は出来ない。

 俺が付き合おうと言えば、付き合ってくれるんじゃないかと思うけどね。自惚れじゃないよ?


 傷付いた女性に優しくすると、そういう確率が上がるってのは、定石だろ?

 そこを突いてくる悪いやつもいるわけだけど。


 この子と今後どうなるのか、今日だけなのか、それは分からないけど、俺には多分シズクちゃんを幸せにして上げる事が出来ないから、せめて笑っていられる様に接して上げよう。


 バスローブの色が、彼女の涙で濃くなっていく。

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