Ep.75 聖なる夜の災難は

「フローラ、大丈夫か!?まさか紅茶に何か……!?しっかりするんだ、とにかく口をすすいで……っ」


「ごほっ……、し……」


「え、『し』……?」


「しょっぱーいっ!」


 私を支えて背中を擦りながららしくもなく狼狽えていたフライが、ようやく咳が収まってきた私の口から飛び出したそんな間抜けな一言に唖然と固まる。気が抜けたのか、よろりと脱力したフライが椅子に座り直して項垂れた。


「なんだ、塩か……。驚かせないでよ、全く……!」


「ご、ごめっ、だって飲んだら、げほっ……しょっぱさで喉が……!」


「あー、はいはい、無理して喋らないで。ほら、とりあえず水飲みなよ」


「うぅ、ありがとう……」


 フライが差し出してくれた水を一気に飲み干すと、ビリビリしてた喉がようやく少し落ち着いた。あぁ、生き返った……!しょっぱすぎるものがこんなに喉にダメージを与えるなんて知らなかったわと間抜けな感想を抱く私を他所に、神妙な顔をしたフライがさっき床に落としたミルクティーのカップを拾い上げる。カップの底に僅かに残った塩の塊に眉を寄せたフライが、くるりと会場の方へ踵を返した。


「え!?フライどこいくの?」


「原因を調べてくる。入れ間違いだとしてもあってはならない事だ」


 そう答えつつも足は止めないフライを追いかけて、横顔を覗き込む。うわぁ、何でかわかんないけど滅茶苦茶怒ってる!

 慌ててその腕を掴んで引き留めようとするけど、フライの足は止まらない。大事にしてほしくない私は、駆け足で追いかけながら必死に話しかけ続けた。


「まっ、待って!何もそんな大袈裟な……。たかがお塩だったでしょ?それに多分入れ間違いじゃないよ。私最近こう言う地味に困る嫌がらせよくされてるから、多分今回も同じ犯人なんじゃないかな?今の所身体的な被害はないし、そんな心配してくれなくて大丈夫だよ!きゃっ!」


 と、私の説得に急にフライが立ち止まったせいで彼の背中にぶつかってしまう。急に止まらないでよ……とぶつけた鼻先を擦る私を、フライが険しい表情で見下ろしていた。


「……何その嫌がらせって、僕初耳なんだけど」


「あ、うん。内容があまりに地味すぎるし、犯人の手がかりも何もないから人に相談する程のことじゃないかなって」


「ふぅん、そうなんだ……」


 苦笑いでそう答えた私を見たまま、フライが黙り込む。沈黙が痛い……。


「じゃあこの嫌がらせの話、ライトにもまだしてないの?」


「へ?」


 しばらく沈黙した後、ようやく口を開いたフライが聞いてきたのは予想外の内容だった。ライト?何で今ライト?いや、確かにいっつもたくさん助けてもらってるし頼りにはしてるけど、流石に友達なのに一方的に甘えすぎるのはよくないと思うからこの件に関しては全く話していない。


「うん、話してないよ。ライトだって忙しいんだから、こんな下らない嫌がらせのことでまで迷惑かけられないもの」


「そう……。だったら尚更、この辺りで解決しておかないといけないね」


「ってどうしてそうなった!?待ってってば、何でフライがそんな怒ってるのーっ!?」


 ぎゅーっとマントを引っ張りながら叫ぶと、ピタリとフライの足が止まった。


「……さぁね、僕にもよくわからない。でもどのみち生徒会としても放っておけない事態だし、この件は僕が引き受けるよ」


「あっ、ちょっと待って!」


 答えになってない答えを返して再びさっさと歩きだしたフライは、『君はこれ以上は何もされないよう人が多い場所に居るように』と念を押して去っていってしまった。

 ポツンと取り残された私は、訳がわからなくて一人首をかしげる。


「フライったら、何をあんなに怒ってるんだろう……?」













__________________

 小一時間経っても、フライは戻って来ない。ご飯も堪能してしまったし、そもそも私ライトとクォーツとフライ以外に踊る相手なんか居ないし……正直暇だわ。

 ダンスホールのど真ん中で延々いろんなご令嬢ととっかえひっかえで踊っている疲れた様子のライトとクォーツの姿を眺めていると、無意識にため息が溢れる。


「折角のクリスマスパーティーなのに寂しいなー……。レインも探してもどこにも居ないし。ーっ!」


 でもまぁ、明日は冬休みもお花の世話で学院に残る私の為に皆が友達だけでのクリスマスパーティーを企画してくれたから、それを楽しみにして今日は我慢しますか~と、退屈のあまり頬杖をついて空を見上げた時だった。チラリと落ちてきた白いふわふわが窓ガラスに当たって消えたのだ。

 バッと窓に張り付いて空を見上げて、ふわり、ふわりと空からこぼれ落ちてくるそれに一気にテンションが上がる。慌てて出入り口の受け付けに預けてたコートを受け取って羽織って、人気のない中庭に飛び出した。


 空を見上げるまでもなく、柔らかな白い粒が私の鼻先に落ちて消える。ひやっとするその感触すら楽しくて、ひとりでキャっキャとはしゃぐ。


「やっぱり雪だ!!!予報じゃ降らないって言ってたけど、ホワイトクリスマスね!積もるかなぁ」


 冬咲きの花がたくさん咲く道を魔鉱石でライトアップした中庭に降り注ぐ純白の雪は綺麗で、とっても幻想的だ。せっかくのクリスマスイブ、こんな綺麗な空間を好きな人と歩けたら……なんてちょっと考えてみるけど、特に隣を歩いてほしい理想の恋の相手は思い浮かばなかった。残念だ。

 正直な話、雪の夜のクリスマスデートよりも、雪がつもったら明日のクリスマス会の前に一緒に雪遊びしたいなぁなんて妄想の方がずっと膨らむ。雪だるまとか、雪合戦とか、あとかまくらとか!


「ふふ、いっぱい積もるといいなぁ……くしゅんっ!」


 しばらくウキウキしながら降ってくる雪の中をお散歩してたけど、流石に冷えてきてくしゃみが飛び出した。ぶるっと震えながら、コートの前をぎゅっと閉める。


「コート着ててもやっぱり下がドレスじゃ寒かったか……。そろそろ帰ろ、ひとりでお庭に出てるの見られたらフライに怒られちゃう」


 テンションが落ち着いてくると、そういえばフライに人気の無いところには行くなと言われてたんだったと思い出した。会場に帰ろうと来た道を引き返した時、近くでがしゃんとなにかが割れたような音が聞こえて立ち止まる。それと同時に、なにかが焼けるような嫌な臭いが鼻をついた。


「ん?何かキナ臭い、しかも急に明るくなったような……って、きゃーっ!!」


 臭いがする方に振り向くと、なんと地面に転がった壊れたランタンからオイルが漏れて近くの木に火が燃え移っているところだった。そりゃすぐ近くで火事が起きてれば明るくもなりますよね!

 これ以上燃え広がらないように慌てて魔力で燃えてるその木に水をぶっかけると、ジュウゥ……と音を立てて火は消えた。あぁ良かった、初めて自分の魔力が水で良かったと思ったよ。会場や校舎に燃え移っちゃってたら大惨事になる所だったもんね。


「でも、何でこんな所にランタンが……?」


「すみ、ません……わた、くしが、落とし……げほっ、げほげほっ……!」


「ーっ!?大丈夫ですか!?しっかりなさって!」


 私の疑問に答えてくれた弱々しい声に振り返ったら、声の主であろう女の子がその瞬間こちらに向かって倒れこんで来た。反射的に、口調だけは皇女らしく切り替えたもののいきなりの事態に頭がついていかない。


 ただ、事態を理解するより先に彼女の体を受け止めた瞬間に感じた異様な冷気にゾワッと背筋が粟立つ。それと同時に、ぼんやりと街灯に照らされた彼女の体に妙な黒い靄がまとまりついていることに気がついた。


(なんだろう、このモヤモヤ……なんか見覚えが……あっ!)


 思い出した!ゲームで見たのだ。聖霊の力に目覚めたヒロインは、その身に宿る聖なる力のお陰で、闇に穢された者の力を黒い霧として黙視する力を手にいれる。彼女にまとわりついてるこのモヤモヤは、その時のスチル絵に写っていた“魔族”に取り入られた人々に絡み付いていた闇の力にそっくりだった。


(でも、どう見てもただの女の子にしか見えないけど……)


「さ、寒い……」


「ーっ!」


 考え込みかけて、ガチガチ歯を鳴らしている彼女の呟きに我に返った。支えている身体が異常な程に冷えきってしまっていることに気がついて、これはいけないと急いで自分のコートを脱いでその子の冷えきった体にかけた。彼女は苦しそうにうつむいたまま言葉を紡ぐ。


「いけ……ません、貴方が冷えて、しまわれますわ……」


「すぐに会場に戻れば大丈夫ですわ、わたくしの事はお気になさならいで!それより、早く温かい所へ参りましょう。歩けそうですか?」


 女の子はうつむいた顔を上げられないまま、申し訳無さそうに首を横に振った。正直喋るのも苦しいみたいだし、少し休ませてあげた方がよさそうだ。


「わかりました、では屋根がある場所で少し休みましょう?肩を貸しますから、そこの東屋まで頑張って下さいな」


「ありがとうございます……」


 ほとんど力が入っていない、自分と同じくらいの背のその子を支えながらどうにか東屋のベンチまで移動する。途切れ途切れながらも彼女が説明してくれた話によると、どうやらこの子は元々小さな頃から病弱で、人混みがあんまり得意じゃなく、パーティーの空気で具合が悪くなってしまって気分を変えようと外に出たらしい。


「いつもなら、婚約者が一緒に居てくれ……のですが、今日は…りでうろうろ、して、……いたら、迷って……ごほっ!」


「あぁっ、無理して話さなくて大丈夫ですから!それより、寒さは大丈夫?お薬か何かはお持ちではありませんの?」


 ベンチに横になった彼女の手を両手で包んで温めながらそう聞けば、お薬はあるけど薬を飲む用のボトルにお水を入れてくるのを忘れてきてしまったらしい。


「そのボトル、少し貸してくださる?」


 そう聞くと、彼女は頷いて手にしていたミニバッグからガラス製の綺麗なボトルを取り出した。受け取ったそれを両手で握りしめて、目を閉じて指先に魔力を集中させる。


(落ち着いて……、そんなにたくさんのお水はいらない。このボトルの内側に、お薬が飲めるくらいの量のお水……いや、寒いから、ぬるま湯を召喚するようなイメージで……)


『魔法の形は心で如何様にも変わる』


 その学院長の言葉を頭の中で復唱しながらボトルに魔力を込めると、一瞬辺りが淡く光った後持っていたボトルが重たくなった。そっと目を開くと、空だったガラスボトルに半分くらいのぬるま湯が入っていた。やった、成功だ!


「これだけあれば飲めるかしら?キャップ開けますね」


「本当に、何から何まで……ありがとうございます……」


 ボトルのぬるま湯でその子がお薬を飲むと、少ししてあれだけ彼女にまとわりついていたモヤモヤが消えた。まるで浄化されたみたいにふわーっと。薬の作用で消えたんだとしたら、あれは闇の魔力じゃなかったんだろうか。いや、でもなんか引っ掛かるなぁ。


「具合はよくなりまして?」


「はい、いつもなら息苦しさが取れるまでには薬を飲んでも一時間近くかかるのですが、ずいぶんと楽になりました」


 色々と疑問はあるけど、とりあえず顔色はよくなってきた女の子の顔を覗き込む。大分良くなった顔色の彼女と初めて視線が重なって、そこでようやく私はこの子が顔見知りだったことに気がついた。


「それは良かったですわ……って、ミリアさんでしたの!?嫌だわわたくしったら、全く気づいてなくて……」


「いいえ、ずっと視線すら合わせなかった私が悪いのです。フローラ様、助けて頂いてありが……あっ……!」


「ミリアさん!」


 いくらお薬で楽になっても、冷えきった身体はまだ回復してないんだろう。お礼のために無理して立ち上がろうとしたミリアちゃんの身体がベンチから崩れ落ちる。咄嗟に抱き止めようとはしたけど、体勢が悪かったのか支えきれずにミリアちゃんは東屋の床に倒れてしまった。


「ミリアさん大丈夫……、きゃぁぁぁっ!!」


 慌てて声をかけようとした途端、不自然な猛吹雪に思いっきり吹き飛ばされてしまう。東屋からポーンと放り出されて、半端に積もった雪と泥が混ざりあった中庭をずざざざっと勢いよく滑った。もーっ、いきなりなんなの……!?


「痛たたたたっ……、ーっ!?」


 あちこち擦りむいてヒリヒリ痛む体でどうにか起き上がれば、背後から首筋にあたるひんやりとした感触。この嫌な感じを、私は知っている。


「一体ミリアに何をしていた……?答えてもらおう、フローラ皇女!!」


 怪しく光るメガネを押し上げたキール君に突きつけられたレイピアの切っ先が、雪に反射して冷たく光った。


   ~Ep.75 聖なる夜の災難は~


   『突風のように皇女を襲う』



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る