Ep.73 ライトの一声

 沈んだ私を助けに飛び込んできてくれたのは、制服姿のライトだった。私を抱き抱えたライトは、着衣のままとは思えない速さで泳いで私を水面まで引き上げてくれる。


「フローラ!大丈夫か!?しっかりしろ!」


 私を抱えてくれてるライトが何度も声をかけてくれるけど、私は返事どころか溺れて飲んじゃった水を吐く為に咳き込む力すら出ない。どうにか力を振り絞ってライトの手を握り返すと、私の異様な体温の低さに気づいたライトが舌を鳴らした。


「……っ!この周りだけ妙にプールの水温が高いのに、逆にフローラの体温は低い……魔力切れか!辺りも水浸しだし、どうせまた無茶な魔力練習したんだろう、全くお前は……!」


 そう怒りつつも、ライトがぎゅっと手を繋ぐ力を強めたと思ったら、冷えきった指先から少しだけ温かいものが流れ込んで来た。ライトの魔力だ。でも私の方の魔力がすっからかんのせいか、もらった魔力のお陰で指先が少し温まってもまたすぐ身体が冷えてしまう。震えている私を抱えたまま、ライトが考え込むようにため息をついた。


「手から流したんじゃとても追い付かないか……、仕方ないな。先に謝っとくけど、やましい気持ちはないからな!」


 え?と聞き返すより先にライトが動いた。

 急に私を更に強く抱き締めたかと思うと、なんとライトが私の首筋に唇を落としたのだ!流石にビックリしたけど、触れた所からライトが流してくれる魔力の量が手からの時とは比にならないくらい多いから、魔力を私にチャージするためにしたんだとすぐにわかったし、大人しくしておく。(まぁそもそも動けないし)

 身じろぎもせずライトに身を任せたままの私。魔力を概ね注ぎ終えてそっと私から離れると、ライトは呆れたようななんとも言えない表情で『だからって全く疑いもせずこれを受け入れられちまうと、警戒心なさすぎて逆に心配になるわ……』と力なく笑っていた。いやぁ、だってライトが友達の私にそんなやらしいことするわけないし。第一、まず危険な目に合う原因になるような色気を持ち合わせて居ないのは誰より自分が自覚してますからね。安全安心です!あれ、おかしいな、もう溺れてないのに目尻に涙が……!


「ごほっ、ゴホゴホ……っ!ら、ライト、ありがと……う!?」


 なんて私の(とてもささやかな)お胸事情はさておき、魔力がチャージされたお陰で身体も大分楽になって、飲み込んじゃった水を咳き込んで吐き出せる位に回復した私はライトにきちんとお礼を伝えた……のは、いいんだけど。そのお礼と同時に響いた間抜けな音に二人して固まる。


 言わずもがな、私のお腹の虫が空気を読まずに鳴いてしまったのだ。目を見開いたライトに、恐る恐る確認する。


「き、聞こえ……た?」


「あ、あぁ、まぁ……こんな密着してたら、なぁ」


「きゃーっ!」


 嘘が下手なライトが歯切れ悪くも頷く。

 恥ずかしすぎて穴があったら入りたい……ならぬ、今は丁度プールに居るから水があるから沈みたい心境で悲鳴をあげてどぼんと水に潜った私に、今度はライトが大慌てで叫んだ。


「はぁ……、全く溺れかけた直後に呑気な奴だな……ってわーっ!わかったわかった、聞かなかったから!俺は何も聞いてなかったから逃げようとして水に沈むんじゃない!」


 現実逃避の為に水中に逃げようとしてライトに怒鳴られた私は、結局二年ぶりの俵担ぎにされてプールから救出されたのでした。ってか視界高い!!ライト本当に背伸びたなぁ……。私の身体は全然育たないのになんでだ、ずるいぞ!





 そのまま寮の部屋まで強制送還コースかなと思ってたけど、ライトは私をプールサイドにある白いビーチチェアに寝かせ『すぐ戻るから大人しくしてろよ』と言ってどこかに行ってしまった。


「ふぁぁ……」


 言いつけ通り大人しく座って待ってたけど、天井ガラス張りで日差し気持ちいいし身体は疲れで重いし、更にライトが流してくれた魔力でポカポカしてるしで眠くなってきた。あくびがこぼれて、重くなったまぶたが段々下りてくる。あぁ、眠たい……。


「おい、水着のまま寝んなよ、風邪引くぞ」


「ーっ!」


 完全に寝落ちする直前、ポタリと手に落ちて当たった水の感触とライトの声で目が覚めた。多分、今私の手に当たったのは服のままプールに飛び込んだせいで頭から爪先までずぶ濡れなライトの髪辺りから垂れてきたに違いない。

 

「あはは、日差しが暖かいからつい……」


「こら、日差しは暖かろうがまだ身体は冷えてたまんまだろ。外に出る前に一旦温かいもの飲んどけ」


 パチッと目を開けた途端、目の前にライトがそう言って甘い香りが漂うマグカップを差し出してくれたので反射的に受けとる。指先からじんわり伝わってくる温かさにほっとしつつ中を覗き込んでみると、そこには温かいココアが入っていた。

 しかも生クリーム乗ってる!前世ではお店でしかお目にかかれなかったリッチな飲み方だ。美味しそう!!美味しそうだけど……!!


(だっ、駄目駄目!!乳脂肪はカロリーの塊!!あぅ、でもいい香りの湯気が私を誘惑する……!)


 両手でマグカップを握りしめて誘惑と葛藤している私を見てライトが首を傾げる。


「どうした、飲まないのか?ココア好きだろ」


「う、うん、そうだけど、そうなんだけど……!」


 駄目だわ、善意100%のその優しさが痛くてとても『ダイエット中だから飲みません』なんて言えない!!


「ちゃんと飲まないと、身体冷えたままじゃ本当にあとで具合悪く……くしっ!」


「ーっ!ライト、大丈夫!?」


 ど、どうしようこれ……とマグカップから立ち上る湯気を見ていたら、不意にライトがくしゃみしたのが聞こえた。

 顔をあげると、こっちを見たライトがヒラヒラ手を振りながら苦笑して言う。


「あぁ、平気平気。一瞬寒気がしただけ。流石に全身ずぶ濡れのままは冷えるな」


「そ、そうだよね、ごめん気が利かなくて!待ってて、カバンに予備のタオルあるから持ってくる!!」


 プールサイドに持ってきてたビニールせいのカバンに駆け寄って、一番大きなタオルを探す。えっと、かさ張るから畳んで丸めてカバンの底の方に……あった!


「ライト、あったよ!って、えぇっ!?」


 元気よく振り返った瞬間、視界に飛び込んできた光景に思わず叫ぶ。濡れて体に張り付いていた白いYシャツを、ライトが脱ぎ捨ててたのだ。な、なんか、シャツが濡れてるせいか妙に色っぽくて見てられないんですけど……!

 と俯いてる私に歩み寄りながら、上半身裸になったライトが不思議そうに首を傾げた。


「ん?どうした?」


「どうしたじゃないよ!なんでシャツ脱いでるの!?」


「何で……って、乾かす前にシャツだけでも水気絞ろうかと思って」


「だったらせめて事前に一声かけて!もー……!」


 露になったその身体を見ないように持ってたタオルで顔を隠した。いくら幼馴染みだからって、筋肉もついてきてすっかりたくましくなった男の子の身体は生涯彼氏なしでお父さんもいなかった私には刺激が強すぎる……!!


 恥ずかしくて熱くなった顔をタオルで隠してる私にしばらく不思議そうにしていたライトだけど、私の態度でピンときたのか『あぁ、なるほど』と呟いた。その声が妙に悪戯っぽく聞こえて身構えると、案の定手首を掴まれて防御タオルをひょいっと取り上げられる。


「ーっ!返し……っ、~~っ!」


 慌てて取り返そうとして、目の前にドアップで飛び込んできた胸板にまた顔を背ける。一瞬むき出しになったライトの肩辺りに古傷みたいなのが見えてちょっと気になったけど、だからってこんな間近で裸見るなんて無理だから!ライトが堪えきれないとばかりに吹き出して、私の顎を持ち上げた。


「ははっ、やっぱりか。一緒のベッドで寝たり首筋に唇触れても気にしないくせにこんな事で照れてんのかよ?おかしな奴だな」


「は、裸を見るのはそう言うのとは刺激が違うの!その格好で急に近づかないで!!」


「わっ!ちょっ、馬鹿!!」


 私ばっかり照れててライトは余裕綽々なのが余計に恥ずかしくなって、正面を見ないようにしながら両手でドンッとライトを突き放す。『うわっ!』と言う悲鳴と、少しして響いたバシャンと言う水音で、そーっと顔をあげた……ら、すぐそこに居たはずのライトが居ない。プールサイドのどこにも居ない。

 ま、まさか……!と血の気が引く思いで、プールサイドに膝をついて慌ててプールを覗きこんだ。


 さっきライトに取り上げられたタオルがプカプカと浮かんでいるその隣に、水底から上がってきたライトが顔を出す。やっぱり、今私が突き落としたんだ!?

 私が謝るより先に、水が滴る髪をかき上げながらライトが低い声で呟いた。


「お前、からかった俺も悪かったけどさぁ……、助けに来てやったのにプールに突き落とすか?普通」


「ごっ、ごめんなさーいっ!!!」


 その私の謝罪は、今日一番の大きさでプールサイドに響き渡ったと思う。








「はい、ショコララテ淹れたからどうぞお納めください……!」 


 結局ライトの服は魔力で乾かして、寮の私の部屋まで送って貰った後、紅茶を淹れようとしたメイド達を皆下がらせて私は甘党の彼好みに甘ーくしたラテアートを作ってライトに恐る恐る差し出す。

 カップに浮かぶ白いミルクのハートを見てふっと少しだけライトが笑った。


「なんだ、フライから『丸しかまだ描けないみたいだよ』って聞いてたけど、ハートは描けるようになったのか?」


「う、うん!一応……」


 嘘だ、本当はまだ基礎中の基礎のハートすら私は10回に1回しか綺麗に描けない。今回はライトにお礼とお詫びを兼ねて出すんだからと滅茶苦茶気合い入れて作ったから、奇跡的に一回で綺麗に描けただけだ。


「なんだよその歯切れの悪さは。まぁいいや、いただきます」


 ライトが笑いながらカップに口をつけてから、用意したお茶菓子に手を伸ばす。もう怒ってないみたいでほっとしつつ、私も自分のカップに手を伸ばした。こちらはラテアートじゃなく、カロリーを考えてジャスミン茶が入っている。もちろんお菓子も無しだ。


「……?おい、なんでお前の分の菓子無いんだ?」


「へ!?いや、えっと、それは……」


「実は姫様は、春先の夜会の際に送って下さったフライ様が腕を痛められてしまったことにショックを受けて、それ以来ダイエットに励んでおられるのです」


 ってハイネーっ!貴方なんて余計なことを!!

 ライトの指摘に唯一壁に控えていたハイネがそう答えると、ライトがぐっと眉を寄せながら首をひねった。


「はぁ?こんな簡単にへし折れそうな細い腕して何言ってんだ、必要ないだろ。プールから引き上げた時も滅茶苦茶軽かったぞ」


「そ、それはライトが怪力だからだよ!と、とにかく、少なくとも今年一年は継続して続けるんだから、誘惑しないで!」


「まぁ怪力そこは別に否定しないが……。何、春からずっとこんな感じ?」


「はい、この年頃の乙女心はなかなか扱いが難しく、私共が何を申し上げてもずっとこのような調子で……。本日プールで溺れてしまったのも、魔力切れだけでなく栄養不足が原因ではないかと思うと、今すぐ止めて頂きたいのですが……」


 プイッとそっぽを向いた私を見ながら、なにやらひそひそ話し込むライトとハイネ。

 どうせダイエットを止めさせる算段を立ててるんだろうけど、何言われたって絶対やめないんだから!

 膨れっ面の私を見たライトが、頭をガシガシ掻きながら『あんま女にこう言うことは言いたくないけど』と呟く。な、なによ、徐に……!


「おいフローラ、いいのか?成長期の無茶なダイエットは何よりも“胸”の成長を妨げるらしいぞ」


「ーっ!?」


 その一言で、私の平たいお胸に燃えていたダイエット心は一瞬で鎮火した。


「今日からは、ちゃんとご飯食べます……!」


 私のダイエットは中止します宣言に、ライトもハイネもやれやれと笑い出すけど、私には死活問題なんだからね!

 でも、久しぶりに気兼ねなく食べたその日の夕食は美味しかった。


「あ……」


 そういえば、ライトのあの肩の傷なんだったのかなぁ。


    ~Ep.73 ライトの一声~


   『効果は抜群だ!……なーんてね』


(ライト様、どうしてうちの姫様の扱いに手慣れてるのかしら……) 


 見事ダイエットを中止させたライトの鶴の一声にひそかに感謝しつつ、首を傾げる思うハイネなのだった。

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