Ep.71 それは、誰もが知る些細なおとぎ話 《前編》

 今日は土曜日だから、朝から空中庭園にお花の様子を見に来た。ゆっくりしたい気分なので、お弁当としてサンドイッチひと切れとお菓子(もちろんお手製、カロリー控えめ)と、ラテアート用ミルクサーバーまで持参して準備万端!ダイエットは継続中だけど、温水プールで泳いでカロリーを消費する日だけはご褒美に一杯だけ飲むことにしたのだ。だからこのあとも泳ぎに行くつもりなので、実は鞄の底に水着があったりする。


 水やりも終えて、雨上がりの香りがする空中庭園のベンチで魔法学の参考書を読みながら過ごす優雅な休日。ちょっとお洒落なような気がする!……参考書の内容には早速つまずいてるけど。はぁ、強くなるってどうしたら良いのかなぁ。夏休みの終わりに私も皆を守れるくらい強くなりたいと決意したものの、ただいま迷走中なのだ。


「おや、魔法の勉強かな?感心感心」


「ーっ!学院長先生!!」


「あぁ、立たなくて良い。私も少し花の様子を見に来ただけじゃ。秋の花も順調に育っているようじゃな」


 そう言っていつの間にか入ってきた学院長が視線を向けた秋のつぼみは、薄くだけどピンクに染まってきている。夏はひまわりが咲いたから、次はコスモスかな。

 円卓の椅子を引いて、学院長に座ってもらう。折角だから、お茶の時間にして魔法について色々教えてもらおうとカップのコーヒーにたっぷりのミルクを注いだ。ミルクの泡はプワーッと広がり、コーヒーの水面に真ん丸い円を描く。


「どうぞ!お砂糖はポットからお好みで入れてください」


「あぁありがとう。この表面の絵は……」


「それはお月様です」


「え?」


 キリッとして言い切った私を見て、学院長がパチパチと水色の瞳を瞬く。

 実はこの間、雨宿りしたあと部屋まで送って貰ったお礼にフライに同じ状態のコーヒーを出したら『これは“ラテアート”ではなくただの“ラテ”だね』と鼻で笑われたのだ。だって一番基礎の絵であるハートも意外と難しくてまだ三回に一回しか成功しないんだもん!結構難しいんだから!って怒ったら、フライはカフェのおネェさんが送ってくれたラテアートのやり方メモを一回読んだだけでハートより難しいリーフ柄のラテアートを難なくマスターして帰っていったのだ。器用な人うらやましい……!

 と、言うわけで、不器用な私としては頑張ってようやく描けるようになった綺麗な丸をただの“ラテ”にされては腹が立つので、この円を真ん丸のお月様のラテアートだと決めたのだ。正直苦しい言い訳なのは100も承知だけど、世の中言ったもの勝ちよね!


「なるほど。はは、綺麗な満月じゃな。頂こう」


「はい、お菓子もありますよ」


 あえて?突っ込まない大人の対応な学院長にはクリームたっぷりのデザートを出しつつ、私はランチのサンドイッチをかじる。私の方のデザートにはクリームもなにもついてないのを見て、学院長が首を傾げた。


「自分の分はそれだけか?成長期にいやに少ないような……。そう言えば、以前より線が細くなったのではないか?」


「ーっ!えぇ、年頃の女の子ですから」


「しかし……、折角のデザートもそんなに質素では味気が無かろう。こちらを食べるか?」


 うっ!痛いところを突かれた上に、学院長がクリームたっぷりな方のデザートを勧めてくる。でも、ここで誘惑に負けるわけにはいかない!


「良いですか学院長先生、確かに私が今食べているお茶菓子は素朴です。しかし、今私は健康と女性としての矜持の為摂生をしております。だからそちらのお菓子の方がこちらより何倍も美味しいですが、私は食べません。何故なら!」


「何故なら?」


「カロリーが高いものは旨いからです!!!」


 つまりぶっちゃけて言ってしまえば、美味しいものは総じてダイエットの敵なのだ!とキリッと言い放つ私。決まったわ……!

 数秒ぽかんとした後、空中庭園には学院長の大爆笑が響き渡った。




「いやぁ、すまんすまん。いい加減に機嫌を直してはもらえんかね?」


 そう言って謝る学院長だけど、口調に反して若々しく麗しいその顔はまだ笑いをこらえるように歪んでいる。失敬な!とぷいっとそっぽを向く私にやれやれと肩を竦めた学院長だけど、折角の私の名言をあれだけ大爆笑したのだ、簡単には許さん!と、私はそのまま学院長をスルーして魔法の勉強を再開した。


「うーん……、ん?」


 しばらくは勉強に集中してたけど、ふと強い視線を感じて顔をあげて……驚いた。向かいに座った学院長が、どこか熱を帯びた目でこちらを見ていたのだ。でも、相手はいくら若々しく見えても明らかに二十代後半を過ぎた大人で、今の私は中学生。だから彼は、私に気がある訳じゃないだろう。よくよく見てみれば、向けられている熱い眼差しも“私”を見てると言うよりは、私を通じて誰か別の人を見ているような感じがした。


「学院長先生、そんなに見つめられては集中出来ませんわ」


「ーっ!それはすまない、女性に不躾だったな。詫びと言ってはなんじゃが、わからないところがあれば手伝おう」


「じゃあ、このページの魔力属性の応用についてお願いします!」


「よかろう。良いかね、魔力と言うものは波のようなもので、例えば高位の水使いならば、体をつけた湖やプールの水に自らの魔力を流し込み湯に変えたり逆に凍らせたりも出来る。この類いの応用は風呂の時にでも試してみたら良いだろうな。他にも……」


 ふんふんとうなずきながら参考書に説明をメモしていく。ヘラッと笑った顔には威厳は感じられないけど、流石は学院長。教え方はとてもわかりやすく、一通りつまずいていた勉強は全部理解できたところで、学院長が首を傾げた。


「しかし、今や魔物も居ないこの太平の世の、ましてや一国の皇女にこのような攻撃魔法は必要なかろう?なぜこんなに大量の参考書で勉強を……」


「まぁ、いくら平和な世と言っても世の中いつ何が起きるかわかりませんから。いざと言うときの為ですわ」


 にこっと笑って誤魔化して、ふと以前から気になっていた、何故魔法がある世界なのにここには魔法が居ないのかという疑問が頭に浮かぶ。今、学院長は『“今や”魔物も居ない』と言った。つまりこの世界、昔は魔物が居たってこと?


「学院長先生、今更なのですが、かつてこの世界には“魔物”という種族が存在したのですか?」


「ーっ、いや、魔物なぞおとぎ話の中の空想の生き物で……」


「ですが、魔物ではありませんが“使い魔”と言う種族はいるでしょう?それに、現在でも人々は同じく空想の生き物のはずの“聖霊”を崇拝して、この魔法の花のように時間をかけて準備をしてお祭りまで開いているではありませんの。それにわたくし、以前事故でフライ様とこの空中庭園に迷いこんだ際に、妖精のようなものを見かけましたわ。本当は、この世界にはそう言った“人ならざる者”がたくさんいたのではありませんか?もしそうだとしたら、何故今は一匹も居ないのでしょう」


「は、ははは……一体なんのことかな?」


「……コーヒー溢れてますわよ」


 一瞬しまったと言わんばかりの顔にはなった学院長は、動揺のあまり飲もうとしたラテを全部自分の服に飲ませている。あーあー、折角の高そうなお洋服をまっ茶にしちゃって……!仕方ない、タオルで拭いてあげましょう。

 そうプール用に持ってきてたタオルで濡れた服を拭いてあげていたら、学院長がふっと目を細めた。なにかを懐かしむみたいに。


「もう十分じゃ、ありがとう」


 そう笑って私から離れると、学院長は徐に自分の懐に手をいれる。『濡れなくてよかった』と笑いながら取り出されたそれは、聖霊から力を与えられた4人が世界を闇から救済したおとぎ話の絵本だった。昔、ライトと一緒に弟のクリスに読み聞かせてあげたあの絵本である。


「これは……」


「今や四大国の誰もが一度は読んだことがある有名なおとぎ話じゃ。内容は知っているかな?」


 こくりと頷くと、学院長はそっと絵本の最後のページを開いた。どんな絵本でも、おとぎ話の終わりなんて大体一緒だ。『世界を救った主人公は大好きな人と結ばれて、いつまでも平和に暮らしました。めでたしめでたし』これが普通である。この絵本も例に漏れず、勇者として聖霊に選ばれた4人の内の一人。癒しと浄化の力を与えられた少女は、三人の騎士のうちの一人と結ばれて幸せになったとされている。誰と結ばれたかまでは、書いてないけれど。


「めでたしめでたしで終わったはずのおとぎ話、だがこれは決して作り話ではない。今のこの世界の始まりの史実を元にした物語なのだ」


 無事に終わったはずの絵本。そのページを優しく指先で撫でながら、学院長は遠い眼差しで空を見上げて。静かな声でそう語りだした。


   ~Ep.71 それは、誰もが知る些細なおとぎ話 《前編》~


  『そして、誰も知らないこの世界の、“始まり”を作った人達の物語』


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