Ep.70 雨垂れの子守唄

「ありゃ、雨だ。ついてないな、今日は折り畳み傘持ってないのに……」


 夏休みも最後に楽しい花火で締めくくって終了して授業が再開して、校庭の紅葉も色づき始めた秋のある日。帰ろうと思って校舎から出たら、しとしとと雨が降っていた。びゅうっと吹き抜けた風が冷たくて、小さく身震いをする。


 この寒さの中雨を突っ切って帰ったら、流石に風邪を引いちゃいそうだ。仕方がないので止むのを待つ間、ついでにバイオリンの自主練をしようと思い立った私は、(近くに人が居ると騒音被害になるかもなので)一番生徒の居る確率が低い第五音楽室へ向かった。


「はぁ、それにしても雨の日って何か憂鬱……。ってあれ?鍵があいてる……」


 そーっと中に入り奥に行ってみると、薄明かりに照らされたピアノの蓋に突っ伏して、うたた寝してるフライを見つけた。

 うたた寝してるフライなんて初めて見るや。(初等科の時に寝室に乗り込んでたからベッドで寝てる姿は何度も見たけど。)普段は一分の隙も見せたがらないのに珍しい、疲れてるのかな……。起こさないよう静かにしよう。


 雨はまだまだ止みそうにない。ピアノ脇のソファーでしばらくはくつろいだけどすぐに退屈になって、フライの寝顔をじっくり観察することにした。

 うわぁ、肌白い……!何をつけたらこんな美肌になるのかしら。睫毛が長いし、艶やか髪と華奢な体躯も合わさって、寝顔だとますます女の子に見える。髪型をいじったらもっともっと美少女になるかも……と、誘惑に負けてフライの髪に手を伸ばしたその時、フライが小さくくしゃみをした。起きた!?ヤバイ!と慌てて伸ばしていた手を引っ込める。


「ごっ、ごめんなさい!つい出来心で……って、何だ、まだ寝てるや……」


 人騒がせな……と思いつつ、自分もぶるっと身震いした。空調の効きが悪いのか室内が寒いのだ。フライのくしゃみもこのせいだろう。私はカーディガンを脱いで、フライの肩にそーっとかけた。寝てる時に体が冷えちゃうと良くないって言うもんね。


「これでよし!」


「一体何がよしなんだい?」


「え!?」


 手をカーディガンから離した時だ。いきなりパチっと目を開いたフライに手首を掴まれた。びっくりして飛び退こうとしたけど、しっかり手を掴まれてるせいで逃げられない。すっと細められた視線は冷たい、これは何か悪さをしたと疑ってる時の目だ!


「な、何もしてないよ!フライがうたた寝してる所初めて見たからって誘惑にかられて髪型いじろうとかしてないよ!!」


「へぇ……、ミストラルの姫君は他国の皇子の寝込みに髪を弄るんだ?」


「はうっ!!」


 語るに落ちるとはまさにこのこと。言い訳のつもりが逆に髪を触ろうとしてたのを自白した私を見て、フライがにっこりと笑う。こ、これは不味い……!

 『覚悟は出来ているね……?』と然り気無く壁に追い込まれた上で魔王の微笑みを向けられて、恐怖のあまり背中がゾワッとなった。怖い怖い怖い怖い!!ぎゅっと目を閉じて縮こまっていたら、ふと圧が和らいで、フライが小さくため息をつく気配がした。恐る恐る目を開くと、苦笑いを浮かべたフライと視線が重なる。


「……ちょっと脅かしただけのつもりだったのに、そこまで怯えられると傷つくな」


「えっ、冗談だったの!?」


「どうかな、そう何度も寝込みを襲われては敵わないから多少は反省してもらいたい気持ちは本心。でも、今回は未遂だった訳だし構わないよ。どうやら、寝ている間上着もかけていただいたようだし。これ、ありがとう」


 さっき肩にかけた私のカーディガンを綺麗にたたんで返してくるフライの笑顔に、もう黒いオーラはない。本当にもう怒ってないみたいで安心した。でも、あの迫力で『少し脅かしただけ』って、じゃあ本気のフライの脅しはどれだけの威力なのか、考えただけで恐ろしいわ……!


 なんて、馬鹿なことを考えてる私を見て、フライがため息混じりに呟く。


「君、またおかしなこと考えてるでしょう?……まぁいいや、それで?こんなめったに使われない音楽室に一体なんの用で来たんだい?」


「傘忘れちゃったから、雨宿りついでにバイオリンの練習に来たの。この間教えてもらった所復習しとこうと思って。フライはなんでここに?」


「それはいい心がけだね。僕も……、まあ、雨宿りのようなものかな。少し一人になりたくてね」


 そう言ってソファーに腰かけたフライは、どことなく疲れているように見える。


「じゃあお邪魔しちゃったかな?雨も小降りになってきたし、やっぱり私は帰……」


「待って!」


「え!?」


 立ち去ろうとソファーに置きっぱなしだった鞄に伸ばした私の手を、フライがパシッと掴んだ。


「えっと……フライ?どうかした?」


「あ……、ごめん。何でもない」


 名前を呼ぶとすぐ離してくれたけど、当のフライは私の手を掴むのに使った方の自分の手のひらを眺めながら、握ったり開いたりして不思議そうにしている。


「……別に、君ならここに居ても構わないよ」


『何でもない』って何よ、気になるじゃないのとじっと見ていたら、フライがふいっと顔を背けつつそう言ってくれたので、お言葉に甘えて一緒に雨宿りさせてもらうことにした。


「はぁ……」


「……?どうしたの?ため息なんてらしくないね」


「うん……、私雨の日って苦手なんだ。空は薄暗くて、町は静かで……なんか、さみしい気持ちになっちゃうの。それに、足下滑って転んじゃって危ないし!フライは平気なの?憂鬱になったりしない?」


「最後のは単に君がドジなだけだと思うけれど……、僕は嫌いじゃないよ。雨の日」


 またドジって言われた!とショックを受ける私を他所に、立ち上がったフライは憂いを帯びた表情で窓枠に寄りかかって空を見上げた。またそうやって無駄に絵になるポーズして!目の保養です、ありがとうございます。と思いつつ、私も窓から外を見ながらフライに聞いてみる。


「どうして?」


「僕からしてみるとだけど、いつもの世界は勝手な理想ばかり押し付けてくる人々の声でごちゃごちゃと喧しすぎるからね。雨の日は、この雨垂れの音が余計な噂話や喧騒を打ち消してくれるから落ち着くんだ」


「そうなんだ……」


 フライの話を聞いて改めて耳を澄ましてみると、いつも耳障りだと思ってた筈の雨垂れの音が優しく聞こえるようになった。不思議だ。


「ふぁ……」


 ソファーに座り直すと、フライが隣で小さくあくびを噛み殺した。思わずふふっと笑うと、恥ずかしそうにフライが頬を掻く。


「笑わないでよ。元はと言えば君がさっき起こしたんだから」


「ふふっ、ごめんね。でも眠くなる気持ちわかるよ。何か、雨垂れの音が子守歌みたいでうとうとしてきちゃうよね」


 そう言うと、フライはじとっと私を見た。何よその目は?


「……君、雨の日嫌いなんじゃなかったの?」


「むっ!さっきのフライの話を聞いて考えが変わったの!」


「何それ、相変わらず君は単純だな……って、うわっ!」


 やれやれと、大人みたいに呆れた顔をして首を振るその態度にいらっとして、油断しているフライの肩を掴んで彼の頭を自分の膝の上に倒した。いわゆる膝枕である。びっくりしたのか、頬を赤くさせたフライは私の顔を見上げて固まっている。ちょっと優越感、ふふん。


「きっ、君はまたいきなり何を……!」


「何って、さっき起こしちゃったお詫びだよ。ピアノの蓋よりは寝心地いいでしょ?」


「わ、訳がわからない……!だから君は考え方が単純だと昔から……!」


「はいはい、単純で結構!身近な人のお陰でこうやって苦手だったものがちょっと好きになれるのって、素敵なことだと私は思うよ?」


 膝に乗ったままのフライの頬っぺたに片手を添えながら微笑む。頬に触れた私の手に自分の手を重ねて、フライが呟いた。


「つまり君は、今日の僕の話で雨の日が少し好きになったと?」


「うん、大好きにはなれないけど……雨の日の静かなお昼寝もいいかなって思うよ」


 『だから、ゆっくりおやすみなさい?』と笑うと、フライは片手で自分の目元を覆いながらため息をついた。


「これじゃあ却って眠れそうに無いんだけど……」


「あら……。あ、じゃあバイオリンでも弾く?」


「止めて、僕を永眠させる気!?」


 音楽があれば眠れるかも!とバイオリンのケースに伸ばした私の手を、フライが目にも止まらない早業で止めた。失敬な!ちょっとはマシになったのは一緒にレッスン見てくれてる貴方も知ってるでしょうに!!


 腹が立つので、こうなったら意地でも寝かしつけてやる!と意気込んだけど、実際問題正直まだバイオリンに自信はない。ので、前世でよくお母さんが聞かせてくれた子守歌を口ずさんでみることにした。こっちの世界の歌じゃないからか、まどろんだフライが不思議そうに目を細める。


「……耳馴染みのない旋律だね」


「ふふ、でも温かい曲でしょ?」


「あぁ……、悪くないよ」


 しばらく歌っていてサビに入った辺りでフライがポツリと呟くけど、その眼差しはぼんやりしている。一曲歌いきる頃には、フライは静かに寝息を立てていた。


「ふふふふふふ……!」


 眉間をツンツンとつついても全く起きないのを確認して、私はニヤリと笑いながらリボンとブラシを取り出す。


「起きちゃう前にほどけばバレないよね!」


 人のバイオリンを殺人兵器扱いした罰よ!悪戯してやる!!

 と言うわけで、ポニテ、ツインテ、お団子、コテを使って毛先巻き髪とか色々遊んでみたものの、最後はやっぱり顔の横でまとめた太い三つ編みヘアに落ち着いた。


「なんでかわかんないけど、この髪型が一番しっくりくるのよね……」


 すやすやと安らかに眠っているフライの三つ編みをゆらゆら手で揺らしながら思う。ゲームで三つ編みだったわけでも何でもないのに、どうしてだろ?


「ふぁ……」


 それにしても、雨垂れの音は静かで、夕方の空は薄暗くて、膝からフライの体温も伝わってきて温かくて……。私も眠たくなってきちゃった……。

 私の手のひらから、ブラシが寝ているフライのお腹に滑り落ちる。悪戯の証拠隠滅もしないまま、私はそのまま寝入ってしまった。


 きっと、雨垂れの子守歌のせいだと言うことにしておこう。


   ~Ep.70 雨垂れの子守唄~


 目が覚めたら、仕返しとばかりに私の髪が編み込み入りのすごく可愛いまとめ髪になっていた。私の悪戯とは格が違うクォリティーの高さに感服致しました。


『この髪すごく可愛い!冬休み前のパーティーの時この髪型にしてもらおうかなーっ!』


『ーー……そんなに喜ばれちゃ復讐にならないんだけど』





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