Ep.51 拭えぬ過去

「……っ、何がおかしい」


 突然笑いだしたローブの男に、ライトが怯んだように呟く。逃げるために走り出そうとしていた私も、思わず足を止めてしまった。

 強風にさらわれ途切れた雲間から覗いた満月の光の下で、男の瞳が銀色に光る。


「私をそこの使い捨ての神官どもと一緒にしないでいただきたい。強い魔力を持つのは決して貴族だけの特権ではないのですよ?」


 そう言ってローブの男はパンっと自分の両手を合わし、その手をゆっくりと離す。少しずつ離れていく左右の掌からこぼれ落ちる黒く煌めく粒子が棒状の形となり、一本の杖となった。魔力の扱いが下手な私にもわかる、肌がピリピリするような強大な力に、身がすくむ。


「魔力というのはイメージで如何様にも扱い方を変えられる。見せてあげましょう、力の差と言うものを!」


 男が言うが早いか、ライトが私と私が抱えている子供を庇うように剣を構えたまま体勢を変えた。


 キィンっとライトの剣と男の剣がぶつかり合う音が響く。

 競り合っている状態が数秒続いた後、ライトが吹っ飛んだ。風の魔力だ。子供特有の軽い身体のお陰かひらりと空中で身を翻したライトは、近くの木の幹を足場にして再び男に向かって剣を振るう。吹っ飛ばされた勢いを逆に反動に利用したんだろう。今度はライトの攻撃を食らった男がよろけたが、杖を地面について男が魔力を込めると今度は地形が変わり、ライトと男の間に物理的な土壁が現れる。土の魔力だ。


「まだ10歳でこの力……素晴らしい。やはり本物の皇子だったか!なら話は早い!」


 ライトの攻撃で額から血が滴り落ちているのに、高らかに笑うローブの男。その男が振り上げた杖に、今度は業火がまとわりつく。


「馬鹿な……!普通の武器では魔力をまとわせた時点で武器の方が耐えきれず破壊されてしまう筈なのに……!第一、ひとりの人間に宿る魔力の属性は二つが限界のはずだ!」


「だから言ったでしょう、私達“十六夜の司祭”を、その辺りの雑魚と同じにしないで頂きたいと!」


「くっ……!」


 ライトがローブの男の杖を先程と同じように剣で受け止めたけど、その刃は杖が纏う炎に耐えきれずにドロリと溶けてしまった。溶け流れる鉄が手元に垂れてくる前に剣を放り投げるライト。普通熱さには強いはずの炎の魔力持ちである彼の顔が、苦しげに歪んだ。それだけ、ローブの男の力が強いのだ。

 再び振り下ろされた杖がライトのお腹に直撃して、ライトは膝をついた。


「ーっ、やめて!!」


「馬鹿っ、下がってろ!」


 もう一度男が杖に魔力を込め始めるのを感じて、私は彼を庇うように男とライトの間に飛び込んだ。ライトが焦った声を出すけど、ダメージが酷いのか私の肩をつかむ手の力は弱々しい。


 このままじゃ負けてしまう。三人で逃げるためにはどうしたらいい!?そう辺りを見回した私は、街に繋がる方の通りが遠く離れたここからもわかるくらいに明るくなっていることに気がついた。王宮の兵士達が持つ松明だ、あそこまで走れれば助かる!


「ライト、逃げよう!」


「ーっ!フローラ!?」


 私は魔力を使い、ローブの男に思いっきり水をぶっかけてやった。残念ながら、貴方は水を被ってもいい男にはなれないわねと思いつつ、男が怯んだ隙に怪我をしてる子供を抱き抱え、ライトの手を引いて走り出した。


「おい、フローラ離せ!ここであの男を逃がしたら意味がっ……」


「馬鹿っ!明らかに情報を持ってるあの男を捕まえたい気持ちはわかるけど、ここで死んじゃったらなんの意味もないでしょう!?私は、ライトが死ぬなんて嫌だよ!」


 走りながら怒鳴り返すと、ライトは押し黙ってからぎゅっと私の手を握り返してきた。そして、一気に走るスピードを早める。私が彼を引っ張っていたはずが、足が遅い私はあっという間に追い抜かれてライトに手を引かれる形になった。


「確かに、流石に死んだら元も子もないよな……!」


 しかし、そう言って微笑んだライトにほっとしたのもつかの間だった。


「おや、逃げてしまって良いのですか?元々貴方は、自らの誕生について知りたくてフローレンス教会に通っていたのでしょう?我々と共に来てくだされば、貴方が欲っしている答えを与えて差し上げられますよ」


「……っ!!」


 どうやったかわからないけれど、ローブの男が先回りして私達の前に現れたのだ。足を止めたライトが、男を毅然と睨み付けながら言う。


「生まれがどうあれ、今の俺はこの国の皇子だ。私欲の為に国を捨てて教会につく気はないな!」


 ライトが言い放った瞬間、 怒りを反映した魔力の業火が辺りを包んだ。ローブの男が逃げるように数歩飛びのいた隙に、ライトが『逃げるぞ!』と来た道を引き返そうとする。それを見た男が、ニタリと笑うのを私は見た。


「ほう、母君とあなたご自身は、一度は国王に棄てられたのに?」


「えっ……!?」


「……っ!」


 その心ない言葉に、逃げようとしていた足が止まる。ライトの横顔は、青を通り越して白かった。


「本当は貴方自身、よーくわかっておいででしょう?だから貴方はたかだか10歳で大人顔負けの強さを得るほど無茶な鍛練を重ね、学院で常にトップに立つべく寝る間を惜しんで知識を得てきた。全ては、『要らない』と父親に棄てられない為の保険だ、違いますか?」


「……っ、ライト、耳を傾けちゃ駄目!」


 ローブの男はただしゃべっているだけで、近づいてくる気配がない。なのに動けずに居るライトの腕を、私は必死に引っ張った。


「逃げてどこへ行くんです?貴方の本当の居場所なんて、この国には無いでしょうに」


「……っ、違う。母さんと俺は、棄てられてなんか……!理由があったんだって、皆、そう言って……っ」


 ライトの表情が、毅然としていた皇子の顔から不安げに揺れる幼い少年の顔になっていく。何度も隣から名前を呼ぶけど、真っ白な顔をしたライトの視線は男から外れない。いや、外せないんだろう。あまりにも、突きつけられた現実が、重たすぎて。


「理由……理由か、それはいい!理由があると言いながら貴方はその内容を知らずにただこの国に都合が良い傀儡として生きていくのか」


「ライト、聞いちゃ駄目だったら!」


「……うるさい、お前に一体何がわかるんだよ!」


「わかりますとも。何せ貴方の母君を始末したのは、我々なのだから!せっかくフェニックス王家の血筋が手に入る筈だったのに、国王に先手を打たれ貴方が回収されたときには本当に焦りましたよ」


 その瞬間、時間が止まったような気がした。ライトの瞳から、音もなく涙がこぼれ落ちる。

 視線も向けられないまま、ライトに思い切り振り払われて地面に倒れ込んだ。擦りむいた膝が痛い。それ以上に、泣いているライトを見ているしか出来ない自身が不甲斐なくて、心が痛かった。


「うるさい、うるさいうるさい!それ以上なにも言うな!!!」


 悲鳴のように叫ぶライトの爆発したその感情は、怒りか、悲しみか、あるいはその両方だったのか私にはわからない。ただ、ライトの体から溢れ出した業火は離れた位置に立つ男を射抜くべく弓矢の形に変わった。

 涙に顔を歪めたライトが、それをローブの男に構えた時、男は余裕の微笑みでローブの内側から丸い銀色の鏡を取り出したのに気づく。

 泣きじゃくっていて視界が悪いんだろう、ライトは男が掲げたその鏡には気づかない。男に向かい、弓を引いた。


 私は青ざめた。あの鏡がどんな原理の、どのような魔導具なのか、私は知らない。知らないけど、魔法があるファンタジー世界で戦闘時に使われる鏡の効力なんて大体同じだ。

 相手の攻撃を、“弾き返す”のがお約束である。


 思わず背後を見ると、僅か数メートル先にあるのは先程の火薬がある倉庫。そして、ライトの魔力は炎だ。暴走したあの攻撃が弾き返されて、倉庫に当たりでもしたら……!

 抱き抱えていた子供を、出来るだけ倉庫からも男からも遠い道外れの木陰に避難させてからもう一度ライトを見る。

 ライトが弓から手を離すと、巨大な炎の矢が男に向かい一直線に飛んでいく。男が、笑った。


 炎の矢が鏡へと吸い込まれたのを見て目を見開いたライトと、怪しく笑ったままの男の間に飛び込んだ。

 普段は雨を降らせるか水をぶっかけるの二択しか出来ない私だけど、炎を防げるのは水しかない。この夏休みで散々練習もしたでしょ、頑張れ私!


「……!!」


 鏡面に吸い込まれた炎の矢は、何十倍もの数に増えてこちらに跳ね返ってきた。その内の一本が、私の額を掠める。じゅっと嫌な音ときな臭さが鼻をついた。ライトが驚いたように息を呑む。座り込んだままのライトに、大丈夫だよとニコッと微笑んだ。


 さっき、ローブの男が言っていたことを思い出す。『魔力の扱いはイメージだ』と。だから、強く思い浮かべた。

 無鉄砲な私の身を、今苦しんでるライトの事を守る為に、あの炎の矢の雨を受け止める水の壁……ミストラルの宮殿にあるみたいな、巨大な滝を。


「……っ!馬鹿な、水の皇女は魔力のコントロールが効かないのではなかったのか!?」


「ふふん、子供って言うのは大人が思うよりずっと成長が早いのよ!」


 少し出すまでに時間がかかって、私自身は何ヵ所か炎に焼かれてしまったけど。突然天から降り注ぎ出した大滝は、跳ね返ってきた炎の矢を見る間に消化していく。派手に私が魔力を放ったことで、兵士達がガチャガチャと鎧を揺らしてかけてくる音もし始めた。


「……ちっ、仕方がない。しかし諦めませんよ……!」


「あっ、こら!待ちなさ……っ!」


「フローラ!!大丈夫か!?」


 小さな小瓶を取り出し、ぼんやり輝く不気味なポーションを飲み干すとローブの男は姿を消した。転移したのか、姿を隠すアイテムでも使ったのか。

 とにかく逃がしちゃいけないと、ふっと消えた男を追いかけようとした私の体から力が抜けて、そのまま仰向けに体勢を崩した。

 地面にまた倒れるかと思ったけど、温かい物に受け止められる。仰向けで空を見上げた視界に入り込んでくる金髪と、頬に落ちてきて弾けた雫に、私を抱き止めてくれたライトがまだ泣いているのだとわかった。でも変だな、こんなに近いのに表情が見えない。


 先程弾き返ってきた矢が直撃した額から、頭全体が割れる様に痛む。何度も私の名前を呼ぶ悲痛なライトの声が遠くなっていくのを感じながら、私は意識を手放した……。


     ~Ep.51 拭えぬ過去~


 『築き上げてきたその道は、未来を阻む足枷か、それとも……』

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