第二章 回りだす歯車

Ep.38 奇譚に記されし者

「なんだ、怪我でもしたのか?人を助けに噴水に飛び込むなんてらしくねーことするからだよ」


「煩いな、気がついたら飛び込んでただけだよ!そもそも君が彼女を僕の部屋にけしかけるからこんな事態になったんだろう?」


 僕の手首にフローラが巻き付けた、女の子らしい水玉模様のハンカチ。夕食後に何故だかいきなり僕の部屋に押し掛けてきたライトにからかうような笑みでそう言われてイラッとすると同時に、なんであんな冷静さを欠いた真似をしたのかと確かに納得する自分も居る。普段は正直他人には関心無いし、上手くあしらう術には自信があったんだけど、彼女と居るとどうにも調子が狂わされる。でも、不思議と悪くないと思っている。

 ノートを渡すために追いかけた彼女の体が水に落ちるのを見て反射的に飛び込んだことを、後悔しない位には。


「……何笑ってんだよ、らしくない」


「……っ!失礼だな、僕は普段から慈愛に満ちた微笑みを常に浮かべているつもりなんだけど?」


「あれは作り笑いだからだろ?白々しい」


 無意識に頬が緩んでいたのを指摘されて、頭を振って誤魔化した。

 大人ぶった仕草で呆れたように肩を竦めたライトだけれど、その手にあるコーヒーに角砂糖が10粒以上入っていることを僕は知っている。甘党め。

 そんな激甘コーヒーを満足げに飲み干したライトが、ふと真剣な声音で言った。


「仲良くなったなら尚更、あの海水浴の日からの冷たい態度は一度きちんと謝っとけよ。大体、なんでいきなりあんなに風当たりきつくなったんだ?」


 耳が痛いがもっともな指摘。苦笑をやめて、代わりにため息と本音を溢した。


「……っ!あぁ、うん、そうだね。フローラはあの時、暴走したボートを止めた魔法の使い手を兄さんではなく僕だと言ったでしょう。なんの躊躇いもなく。だから僕はてっきり、何も知らないふりをしていた癖に彼女も実は兄さんが僕より魔力が劣る劣等生だと揶揄されていることを知っていてあんな結論が出たんだと、勝手に思い込んでしまった。……本当に、悪いことをしたと思っているよ」


「フライ……」


 ライトが神妙な顔つきで、僕の両肩に手を置いた。誰も取らないから、左手の指先でつまんだクッキーは皿に戻してくれ。欠片が服に落ちる……!


「あのな、あいつそんな小ずるい駆け引きが出来る程賢くないぞ?」


 まさかの言葉に一瞬あ然となり、でも確かにあの馬……いや、素直すぎる彼女ならそうだろうと妙に納得してしまった。

 堪えきれず笑い出した僕にそうだろうと自慢気に頷きつつ、茶菓子に出したクッキーから好きな味を吟味しているライト。どうやら言いたいことは言って満足したようだ。

 おい、自分で話題を振ったならちゃんと聞いてくれと思うが、同時に『まぁ仕方ないか』と笑って許せる感覚。出来の悪い下の子を見るようなその感情がストンと府に落ちた。


「なるほど、君に似てるから僕は彼女に振り回されてたのか……」


 ライトとフローラは、どことなく本質が似ていることに今さら気づく。そしてこの甘党でお人好しで、お節介な親友に僕は昔から振り回されてばかりなのだ。だからフローラに絆されたのも、慣れからだから仕方ないかと納得する。


「なんか言ったか?」


 二杯目のコーヒーにはシュガーポットが空になりそうな勢いで砂糖を加えながらライトが首を傾げる。身体壊しても知らないからね? と思いつつ、首を横に振った。


 同時に、再び彼女に手当てされた手首を見る。そっと動かしてみるが、痛みがない。ハンカチを少しだけ捲ると、数日は引かないであろうと思っていたはずの患部は、見事に腫れが引いていた。打ち付けたのはほんの半日前だ、本来なら決して有り得ない速度での完治に、浮かんだ疑問が更に深まる。


 すっかり跡形もないアザの位置を見て考え込む僕を見て、ライトがふと言い出した。


「それ、フローラが応急処置したんだろ。もしかして、傷がいつの間にか完治してたりしたか?」


「ーっ!!」


「……やっぱりか。俺も2年の時にあいつに偶然水掛けられた後、打撲が勝手に治ってたことがあったんだ。その時は偶然だろうと思ってたけど……やっぱりあいつ、治癒能力持ちかも知れないぞ。本人自覚ゼロっぽいが」


 淡々とした口調には似合わない爆弾発言にら瞠目した。

 庶民層には魔力持ちがほとんど生まれない為、物語ではよく空想の存在として出てくる特殊な魔法の使い手がある。治癒術師ヒーラーと呼ばれる、怪我や病を癒し、人々を救える聖なる力の持ち主だ。しかし現実、この世界に“治癒術”なんて、傷を一瞬で治せる奇跡の力の使い手など存在しない。我々人間が扱える魔力、炎・風・水・土の4種と、それに起因する応用能力のみだ。何かを癒したり浄化したり、そんな魔法はただの作り話で、使える人間なんて実在しやしない。

 隠蔽された歴史に残る、ただ一人の女性を除いては。


 もし彼女がその女性に何か縁ある人物なのだとすれば、教会の者が噴水にかけたあの結界を彼女が容易く打ち破ったことにも頷ける。


 今や単なるおとぎ話にまで風化した、ひとつの奇譚きたんが脳裏を過る。


「彼女……、“聖霊の巫女”の関係者なのかもしれないな」


 彼女が居ないと嫌に静かな自分の部屋に、その声は妙によく響いた。



   ~Ep.38 奇譚に記されし者~


『葬り去られた筈の物語に今、新たな色が浮かび出す』











ーーーーーーーーーーーーーー

《おまけ》


「あぁそうだ、フライそのハンカチ外すとき頑張れよ」


「え、どうして?」


「一見綺麗な結び目してっけど、それ固結びだから」


「えっ!?うわ、本当だ!あれだけお菓子作れるくせに、不器用なの……?」


 ライトが遠い目でそう言ったのと同時刻、フローラが小さくくしゃみをしたのだが、それはまた別のお話。



 


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