終章 03



「アラゼの人たちはどこへ消えたの?」


 この問いかけに住職は頷いた。


「彼らは進州の最北端へ行ったと考えられている。ワギャップ湾を渡ってアガナ凍土へ渡ったと話す学者もいたけれども、有力なのはアガナ人の領域にもぐりこんだという話だ。光重の手引きによって、アガナ人との共存がはかられたんじゃないかという説だね」

「じゃあ、北部『アラゼ』の人たちは見つからなかったの?」

「見つかっていないね。わたし達が住むデルデ峠が厚治国の最北端と言われているのは、そのせいだよ。いまもデルデ峠の向こう側で平和に暮らしているアガナ人とアラゼ人がいる。その真相を確かめるのは……この中に居る誰かかもしれないね」


 住職はそう言って部屋の片隅にある引き戸を開いた。

 中には埃っぽい木箱がたくさん積まれていて、住職も「あれれ、どこやったものかね」と呟きながら手を突っ込んだ。

 そうしてひとつの桐箱を取り出した。


「最後に一つ、那曲光重の話をしてあげよう。それで、この話はおしまいだ」


 住職はそう言って桐箱の組み紐をほどき始めた。




 進州北部『アラゼ』がもぬけの殻となっており、ほとんど住民の居住実態がないことが分かると源流道は早々に軍を引きあげた。

 追撃せよとする声もあったが、南部『ギヨレン』にかかる負担は限界を迎えており、年間を通して男手が兵隊にとられてしまっていたせいで、厚治国の作物収穫高も例年に比べてだいぶ苦しくなる見立てであった。

 内政をおろそかにすることは出来ない、という源流道の一声で退却が決まり、『満月長夜の強奪事件』から始まった一連の軍事遠征はここに終結した。

 源流道は開拓団長である内幸流斬星が厚治国の別邸で療養している事を念頭に、大岡山宣幸に臨時の団長職を任じた。任じたと言っても、軍の後方兵站で疲弊しきった南部『ギヨレン』に責任者として留まれ、と命じられたのと同義であった。

 当然、厚治国の兵隊が引き揚げるなり、農民や商人たちの一揆や暴動が『ギヨレン』の各所で起こった。大岡山宣幸は少数の兵士をかき集めて、ひとつひとつそれらの問題を片付けた。

 そして冬場に多くの餓死者を出し、密かに婚約を交わしていた最愛の人を亡くした。

 悲しみにくれる間もなく春がやって来て、悲劇を繰り返さないための畑仕事に精を出した。それは大岡山宣幸や南部『ギヨレン』の高級幹部たちも同様であった。

 このとき、大岡山宣幸は「農作業に手を汚す事の出来ない貴族まがいの人間に用はない」と断言し、内幸流斬星時代には考えられなかったような泥臭い作業をあちこちで行わせた。

 彼の行政運用能力は那曲光重に劣るところであるが、窮地に陥った『ギヨレン』を復興させ、通常の運営状態に戻したという点では評価する声が大きい。

 また貴族的な趣のあった高級幹部の人々を解任し、場合によっては厚治国へと追放できたのは、大岡山宣幸の手腕によるところだ。これは内幸流斬星には出来ない芸当であった。


 そのような改革と復興の渦の中でとある報告が大岡山宣幸の元にもたらされた。


 それは第二次遠征隊を阻んだ洪水によって、デルデ峠の一角に大きな湖が出来ているというものだった。河道閉塞によって出来あがった天然の湖であるが、大岡山宣幸はすぐに調査隊を結成し、派遣した。

 仮に河道閉塞で出来あがった湖ならば、決壊した際にふもとの農地や村、街に水害をもたらす場合がある。彼はそれを恐れたのだ。

 しかし、二週間後に調査隊は「問題はないでしょう」と新たに作成した地形図とともに報告をあげてきた。



 その中で妙な――調査隊は笑い話として――大岡山宣幸にある話を添えた。



 湖は一日を通して深い霧の中にあります。デルデ峠の中にあるという事もあり、不気味なために人々は近づかなかったそうです。昨年の洪水で出来た湖と仮定していますが……正直なところ、それを裏付ける証拠は見つかりませんでした。

 ただ、あるカメの話を聞きました。

 湖を見つけた農民の話によれば、その湖には大きなカメが棲んでいるらしく、小舟を出して捕獲を試みたそうなんですね。ですが、その小舟をカメにひっくり返されて……農民たちは怒ってわたし達に調査を依頼してきたみたいです。なんだか、話を聞いていたら「調査してくれ」ではなく「捕獲してくれ」に変わっていましてね。




 大岡山宣幸は「決壊の心配はない」という事を念押しして調査隊を解体したが、そのカメの話が妙に気になった。

 彼は少数の兵員を連れて、件の湖へと出かけた。

 そうしてカメを捕獲するという名目で小舟を借り、湖の中央まで出かけた。

 ひどく霧が深く、視界の悪い湖であった。

 鈍色の雲と霧に抱かれ、妙に鼻を抉るような泥の匂いとともに小舟は進んだ。

 そして見つけたのだ。


「……これは」


 那曲光重が使用していたカドガ剣が、こんもりと盛られた陸地に突き刺さっていたのだ。

 それがどんな意味を持っているのか。

 まさか、勇者にしか抜く事が出来ない状態であるのか……と思ったが、兵士の一人がそれを簡単に抜いた。

 大岡山宣幸はその剣を手に『ギヨレン』へと戻った。

 結局、その後も巨大なカメは見つからず、噂は噂を呼び、最後には龍が眠る湖などと呼ばれたが……幾度かの冬を越えたとき、その湖は自然決壊して消えた。


 まるでカドガ剣という栓を抜いたために干上がってしまったかのように。

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