アラ・カチュー 07



 牛車のドアが荒々しく蹴破られ、兵士の悲鳴と女の叫び声があがった。


「リュドミラを捕まえたわ!」


 牛車の壁を打ち破ったリリアが叫んだ。

 その傍らには色白なリュドミラの姿があった。

 光重が『失われてしまった』と悲しんだ姿が、そこにしっかりと存在していたのだ。

 もっとも重点的に護られていたリュドミラの護衛たちは、光重の策略通り――前方のフェオドラ、後方のシグネ、そして大将戦を繰り広げる光重のもとに集中し、もっとも防備が薄くなっていた。

 その間隙を縫ってリリアが牛車を襲ったのだ

 驚く事に、リュドミラは両手足を牛車に縛られ、口にはくつわをはめられていた。

 これのどこが箴言密教の偶像なのだ。完全な人質ではないか。

 リュドミラの手足を拘束していた縄を手早く解いたリリアは――。


「なっちゅッ、すぐに退却する準備を――!!!」


 勇ましく叫んだとき、遠くからルモイにまたがったシグネが走ってきた。

 同様にフェオドラも前方より兵士を蹴散らしながら、森の中へと退却を始める。

 しかし、光重が駆けだそうとした一瞬の隙に――。


「あっ――!!!」


 牛車でリュドミラを抱えていたリリアの腹に黒い影が突き刺さった。


 暴れ始めた牛のために、牛車がぐらぐらと揺れる。それに合わせてリリアは剣を落とし、頭を振って倒れそうになっていた。


「ああっ……!!!」


 光重は振り返る。


 リリアが力なく牛車から落ちたとき、間一髪のところでルモイとシグネが追いつき、ふたりを牛車から奪った。大きな熊は器用に女を乗せて駆けだした。その御者であるシグネが叫んだ。


「光重ッ! 戻って来い! 構うんじゃない!」


 構うんじゃない。


 けれども、光重は構わなくてはいけなかった。


 振り返ると大岡山宣幸が不敵に笑っていた。


 その手には半弓が握られており、リリアの腹を射抜いた男は高笑いを始めた。


「内幸家に災悪をもたらす者がどうなるか、思い知れ!」

「きさまあっっッッ!!!」


 ぐっと濶剣を握りしめて光重は踵を返した。

 宣幸は剣を持たず、ただ半弓を持って笑っていた。彼の手に矢はなく、もはや戦う意志は見られない。

 ただ、この男はリリアの腹に矢を射かけた。しかも直撃だった。

 リリアは一瞬にして意識を喪失して、ルモイとシグネと……そしてリュドミラとともに消えた。


「どうして、どうして……どうしてお前たちはッッゥ!!!」


 僕からすべてを奪って行くんだ。


 なぜ、僕から何もかもを奪ってゆくんだっ!

 怒りが全身を駆け巡る。

 振り上げた濶剣が、雲の切れ目から覗いた満月の光をいっぱいに浴びて妖しく光っていた。

 振り上げられた濶剣を見上げながら、大岡山宣幸は目を瞑った。彼は死を覚悟していた。理解していた。受け入れるつもりだった……。


「偉大なる内幸源流道さま、わたしを唯一、ヒトとして扱って頂き、感謝致します」


 小さな声だった。


 大岡山宣幸の最期の言葉は、極めて小さな声だった。

 けれども、その呻きのような感謝の言は明確に光重の耳に届いた。


 そして――彼女の声が聞こえた。


「殺してはいけない……殺してはいけない!!! 約束を護れ、愚か者が!」


 春塵<ハルカス>の声。


 遠きガルダの竜胆色の空の元で、灰のような雪を浴びながら……彼女はユキヒョウのヤブユムとともにじっと光重を睨んでいるようだった。

 それを感じてしまったせいか、振り下ろした濶剣は大岡山宣幸の傍らの地面を打った。

 深く抉られた地面に、光重は「くそおおぅっ!!!」と怒号のような叫びをあげ、渾身の力で大岡山宣幸の腹を蹴った。

 その衝撃で宣幸は地面を転がり滑った。

 光重はその姿を見届けることなく、濶剣を引きずるようにして踵を返して駆けだした。

 満月が輝く、西の方角に向かって、彼は泣きながら、叫びながら、剣を振って……兵士をなぎ倒しながら走っていった。

 そのとき、満月の光をいっぱいに浴びたカドガ剣が、輝く聖剣のように見えたと多くの兵士が証言している。その聖剣は人を斬っても命を奪うような事はしなかった。棍棒のように猛烈な打撃で人々を跳ね飛ばす――そんな不思議な力を発しているようだった、と。

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