ガルダの楽園 16



 ワギャップ湾から上陸の際に海へ転落し、北方原住民より二度の襲撃を受け、いくつもの雪山を越えるのに『死ぬかと思った』と内山文京は喚いた。

 光重の庁舎(どこの家よりもぼろい)にやってきた内山文京は、光重の指示通り獄領ゼルバのブルフィンチバードからアッガーナ人のフェオドラを連れてきた。

 彼女は光重を見るなり涙は流さなかったが、寡黙なまま顎を引いて抱擁を求めた。

 褐色の少女を胸に抱きとめて、光重はザルマーニ語で「待たせてしまった上に、来てもらってしまった。迎えに行けず、許してほしい」と告げた。

 フェオドラは「神は待つ事を望んだ。だから、わたしは待てたのだ」と流暢なガルダ語で答えた。そして彼女は梵語で幸運を呼び込む短い経を諳んじた。

 光重は時間の流れを感じ、一筋の涙を流した。

 それは再会を喜ぶ涙であり、時間の流れに感謝する涙でもあり、自分の自分勝手を悔やむ涙でもあった。

 フェオドラは光重を待つ間にブルフィンチバードで元服を迎え、美しい女性へと成長していた。

 感動の再会に奥歯を強く噛んでいたのは、リリアである事は言うまでもない。

 彼女はザルマーニ語もガルダ語も梵語も理解できないわけだから、光重が見知らぬ異国の女となにを話しているのか理解できないのだ。

 それから内山文京はもうひとつの報告を発した。


「実際に会う事は出来なかったけど、ガルダのガンポ宮より伝言がある」

「……春塵はガルダを離れられない、ということか」

「そういうわけだね。『約束を忘れるな』と梵語でも書いてあった」


 内山文京は「なんのこっちゃ?」と首をかしげたが、光重にはよくわかっている。机の傍らに置いていたカドガ剣をちらと見てから。


「約束を果たす。必ず」


 そう意気込んだ。


 けれども、すぐにフェオドラが「わたしの約束は反故にされたぞ」と慶国語で主張した。その主張に対してリリアが吠える。


「もうっ! なに喋ってるのかわかんないんだけど! あんたなんなのよ、いきなり来てさ!」


 今度はフェオドラが厳しい表情を作った。

 彼女はリリアが喋る言葉が理解できないのだ。ただリリアが妙に殺気立っていることは雰囲気から察したらしく、腰に携えていた二本の短剣に手をかけた。

 双剣の使い手であるフェオドラの動きに、今度はリリアも反応して剣に手をかけた。


「あの、ちょっとふたりとも……!!!」


 光重が声を発したが、それは片方にしか理解できない言語であった。


「勝負よ! あんたみたいな新参に大きな顔をさせるわけにはいかないわ!」

「表に出ましょう。光重とどういう間柄か知らないけど、慶国語も知らない人間にとやかく言われたくない」

「いいわ、外で決着をつけるわ!」


 こういう時に限って、言葉の壁を越えるのだ。

 ふたりは曇り空の庁舎の庭で木剣を打ち合った。さすがに真剣で流血沙汰にさせる事は出来ない。




 那曲光重の住む庁舎の再建計画が持ち上がったのは、フェオドラとリリアが顔に青痣を作って畑仕事をしていたときだった。

 農民たちは「光重んとこの娘さんが、食いもんで喧嘩したぞ」「いやいや、部屋が狭くって殴り合いになったって聞いたな」「違う違う。厠だよ。厠の順番で殴り合いだって」などとありもしない話が広がりつつあった。

 庁舎近くの畑を獲得できた農民は、入植者の中でも裕福な部類の人々だ。

 そのため、彼らは光重の庁舎を「やっぱり俺たちの頭だからよお、ちゃんとした家に住まわせねえとダメだろう」と相談し始めた。

 裕福な農民たちは、治水工事や港湾工事を行っている元農民たちに声をかけた。彼らは夜間学校の休憩時間に庁舎の再建について話し合いを始めたのだ。

 土木工事や港湾工事、道路工事に従事していた入植者たちは、たった一軒の庁舎を作るのは朝飯前だ、と厚治国に居た頃には考えられない自信に満ちた言葉で盛り上がった。

 そうして材料の調達と建物の設計、更には工期(自分たちの仕事に支障がでないために)の設定を自ら行った。

 そうして庁舎の再建が、なかば光重の知らないところで始まっていた。

 この一連の建築計画は冬季はまったく外作業が出来ない北部『アラゼ』だからこそ、自主的に培われた知恵であると内山文京は後の資料に記している。


「なあーんか、立派な建物を建ててるなあ」


 早朝の厠で排便のために腰を降ろしていた光重は、着々と進む新庁舎の工事に羨望の眼差しを向けながら、毎朝ふんばっていた。




 新庁舎の棟上げが終わり、「えっ、あそこに住むの!?」という悲鳴にも似た歓喜が光重の口から飛び出した数日後に、ワギャップ港から『敵襲』の報が入ったのだ。

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