ガルダの楽園 14



 那曲光重は一年間の移住準備の期間を頂いたが、結局のところは八カ月で進州を目指して出発した。驚くべきは、出発したのは十二月も上旬の頃で、進州は雪によって閉ざされている時期に開拓団は出発した。


 誰もが那曲光重、リリアの開拓団は失敗するとあちこちで噂した。

 しかし、翌年の二月半ばに進州南部『ギヨレン』の内幸流斬星に那曲光重が会見を行った報が届くなり、内幸源流道は「あの男なら『アラゼ』の開拓を成すかもしれぬ」と期待とも不安とも違う感想を述べたという。




 八か月の移住準備期間で、おそよ二千名の人員が厚治国より出国したと考えられている。しかし、これは厚治国農奴戸籍帳に記されていた農民の『転居』『除籍』を合計した数字であり、実際には記載のない水飲み百姓などが大勢を占めていた。

 また南部『ギヨレン』に入城した光重の一行を「道を埋め尽くす貧民の波は、汚らわしい蟻の門渡りの如く――」と内幸流斬星の家臣である大岡山宣幸が記述している。

 厚治から進州南部『ギヨレン』で六百名近い人員が開拓団から離脱した。

 その多くが過酷な進州までの道のりと北部『アラゼ』を前にしての脱落であった。

 それでもなお数千人近い人々が、南雲氏の前時代に捨てられた北部『アラゼ』を目指した。




 光重がこれだけの人数を集めた事には諸説あるが、もっとも有力視されているのは異界の農地創出法を軸とした人員募集を行ったのではないかという事だ。

 開拓団が開拓・開墾した土地は開拓団の公有地となる。これを農民に貸与し、租税を回収するという事が一般的である。しかし光重は厚治国で「土地を無償にて提供する」という立て看板と張り紙で人々を集めた。

 那曲光重は策定した開墾計画に従い、農民たちは開墾を行う。半年の開墾査定期間を経て、審査に通ったものは開墾した土地を獲得できるという制度だ。つまりたくさん開墾したものはたくさん土地をもらえるのだ。

 厚治国で農地を得られなかった水飲み百姓たちは無償で自分の土地を得られると考えて多くの者たちが移住計画に集まった。

 事実、過酷な道中を乗り切り、半年の開墾に尽力し、恐ろしい雪をもたらす冬を乗り越え、再び開墾を再開する……という地獄のような開拓に人々は耐えた。これは土地を得られるという人々の心理を巧みに扱った成果である。

 入植して一年目の冬に多くの餓死者を出した。

 けれども、開拓団はめげずに開墾と入植を続けた。

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