ガルダの楽園 11



 興奮する女の肩に手を置いて、光重は「お、落ちついてください」と久しぶりの母国語で彼女をなだめた。


「なぜ、僕を探していたのですか……?」

「あっ、も、申し遅れました」


 ぺこり、と彼女は頭を下げてから、その青い瞳で光重をしっかりと見据えた。


「わたし、箴言密教の研究をしている者です。名を内山文京<うちやま ぶんきょう>と言います」


 少々早口に喋る内山文京に光重は当惑した。


「で、でもどうして僕が若野林屋の光重だと……?」

「箴言密教徒のあなたが聖地を目指して慶国へ渡ったと聞いたから、蘭海で箴言密教の袈裟を身に付けた人に手当たり次第に声をかけてたんです。わたしも箴言密教徒で、いろいろと訳があって蘭海にいるんですけれどもね――」


 彼女の話を整理すると、西国の霧島より朝廷科挙の試験を受け、見事に下級官僚として朝廷に仕えたが、悪しき慣習である蔭位制に辟易し、朝廷を飛びだす形で遣慶使として慶国へ来ているとのことだ。それも一度ではなく「今回で四回目なの、てへっ」という具合に。

 途中から彼女が何を言っているのか良くわからなくなってきたし、話の脈絡から数か月の慶国滞在ではなく、数年単位で慶国に滞在している様子だった。

 つまり、とんでもなく自由気ままに生きている『元』下級官僚という事になる。敢えていう必要はないかもしれないが、朝廷に戻れば「すぐに打ち首よ」というほどのものだ。

 表情豊かな内山文京と話をしていると、彼女の顔が「あっ!」と驚きに満ちた。


「……どうしたんです?」

「大切なこと、忘れてた」

「大切なこと?」


 光重が首を傾げたとき、背後から強い衝撃が襲ってきた。


「うわっ!」


 思わず前のめりに倒れ、すっかりと冷えた饅頭が地面に転がった。

 刺されたか、襲われたか、どうしたのか、と逡巡したのもつかの間……彼女の声が響き渡った。


「うわああああっっっんッッッ!!! 光重げェ……ミツシゲぇっっ、会いたかった、会いたかったよおおお」


 不意に叫びだす女の声に、やはり周囲の慶国人やザルマーニ人やベルベル人がギョッとする。

 背中にのしかかられる形で倒れた光重は、自分を押し倒した女の頭を、そして肩に手を伸ばして確認する。


「あっ……リリア?」


 この声に黒髪のリリアは、それはもうひどい泣き顔でえぐえぐと呻いていた。

 すっかり元服して大人の女性になっていたリリアは、それは美しい相貌であったのに……少女のように泣いた顔は、在りし日の若野林屋で打ち据えられていた一人の少女の面影をしっかりと残していた。


「光重殿を探してたのは、彼女に頼まれていたからなの。いやー、本人を見つけてすっかり忘れてしまいましたよ。なははは……」


 頭上で内山文京が妙な笑い声をあげた。

 そんな彼女を見上げながら、身体にしがみついて泣いているリリアの頭をそっと撫でた。

 そうしてから、光重は言った。


「あの、名を変えたんです。いまは、那曲光重<なくちゅ ひかりえ>という名で生きているんです」


 この主張は、自由気ままなふたりの女性の耳には届いていないようだった。

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