ガルダの楽園 10



 光重は南東へと歩みを進めた。


 彼女の言葉通り、ふもとの街道にあたったところで獄領ゼルバの兵隊と遭遇した。彼らに箴言密教の僧侶であることを告げ、雪山での修業を終えたばかりだと説明した。すると兵隊たちは深く頭を垂れて光重を解放した。

 彼らは親切に「道なりに行けばイザラマキスタンにあたります。御身体を御休めください」と言ってくれた。

 騙したわけではなかったが、妙に背中がかゆくなるような扱いを受けたような気がする。


 その日の日暮れ時に『イザラマキスタン』へと到達した。


 そこは交通の要衝であったが、ほとんどがアッガーナ朝、ザルマーニ朝、そしてベルベル朝へと向かう馬車ばかりだった。

 この時期に草楷平地を横断し、慶国へと向かう馬車は不運なことに出ていなかった。

 イザラマキスタンの商人によれば、さらに北方のザグライム地方からアッガーナ朝の飛び地を越えて、獄領ゼルバの自由都市である『アポラス』へ向かえば、慶国行きの荷を取り扱う商隊があるだろうと話した。もしくは今冬をイザラマキスタンで過ごし、春先にザルマーニ朝からやってくる商隊を捕まえて、草楷平地を越える方法もある。

 光重は今冬の間にも慶国へ戻り、松治国へ戻りたかった。

 その日の夜に光重はイザラマキスタンを発ち、北方のザグライム地方へと入った。

 人々の話では険しい山と峠道であると聞かされたが、ガルダの山岳と比較すれば容易な道のりだった。

 四日はかかると言われた行程を二日と半日で走破し、アッガーナ朝領の集落で一泊した。そうしてから、さらに北方を目指し獄領ゼルバの『アポラス』へ到達した。

 アポラスには慶国へと向かう強靭な商人や運送馬車がひしめいていた。

 そこは街というよりは荷馬車の修理工場と馬の放牧場のような場所だった。

 光重は箴言密教徒であるというゼルバ人の商人と交渉し、慶国領へと出発した。

 いくつかのオアシスを越え、砂嵐によって足止めをくい、砂漠の雪と七色の光の帯を夜空に仰ぎながら、往路とは異なる幻想的な復路を楽しんだ。

 銀竜江の流域でゼルバ人の商人と別れ、今度は慶国東岸の港町を目指した。

 銀竜江の運搬船にもぐりこみ、一週間の船旅ののちに――光重は港湾都市『蘭海』へと至った。

 世界各国から運ばれてくる多種多様な商品。それを運ぶ多用な人種と言語……。

 若野林屋で聞きかじった世界最大の港町は想像を越えるほどの盛況であった。

 ザルマーニ語、慶国語が飛び交うなかを光重はオレンジ色の袈裟姿で進んだ。箴言密教徒は頭を下げ、睨むような目を向ける異教徒もいた。

 いくつかの埠頭で松治国へ往く船を探したが、不思議な事に松治国へ往く船は見つからなかった。

 多くは慶京を目指す船であり、松治という場所を知らぬという者も多かった。

 そのような船主探しで二日ほどを過ごした時である。

 朝の市場でよく蒸された饅頭を恵んでもらった。かつて銀竜江で与えられた褒美のような饅頭よりも大きく、またうまかった。この饅頭を銀竜江で働く者たちに与えてやりたい。あの指示役の男は元気にしているだろうか。たしか妻と別居していたと話していたが、もう仲直りはしただろうか。

 そのような事を思ったときである。


「もしもし、あなたは光重<ミツシゲ>殿ではありませんか?」


 ふと掛けられた言葉を光重はとっさに理解出来なかった。

 振り返ると長い青髪をひとつに束ね、それを首から胸へと前に流している女がいた。当然に初対面で、光重の中で会った記憶がない。

 しばらくぱくぱくと光重が口を動かしていると、女の方もきょとんとした顔で繰り返す。


「人違いであればお許しください。人探しをしているものでして……」


 女の言葉は『理解』できた。けれども、どことなく不思議な『理解』であった。

 その理由はすぐにわかった。


「あっ、あ、ああ……」


 思わず光重は呻くように声を漏らしていた。

 なぜなら、この青髪の女が話している言葉は『松治国』で話されていた言葉であったからだ。

 響きや文法、ニュアンスが慶国語と似通っているせいで、妙な方言を使う女性だな、と誤解したのだ。だが、冷静に考えてみれば……これは母国の言葉である。


「あ、あ、あなた……ま、松治のことばを……」

「え……、ええ。ええっ! わたし、松治の言葉を話しています。あなたは松治の若野林屋に居た光重<ミツシゲ>殿ですか!?」


 光重も、そして女も興奮気味に「はい、はい、そうです」と言葉をぶつけあった。

 女はぴょんぴょんと飛び跳ねながら光重の手を握り、「見つけた、見つけた!」と声を発した。それが松治の言葉であるから、周囲の慶国人やザルマーニ人、アッガーナ人はギョッとした視線を向けていた。

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