ガルダの楽園 07



 それから数日間、光重は医術の本を読みふけった。


 古今東西の医術・医学はまるで異なるものが多く、漢方薬を使う松治国は慶国と類似した医術であることを理解した。一方で、まったくの異世界では腹を引き裂いて患部を摘出する大胆なものもあった。

 あらかた医学の書籍を読み終えたところで、春塵がやってきた。


「まさか、こんなに早く読み干すとは思わなかった。たった三カ月よ?」

「……三か月も経っていたのか。あれから」

「ガルダは時間を失う。ここは時間とは無関係な場所にあるの」


 冗談っぽく彼女は話したが、完全な嘘のように聞こえなかったところが妙だった。

 そして春塵は言った。


「天葬があるの。その準備に、あなたも参加してくれる?」

「……天葬? 聞いたこと、ないな」

「別れの儀式よ」




* *




 上空を舞うハゲワシの数が、あっという間に数十羽から数百羽に増えた気がした。

 光重は遠くに張られたオレンジ色の天幕を呆然と見詰めた。


「人間には出来ることと出来ないことがあるわ。あなたには、医学は難しいかもしれない、ということ。それ以上でも、以下でもない」


 春塵に言われて、光重は「うえっ……」と傍らに透明な粘液を嘔吐した。

 つい先刻まで『天葬』の下準備を春塵や修行僧と行った。

 それはご遺体を解体する作業だった。

 四肢を切り離し、顔や頭部や指先までを細かく崩してゆく。

 血の匂いと生肉が腐ったような死臭が充満する中で、黙々と行われる作業だった。医術や医学の本で理解した範疇を越える……強烈な現実が目の前にあったのだ。

 光重は耐えきれず、なんども作業室から出でて嘔吐した。

 そのため、ほとんど作業を見学していたような状態だった。

 バラバラにされた遺体は箱に詰められ、ガルダの街外れへと運ばれた。

 そうしてオレンジ色の天幕が張られた中で、大地に投げられる。

 崩された遺体の欠片を求めて、多くのハゲワシが地面を走り、空から降りてくる。鳥たちが遺体をついばみ、その肉体を天に還してくれる。すでに魂は天に昇っているのだから、殻の肉体は自然に還すという考えである。

 この遺体の処分方法はガルダで一般的な手法なのだとか。

 オレンジ色の天幕を目指して群がるハゲワシを見ていると、光重は奇妙な気持ちになった。大型の鳥たちはひたすらに遺体を喰っていた。食べやすいように小さくしてやったとはいえ……光重は大いなる自然の摂理の中を生きているのだと改めて理解出来たような気がした。


 それと同時に――。


「僕には人の身体を切ったり縫ったりは出来なさそうだよ」


 自分の苦手を認めることが出来たのだ。




* *




 ある日、光重は深い眠りの中で克明な夢を見た。

 それは竜胆色の空に雪と灰が混じっている、嫌な光景である。

 振り返れば、ガンポ宮も『再生の胎』も大図書館もオレンジ色のレンガで築かれた家々も、すべてが燃えていた。


「あっ……ああ……」


 恐怖に膝をつくが、どうしようも出来ない。

 春塵はどうなっただろうか。修行僧や貴重な書籍は……バディ師僧はどうなってしまったのだろうか。

 そんな事が頭を巡ったとき、背後に気配を感じた。

 振り返れば、そこには動物たちに輿を担がせたバディ師僧の姿があった。

 老人はいつものように口を動かさず、声を発さず、光重に言った。


「往け、旅人よ。ガルダはおまえの港となるが、おまえの寝床にはならぬ。おまえには往くべき場所、護るべき者がある。それを護れ。ガルダの地でおまえに与えた力は、そのためである」

「……バディ師僧」

「往け。どんな壁が現れようとも、すぐに発つがよい。慶国人ではなく、本来の光重として故国のために血を流せ。民を導け、よいな、光重」


 はいっ! と返事をした瞬間に目が覚めた。

 悪い夢だったのだろうか、と頭を振ったが……光重は立ち上がって外を見た。

 外は穏やかな雪が降っていた。

 その雪の道を……光重は歩きだした。


 久しぶりに訪れた、煌めく星空の夜の道を――光重は歩いていた。

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