ガルダの楽園 05



 その輿は動物達によって担がれていた。ヤクやシカやクマなどが、輝く輿を担いでいる。

 輝く輿に乗っているのは、これは痩身の男性である。

 皮膚は垂れ下がり、手足は骨のように細い男性で……これまでに光重が見た事もないような人間だった。

 顔も皺だらけで、目を開いているのかもわからない。

 けれども、光重はその男性に向かって『謝罪』した。

 この苦難は修行の一環である事は理解出来る。けれども、自分は大いなる罪を犯した。それは内幸道場で怒りに任せて剣を振るい、数名を惨殺してしまったという……殺人の罪である。

 この暗闇で苦悶の波にもまれている中で、光重は本能的に『死』を察していた。

 それは雪山で体験した冷酷な死であり、肉体の変調が訴える魂の分離の予兆とも言える不快感である。

 それらすべての予感が『死』の気配となって背中にのしかかっていた。

 だからこそ、最後の最後に起こした行動は『懺悔』であった。




 人を殺してしまったこと。

 大切な人を護れなかったこと。

 故郷ともいえる若野林屋が炎上してしまったこと。

 いまだに大切な人を待たせ続けていること。

 自分の父へ「ありがとう」の一言も告げられなかったこと。




 光重は悔悟の渦の中で輝く輿に手を伸ばし、赦しを乞うた。

 暗黒と苦悶の世界で、輝く輿は光重の元へやってきた。

 そして動物たちは光重の目の前で輝く輿を降ろした。

 目が痛いほどに輝く輿とその上に座る人物……。


「旅人よ、おまえは悲しみの中を生き続けているな」


 男は口を動かさず、声を発さずに意識を放った。


「名の知らぬ高僧よ。わたしは大いなる罪にまみれております」

「承知している。おまえの産まれから、また死に到る道をわたし達はすべて承知している。恐れる事はない。悔やむ事はない。おまえの罪はこれからの行動によって雪がれる事だろう」


 なぜこの人はすべてを理解しているのだろう、と思う一方で、猛烈な神々しさを光重は感じていた。彼の温かさ、柔らかさ、穏やかななどが、途方もない楽園に繋がっているような気もしたのだ。


「あなたは、なぜそのような醜い格好をしているのですか」


 思わず光重は問うていた。

 失礼な言葉である。けれども、この高僧はそれにも真摯に答えてくれるだろう。そんな予感があったし、実際に彼は答えてくれた。


「わたしは老いによって醜き肉体を得た。おまえ達が放棄した『老い』は、太古の人々の手にあった。わたしは『老い』によって『死に』、新たな肉体を獲得する。そうしておまえ達と同様に『永遠』を生き続ける」

「……老い」


 光重がぽつりとつぶやいたとき、老いた男性はわずかに頷いた。


「愚かしくも人間は破滅を求める。もっとも破滅を嫌う心が破滅を呼びこむのだ。そうして破滅し、繰り返す。同じような過ちを繰り返す。たとえ、どのように肉体や魂のカタチが変わろうとも、人間は最初から終わりまで人間なのだ。その醜さを含めて」


 老いた男性はそう言って穏やかにほほ笑んだような気がした。それから彼は床をこつんと拳で叩いた。

 すると一瞬にして暗黒が晴れ、途方もなく美しい竜胆色の空が広がった。それから穏やかなガルダの雪原が現れた。

 寒さもなく、風もなく、また匂いもない。


「竜胆色の空へ続く祭壇『ガルダ』で、おまえは生まれ変わる。老いを失い、若さの中で人々の道を示す僧侶となれ」

「……そ、それは」

「おめでとう、那曲光重。黒き河に重なる光よ。おまえは新たな肉体を獲得し、永遠を生きる事となるだろう。だが、忘れてはいけない。その罪は必ずおまえの心に残る。いくら雪いでも、失われた命は戻らない」

「では、わたしはどうすれば……?」

「失われるべき命を救いなさい。不毛な事で消えてしまう命を、おまえの力で救いなさい。それは簡単なことではない。おまえの守護霊とともに大いに人々を導くように、精進しなさい」


 そう言って老いた男性は這いつくばる光重の額に手を添えた。


「光重<ミツシゲ>の肉体はここに残り、新たなる名を与えん。大いなる光の元で、その黒き河を『黒』であることを示す名――『光重<ヒカリエ>』をここに託そう。太古の人々が仰ぎ見た、大いなる光の柱の名を」


 このとき、いくつもの返答と疑問が光重の脳裏を駆け巡っていた。

 けれども光重の身体は自由を制限され、言葉すら発することが出来ない状況となっていた。それはこの男性がすべての権限を握り、光重の自由を奪っているような気がした。


「あっ、……ああっ……!!!」


 懸命の力を込めて光重がうめき声をあげたとき、ふっと視界が晴れた。

 ひらけた視界の中で輿に乗っていた老いた男性の姿が見えた。

 彼は巨大な玉座に腰を落ち着けて、じっと光重を見つめていた。


「えっ……?」


 周囲を見回すと、そこは見知らぬ玉座の間であり、周囲には春塵をはじめとした修行僧や高僧が読経を唱え続けていた。

 仏像と絢爛豪華な仏具が並ぶ仏壇の前で、その老人は表情薄く微笑んでいた。


「……バディ師僧」


 それ以上、光重は声を発するとが出来なかった。

 光り輝く輿に乗った男性は、やはりガルダにあって神に近い存在であったのだと理解した瞬間だった。

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