那曲光重の長征 14



 光重とフェオドラはザルマーニ語の勉強を続けながら、西進してベルベル朝領へ入った。そこから北上し、ガルダ国境を目指した。


 その道中で光重は目の当たりにした。


 北の空を漂っていた午前の雲が、昼過ぎの強風によって吹き払われたとき――大空に突き刺さるように聳える岩の板を目撃したのだ。

 それは蒼く澄み切った大空の一点を目指して佇む、『岩の板』なのだ。

 相当な距離からも巨大な『岩の板』と認識できるのだから、形容しがたいほどの巨大な独立峰である事は間違いない。雲を突き抜けて聳える巨大な『ガイラス山』の姿に、しばし光重は声を失って立ちつくした。


 あの山を目指して北進すればいい。


 フェオドラと見解を一致させ、ふたりは『ガルダ』を目指して進み始めた。

 だが、道のりは容易くなかった。

 ベルベル朝領北部の街でガルダへ続く『抜け道』は五十年ほど前に廃棄され、現在は『道自体』がないと断られた。

 仕方がないので元来た道を引き返し、もうひとつ山を越えた西の街へ入った。するとそこには『道』があったものの、ベルベル朝の許可を得なくては通れないと関所の兵士に断られた。過去にベルベル朝の許可が出たのはいつか、と聞くと誰も答えられなかった。

 そこは通行のための関所というよりは、ガルダより不意の攻勢があった際の防波堤としての役割が強かった。その関所の兵士は「現在のベルベル朝からガルダへ入る道はないぞ」と教えてくれた。

 仕方がないので光重とフェオドラは西方の小国リュンベルグへ入り、そこから飛び地となっていた獄領ゼルバへ入った。

 その獄領ゼルバの北端の街ブルフィンチバードに滞在する事にした。

 出来る事なら、すぐにでもガルダへ向けて出発したかったのだが季節は冬を迎えようとしていた。

 ブルフィンチバードは低地の街であったが、そこからガルダへ抜ける間道が雪によって埋もれてしまったと言うのだ。冬季のガルダ入国は誰も成し遂げたことのないとブルフィンチバードの住民は話していた。春先の雪解けとともに、ガルダ入国を目指した旅人の遺体が見つかるのは、例年の事なのだとか。

 また、もうひとつの問題があった。それはガルダでの女性の扱いである。

 現在は厳重な鎖国状態であるガルダでは、そもそも外国人の密入国はご法度である。それに輪をかけて女性であるフェオドラが入国するというのは、あまりに危険が伴う。そもそもガルダには現住の女性は存在しているが、ほとんど表に出てこない。存在はしているだろうが、目撃された例が極端に少ないのだ。またフェオドラはアッガーナ人特有の浅黒い肌をしている。ガルダ人と偽って入国するのは、少々無理があった。


 それと言語の問題だ。


 ガルダではガルダ語が話され、また読み書きに関してはガルダ語と密教原語のひとつである梵語が使用される。これを理解しないで入国はしない方がいいとブルフィンチバードの寺院で警告を受けた。

 寺院の住職は光重が『密教徒として修業をするなら』という前提の元に話してくれた。この指摘はもっともで、経典や真言を理解するためにはそれを理解する知恵を持っていなくてはいけない。

 ガルダ語もわからず、梵語も理解できないとなると大変に困る。

 銀竜江で過ごした二年は言語によって苦労した。だからこそ、光重はブルフィンチバードでの滞留を決断したのだ。

 ブルフィンチバードの寺院を頼り、光重は住職の御好意でひと冬を越す事となった。

 幸いなことであるが、獄領ゼルバは獄語が公用語とされていたが、ゼルバ地域ではザルマーニ語が主に使われていた。

 この頃の光重はザルマーニ語の会話はもちろん読み書きも難なくこなす事が出来ていた。当然に慶国語も話せる状態であるし、松治国で使っていた言語も問題なく話せた。

 ここでフェオドラとガルダ語の勉学に励んだが、明暗が大きく分かれた。

 およそひと冬――三カ月――で光重はガルダ語の基本的な構造と単語を理解した。慶国語とザルマーニ語の中性的な特質をもった言語で、発音が難しい部分もあったが特に苦労することなく光重はそれらを習得出来た。

 一方のフェオドラは苦戦していた。

 そのため、いつも夜遅くまで彼女とふたりで光重はガルダ語の勉強を続けた。

 ブルフィンチバードでの生活は光重にとって久しく平穏なものとなった。彼の求めた安息の生活というのが、まさにこの地での生活であったといっても過言ではなかっただろう。

 ただ、その安息の中に想い人であるリュドミラの姿もなければ、リリアのほほえましい失敗の影もない。

 朝に目覚め、掃除と朝食の支度をし、剣を振り、朝食を食べて、ガルダ語を学び、昼食前に剣を振り、昼食をとる。午後は梵語を学び、夕刻時に夕食と一日の掃き清めを行い、夜の剣稽古を行う。月明かりと燈台の具合を見て、ガルダ語と再び向き合う。

 こうした生活をフェオドラは「なんて味気ない生活なの」と言いながらも、付き合ってくれた。ラーディンが話していたようにフェオドラは両手で双剣を扱う変則的な剣術を心得ていた。これまで光重が体得してきた濶剣術が、彼女の太刀筋のどれにも対応が出来ないため、剣の稽古も真剣に取り組まなければいけなかった。

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