那曲光重の長征 13



 ラーディンの商隊と同行し、光重は広大な草楷平地の表情を目の当たりにした。鋭い陽射しを放つ朝陽に眼を細めたり、深夜の凍える寒さに震えたり、白昼の激暑に額を拭った。

 みすぼらしい服はすべて脱ぎ捨ててアッガーナ人が着用する下着と上衣、さらには頭からすっぽりとかぶる布を借り、陽射しを避けた。


 ラーディン達アッガーナ人は一日に五回ほど立ち止まり、大地に膝と額を付けて御祈りをする。夜明け前、昼過ぎ、夕刻前、日没のあと、就寝の前だ。彼らは西の方角に向かって祈りを唱え、明るい顔で「さ、出発しようぜ」と旅を再開する。

 これは偉大なる神・アッラーに対する祈りなのだとフェオドラは教えてくれた。それがどういうものなのか、なぜ西に向かって行うのか。それはフェオドラも「わからない」と答えた。けれども、彼女は可愛く微笑みながら「でも、いつかは知りたいんだ」と話した。


 光重は荷運びとして飼われていた駱駝の背に乗り、草楷平地を進んだ。

 ラーディンの指示で『ザルマーニ語』をフェオドラから習った。これは商隊の面々がザルマーニ語しか喋れない者が多く、「みんなと話せないとつまらんだろう」というラーディンの意見に従った形だ。

 そもそもラーディンの故国であるアッガーナ朝も、ほとんどの人がザルマーニ語を話していると言うのだ。

 ザルマーニ語は慶国語と比較すると文法がまったく異なる。そのため読み書きというよりは駱駝の背中でフェオドラと言葉を交わす事から始めた。

 草楷平地に日が昇り、ラーディン達の祈りが終わると光重はひたすらザルマーニ語の単語と用法をフェオドラから学んだ。

 ラーディンは慶国語を理解するのに十年かかったと話した。頭の良いフェオドラでさえ、三年はかかったとのことだ。

 慶国語を理解していた光重がザルマーニ語を習得するのは、遠い未来になるだろう。誰もがそう考えながら、長い路を駱駝で進んでいた。

 二週間、三週間と過ごしたとき、光重は――多少の単語間違えはあるが――基本的な日常会話をザルマーニ語で交わす事が出来るようになっていた。

 この驚異的な習得力にラーディンは「なんてこった」と目を見張った。

 新たな単語と用法を理解する一方で、光重は砂地に棒きれで読み書きも覚え始めた。それは駱駝の休憩時間や日に五回行われる御祈りの時間に、光重はせっせと地面にザルマーニ語を書いては首をかしげ、フェオドラに問いかける……という事を繰り返したのだ。

 そしてさらに三週間後、別れの時がやってきた。


「残念だが、俺たちとはここでお別れだ。俺たちは南下してアッガーナ朝領へ入る。おまえはこのまま西進を続けてベルベル朝領を目指せ。そうすれば、北の方角に巨大な岩の板が見えるはずだ。そいつが霊峰ガイラスであり、ガルダ国だ」

「ラーディンさん、みんな……短い間でしたけれども、ありがとうございます。このご恩は絶対に忘れません」


 涙を流しながら光重はラーディンをはじめ、商隊の皆々と手を握り合い、頬を合わせて別れを惜しんだ。もちろん、ザルマーニ語で挨拶をして。

 光重の荷物を駱駝から降ろしていたフェオドラに、「ありがとう」と声をかけた。

 短い間だったけれども、フェオドラとの思い出は一層ある。彼女が丁寧にザルマーニ語を教えれくれたり、オアシスでのしきたりや平地から砂漠へ変わったときの過ごし方などを教えてくれた。

 歳の近い女の子だったけれども、彼女は優秀で魅力的な子だった。

 光重は「えぐえぐ……」と号泣しながら、フェオドラの手を握って幾度も頭を下げた。


「もっと、もっとフェオドラとザルマーニ語を勉強したかったよ。もっと一緒にいたかったよ。キミの事は絶対に忘れないから、絶対に!」


 そう宣言したところで、フェオドラはサッと手を引き、ラーディン達がげらげらと笑った。

 不意にやってきた爆笑の渦に光重は「えっ」と目を見開いた。

 そして気さくな商隊の長アイマン・ジャー・ラーディンは言った。


「言っただろう。ガイラス山まで案内するって。俺たちはここで終わりだが、あとは若いおふたりで霊峰を目指せよ。ただし、光重――ガルダという国を甘く考えるなよ。それとフェオドラは俺たちの大切な仲間だ。死なせるような事があったら、絶対に許さないからな」


 この言葉に光重はひどく泣きながら「わかりました!!!」と叫ぶように返答した。

 フェオドラは光重と自分の荷物を駱駝から降ろし、背負える形で整えていた。

 ラーディンは光重を落ちつけるために肩を抱いて背中をさすってくれた。その最中に彼は言ったのだ。


「フェオドラがおまえと離れたくないと言っていた。あまり人に心を開かない不器用な子だけど、大切に扱ってくれ。ちなみに結婚するときは族長の承諾が必要だから、勝手なことをはするなよ?」


 ちゃんと釘をさしてくるところが、さすがラーディンだと思う。


「ありがとうございます、ラーディンさん」

「あ、ちょっと待て! 祈りの時間だ」


 朗らかな別れの時間は、祈りの時間に中断されて腰折れた。

 こうして光重はフェオドラという仲間を借りて、北西『ガルダ』を目指す事となった。太陽が沈む方角へ去ってゆくラーディンの商隊を見送ったあと、フェオドラは言った。


「じゃあ、改めてよろしくね」


 最初に受けた挨拶よりも、よほど自然なもので……光重はちょっとドキッとした。

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