那曲光重の長征 12



 男はアッガーナ人の商隊を率いるジャー・ラーディン氏族の長、アイマン・ジャー・ラーディンと名乗った。八頭の駱駝と七名の部下を率いて、この広大な草楷平地を西へ東へと往復する。

 ラーディンは慶京を発し、ザルマーニ朝、ベルベル朝、獄領ゼルバを経由してアッガーナ朝領へ戻るところだと話した。

 詳しい地名を他にも言われたが、そもそもの国名を光重は知らなかった。

 またふたつの大きなこぶを持つ駱駝も初めて見た。

 ラーディンの話す言葉は慶国語であったが、ひどく聞き取りにくい訛りがあった。同行していた他の面々は慶国語がわからないのか、別の言語でやり取りをしている。

 光重は話を聞き終えたあと、自分が松治国から長室館を経て蘭海を目指し、不慮の事故から慶京へ流れ、銀竜江で治水工事に従事していた事を告げた。

 ラーディンは「おまえさん、奴隷にしては明るいヤツだな。それに二年も治水工事に従事してたのに、臭い以外は健康そうだ。いやいや、変わったやつだな」と感心した。

 そもそも草楷平地を丸腰、裸足で往く『馬鹿』は見たことがないと笑われた。


「まるで手の込んだ自殺かと思ったよ」


 彼らはラク酒と呼ばれる匂いのきつい酒を与えてくれたが、少し口に含んだだけで遠慮させてもらった。

 闊達な商隊の長であるラーディンは物知りであったが、松治国や長室館、常盤院といった光重の出身地に関する事は知らない様子だった。

 自分が男性から産まれた『忌子』である事も伝えようかと思ったが、やめた。これは本当に信用できる人間にしか話してはいけないことである、と思い直したのだ。

 けれどもラーディンは大切なことをふたつ教えてくれた。


「おまえが最初に目指していた『蘭海』だが、もっと南東の方角にある港町の事だ。そこまで行くのか?」

「えっ、蘭海は上界の世界にあるのではないですか? つまり、杯の上にある世界です」


 この発言にラーディンは「すまないが、言っている意味がわからない」と話がかみ合わなかった。

 詳しく説明をしようかと思ったが、ラーディンが発した「んでよ、ガイラス山だけどよ」という言葉に光重は居住まいを正した。


「ガイラス山を知っているんですか!?」

「知ってるも知らねえも、有名だからな。だが、あそこへ行くのは無理だ。まず『ガルダ』へ入れない」

「……ガルダ?」


 ガルダはベルベル朝、アッガーナ朝、ザルマーニ朝、獄領ゼルバに囲まれた山岳の小国である。周辺国は歴史的に多くの戦乱があったが『ガルダ』だけが、古来からガルダとして存在している。

 その大きな理由として「標高が非常に高い」「極地の環境で普通の人間は生きられない」「謎の奇術を使う原住民がいる」という三つの点によって侵略を免れてきた。

 この厳しい環境の国こそ『ガルダ』であり、現在は非常に厳しい鎖国状態にあるのだとか。そのため物資を届ける事も受け取る事も出来ない。当然、売買も。


「だから、ガルダは俺たちにとっても謎の国だ。おまえが行きたがっているガイラス山というのはガルダ国内にある霊峰のことだ」

「そ、そこが箴言密教の聖地なんです! 場所だけ、場所だけ教えてもらえれば!!!」


 口角泡を飛ばす勢いの光重にラーディンは「待て待て!」と首を振った。


「ガイラス山は遠方の国々からも良く見える。途中まで一緒に行ってやるから、そう慌てるな。ほら、顔を拭け」


 布を手渡され、光重は興奮をぐっと飲み下した。

 ラーディンはラク酒をぐいと飲んでから、「おい!」と仲間たちの方へ声をかけた。

 すると一人の浅黒い肌の女の子がやってきた。


「こいつはフェオドラという娘だ。見たところ、おまえさんは元服してないな。フェオドラも元服前の娘だが、なかなかに器量が良い。これから俺たちと一緒に旅をするなら、それは長旅になるから、おまえの世話役としてフェオドラをつけてやろう」

「えっ……でも……」

「安心しろ、フェオドラは頭のキレる女だ」


 その言葉に合わせてフェオドラは胸に手を添えて、目礼した。


「異界の旅人よ、わたしはフェオドラと申します。あなたの長い旅路をともに出来る事を栄光に思います。どうか、よろしく」


 彼女は流暢な慶国語で挨拶をしてきた。それは光重にとって驚きだった。

 フェオドラは今年で十六歳になるという。考えてみれば、光重も今年で十五歳になる。

 ラーディンは自慢げに付け加えた。


「うちの商隊で慶国語が話せるのは、俺とフェオドラだけだ。だから、彼女をおまえにつける。頭が切れるだけじゃない。腕も立つから、いざってときは頼りにしてもらっていい」

「そんなことまで……」


 驚く光重にラーディンはにいっと笑った。


「貧しい者、旅人には施しを与えよ……。俺たちの信奉する神様もそう仰っているからな。なあに、古い言い伝えで草楷平地は天地玄黄・宇宙洪荒って言うだろ。楽しく行こうや」

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