那曲光重の長征 11



 逃走という言葉は『走って逃げる』と書くように、銀竜江を越えてからの道のりは走りっぱなしだった。

 常盤院から長室館の港までの逃走は山中の森を走っていたから、ときどきは息をひそめて休むことが出来た。

 けれども慶国の大地はそれを許しはしなかった。

 広大な黄色い平原地帯がどこまでもどこまでも続いている。

 乾いた大地に生えているのはわずかな牧草だけで、遥か彼方は太陽の熱によって蜃気楼が立ち昇っていた。

 夜が明けて視界が開けてくると、その途方もない広さの平原を目の当たりにして自分の愚かさを知った。


「阿呆の熱に浮かされて、僕まで阿呆になってしまった」


 幾度もそう呟きながら、懸命に走った。

 銀竜江で脱走が発覚すれば、監視役の役人が衛兵を引き連れて馬で捜索に出るだろう。こんな広い大地を馬で追い立てられたら逃げ切れる自信がない。

 光重を焚きつけた男は夜明け前に「俺はもう駄目だ、息が苦しい。光重、おまえ先に行け」と早々に音をあげてしまった。

 木々や森がないので、光重は街道を探した。

 人間の往来がある場所であれば、その人々に紛れて隣町まで往けるかもしれないと考えたのだ。けれども、見る限りの黄色い大地は、街道の名残すら光重には与えてくれなかった。

 さらに太陽が高く昇り始めると銀竜江とは比較にならないような暑さが光重を襲った。

 飯も水筒もなく、粗末な履物は早々に壊れて裸足となった。

 硬く鋭い石が散乱している大地で、光重は血を流しながら走り続けた。

 体力に自信があった光重であるが、夕刻を前にして大地に倒れた。

 起き上がろうにも全身に力が入らず、動く事すら出来なくなっていた。

 そうして次第に、ゆったりとではあったが着実に意識が薄らぎ……光重は気を失った。




* *




 パチパチと火が爆ぜる音で光重は目を覚ました。


 身体には毛布がかけられ、額には冷たい布が乗せられていた。

 起き上がった光重に浅黒い肌の男性がなにかを喋った。すると火を囲っていた集団の幾名かが笑いながら口々になにかを喋った。


「こ、ここは……?」


 あたりを見回すと慶国の大平原で間違いないらしいが、見た事もない動物と見た事もない格好をした浅黒い人々の輪に自分がいる事を理解した。


「目が覚めたかい。あんた、慶国人か?」


 頭に布を巻いた髭面の男は闊達な表情で問いかけてきた。


「慶国人じゃない。松治国から長室館を経由して、ここにきた。本当は蘭海を目指していたんだけれど……」


 数年前の出来事ではあったけれども、光重はすらすらと経緯を思い出し、述べることが出来た。

 浅黒い肌の男は眉をギュッと寄せて掘りの深い顔に、さらに深い影を浮かべた。


「あんた、やっぱり変な男だな」


 そう言って声をかけてきた男は難解な言葉で仲間達に何かを話した。すると周囲の男たちは口々に何かを喋り、笑い声をあげた。


「水、飲むかい?」

「えっ、いいんですか?」

「草楷平地<そうかいへいち>を往く者は互いに施しを与え、また受けなくてはいけない。それが草楷平地を生きる者の道である――って言葉があるだろう?」


 草楷平地……?


 光重が首をかしげると男はまたくすくすと笑った。

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