那曲光重の長征 08



 那曲光重は松治国以外の地理をよく知らなかった。とにかく北を目指して太陽の位置を確認し、海と港を目指した。


 追手がかかっていると言う事もあり、ほとんど寝ずの逃走であった。

 その甲斐もあって長室館の港へ到達したのは、『若野林屋襲撃』の三日後の事である。

 くたくたの状態で埠頭を彷徨い、船乗りたちに。


「ガイラス山へ往きたい。そこまでの船はありませんか」


 そう聞きこんだ。

 けれどもほとんどの船乗りが『ガイラス山』など知らないと答えた。

 箴言密教の聖地だ、と伝えても、全員が首をかしげる始末である。けれども光重は諦めるわけにはいかなかった。

 聞き込みを続けて行く中で、光重はひとつの共通点に気付いた。

 それは『蘭海』という言葉だった。

 船乗りの多くは。


「ガイラス山? そんなの聞いた事もねえな。異界の話なら、異界の連中のほうが詳しいんじゃねえのか。ほら、蘭海の商人とか学者なら、いろいろ知ってると思うぜ」


 海を越えた先にある『異界』に行きたいのなら『異界』で聞くべきだとのことだ。そして多くの船が『蘭海』を目指す事を知り、光重は「とにかく追手を振り切らないと……」という動機から蘭海行きの船へ乗り込んだ。

 異界だろうが天界だろうが地獄だろうが、光重には関係がなかった。

 自分を厳しいなりにも指導してくれた女将あかねはもういない。あんなに生きることに懸命だったリリアもいない。想いを寄せたリュドミラだって、もういないのだ。

 こんな悲しい事を抱えながら、松治国と同じ世界に居たくなかった。

 光重を乗せた大型の木造船は昼過ぎに出港した。

 大きな帆に風をたくさん受けて、海原へと繰り出していったのだ。




 大きな嵐に見舞われて船から放り出されたのは、長室館の港を出港して六日目の事だった。

 穏やかだった海は大きく豹変し、強風と豪雨と高波によって船を煽りに煽った。最終的に木造船は船底に大穴があき、風と波に押し込まれるようにして沈んだ。

 光重は残骸にしがみついて、暗く冷たい海を漂った。

 幾度か顔が水没しそうになる危機を乗り越え、光重は見知らぬ木造船に救助された。


「いったい、なにがどうなっているんだ……?」


 思わず光重が呟いたのも他ならない。

 現世と異界の境がどのようになっているのか、光重は知らなかった。海の向こう側にある異界へ往くためには、船で世界の境を越える必要があると信じていたのだ。

 その世界の境は大いに荒れ狂い、大型船をいくつも沈めた、という記述を本で読んだことがあった。だからこそ、この難破は世界の境を越えるのに失敗したのだと思った。


「助けてくれてありがとうございます。この船は蘭海へ往くのですか」


 助け上げられた光重がそう問いかけると、船乗りたちは一様に怪訝な顔をした。そうして口々になにかを喋ったのだが、それはひどく訛りのある方言のようで、光重は聞きとることが出来なかった。


「申し訳ありません。わたしは松治の国より来た者です。皆さんの言葉が、うまく聞き取れなかったもので……」


 光重がそう言ったが、船乗りは一向に言葉を改めない。

 ひどく訛った言葉と耳慣れない単語の羅列に光重は混乱した。

 それから船は帆を広げ、夜の明けた穏やかな海を円滑に進んだ。

 その道中で手枷と足枷をさせられた。


 なぜこのような事をするのだろうか。


 光重は多くの疑問符を抱いたまま、行き先のわからない船に揺られて陸地を目指した。

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