那曲光重の長征 07



 血の匂いが、思いのほか『悪くない』と知ったのは、このときだった。


 三人目を斬ったとき、剣が折れた。


 遺体が持っていた剣を構えたとき、ああ刀剣というのは細いんだな、と当たり前のことを改めて知った。

 血の海となった内幸道場の中庭で……光重は月明かりのわずかな光の中で、内幸綺羅星と対峙していた。

 綺羅星はなにかを高らかに主張していた。

 ほとんどが光重を批判する言葉であったが、あまり記憶していない。とにかくひどい事を言われていた。

 内幸綺羅星は痩身でありながら高身長であった。

 その身体が魔物のように大きく見えたが、自分は『鬼』のようであったのかもしれない、と光重はのちに回想している。


 三合ほど剣を打ちあい、一撃を間一髪で避けたところで、一刀を薙いだ。


 綺羅星の膝下に深く太刀が走り、鮮血と呻きが道場の中庭に響いた。

 光重は門徒たちの叫びなど聞こえず、何者かにとりつかれたように剣を振った。

 いつか刑場でみた『胴から首が分離したとき』の血潮が、また光重の前に現れた。それを見たとき、自分の父であり産みの親である男性が死んだ不気味な記憶がよみがえった。


 光重は震えた。


 内幸綺羅星を斬り殺し、その場に剣を放り捨てて……一目散に逃げ出した。

 途中で幾度も転びそうになったし、城下の深夜を裸足でかけていたせいで、足の裏から血が迸る。

 掌からも血が流れていて、いつ切ったのか思い出す事も出来なかった。

 息が上がる、咳き込む、嗚咽が出る。

 途中で嘔吐して、それから再び走り始めた。

 どこへ向かえばいいのか。そんなものはわからなかった。けれども、本能的に光重は常盤院を目指していた。

 自分が幼少期を過ごした常盤院なら、この苦境を乗り切る秘策を教えてくれるような気がしたのだ。




* *




 深夜の常盤院に駆け込んだ光重を見て、住職は事の重大さを理解してくれた。

 住職は『若野林屋』が押し込み強盗に襲われた事も、火を放たれた事も知らなかった。


「とにかく、検証よりも対策だ。おまえさんは着替えをせい」


 彼はそう言って手早く光重を御堂から奥の院へ連れて行った。

 血濡れた衣服を脱がせ、代わりのものを使い走りが持ってきた。住職は女将あかねの状況を聞いてきたが、光重は「わかりません」としか答えられなかった。


「和尚様、僕は罪を犯しました。人を、斬りました」


 罪を告白して少しでも光重は楽になりたかった。

 住職に叱ってもらいたかった。叱ってもらって、強く抱きしめてもらいたかった。けれども住職は顔を振り「致し方ない事だ」と行いを肯定した。


「僕は罪を問われますか」

「問われるだろう」


 自分の父親がされたように、自分も草薙ヶ原のはずれの刑場で首を落とされるのだと覚悟した。

 僧侶は着替えを終えた光重を前にして、妙な事を言いだした。


「おまえは最初から今まで、やはり『忌子』だ」

「……忌子」

「だが、忌子だからと言って不運を背負い込む必要はない」

「どうすれば、善いのですか」

「逃げよ」

「えっ……?」

「逃げるのだ。遥か彼方、北方の聖地へ逃げよ。その地には偉大なる高僧が居られる。そこを目指せ。そこならおまえの罪を清め、往くべき道を示してくれよう」


 不意に唱えられた方針に光重は驚いて目を見張った。


「聖地……?」

「そうだ。おまえは聖地を目指せ。この草薙ヶ原に居てはならん」


 短刀を押し付けるように住職は光重へ手渡した。


「光重、善いか。おまえは忌子であるが、立派に成長した。これから元服を控え、多くの苦難が待っているだろう。だが、それを乗り越える力がお前には『必ず』ある。だからこそ、前へ進め!」


 震える光重の両頬をぐっと掌で掴んだ住職に、十三歳の少年は涙を流しながら震えた。


「僕は、どうしたらいいんですか」

「ガイラス山を目指せ。箴言密教の聖地と言われるガイラス山だ。偉大なる高僧がおまえの往く道を示してくれる」


 半ば追い出されるように奥の院から外廊下へと光重は出た。

 寺院の裏手の雑木林から、北の港を目指すよう住職に言いつけられた。


「おまえに苗字を与えよう。なにかと苗字がなくては困ることがあるだろう。なに、そんな顔をするな。一足早く、おとなの称号を与えられるだけだ」

「……で、でも」

「那曲<なくちゅ>という苗字を与える。これは密教の名であるが、黒い河の意がある。おまえの往く道は黒く先の見えない河のようだが、必ず河は大海に至る。おまえはその大海を見つけよ」


 住職がそう言ったとき、正門から怒号のようなものが響いた。

 それは紛れもなく光重を追う役人の声であった。


「天現宗派の道場を襲った賊がここに逃げ込んだとの話がある。改めさせてもらう!」


 この声を耳にして、光重と住職は頷き合った。

 そして別れの挨拶もせず、光重は雑木林を駆けだした。



 どれほど走っただろうか。


 山を越え、田畑を横切って、厚真国と松治国の国境を越えたところで振り返った。山の中腹にある常盤院の方から、黒煙と火炎が見えたのはその時だった。

 光重は涙を強く拭って北の港を目指して再び走り出した。




 聖地・ガイラスを目指す那曲光重の長征が、ここに始まったのだ。

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