那曲光重の長征 05



 遅刻した。

 光重は試合に遅刻した。



 第二試合が始まる時間をとうに過ぎていたが、光重は城下を内幸道場へ向かって走っているようなありさまだった。


 事情はある。


 早朝の稽古でリリアが鼻血を吹いて卒倒し、失禁までしたものだから、その場にいた誰もが飛びあがって驚いた。

 昼前にはリリアの意識も回復し、平常に戻っているが――この看病を奉公人たちとしていたおかげで、大遅刻をしてしまったのだ。

 内幸道場の中庭へ到着した時、すでに全体の試合は始まっており、第七試合が終わったところだった。

 女将あかね付きの奉公人に土下座をして、謝意を伝えたが……とうの女将あかねからはなんの返答も得られなかった。

 光重はどのような叱責も受ける覚悟であったが、いまは内幸道場の隅で膝を抱えて試合の経緯を見守るしかなかった。


 第八試合が終わり、四対四の拮抗状態である。


 第九試合が始まろうとしていたとき、女将あかね付きの奉公人が光重の元へやってきた。


「女将が大将をとって来いと仰ってる。自分の失敗は自分の手で取り返せ」


 それだけ言うと女将あかね付きの奉公人は小走りに去って行った。

 光重は「はい!」と元気よく返事をしたが、相手の大将は当然のことながら内幸源流道の長男――内幸綺羅星<うちさいわい きらぼし>である。

 第九試合は内幸源流道の次男である内幸流斬星<うちさいわい きらら>が木刀を握っている。精悍な顔つきをした若者であったが、どこか腑抜けた印象を光重は抱いた。

 若野林屋の大将が内幸流斬星を下したとき、ちらと第二試合の結果を見た。

 開始二分で大岡山宣幸が若野林屋の奉公人を倒している。もし自分が戦っていれば、もっと結果は違ったかもしれない。光重はそう思いながら、木剣を握って立ち上がった。


 五対四の成績で迎えた大将戦。


 多くの人々は、二十歳で元服したばかりの内幸綺羅星と遅刻した十二歳の小僧では勝負にならないと考えていたはずだ。

 内幸綺羅星は源流道の長男であるだけあって、凛とした殺気と威圧感を放っていた。

 細い木刀を正眼に構え、光重を見てにやりと笑っていた。

 一方の光重は右足をわずかに引いた左前側応<さぜんそくおう>の構えで木剣を構えた。光重は細い木刀ではなく、剣身の平たい濶剣を使っている。

 女将あかねと内幸源流道が見守る中にリュドミラの姿もあった。

 彼女は女将あかねの傍らに控えており、じっと光重を見つめていた。

 内幸家の門徒も若野林屋の奉公人も、最後の一戦に注目していた。

 第九戦を終えて四対五である。若野林屋の負けはない。たぶん、女将あかねも『引き分け』というセンで決着を図るつもりだったのだろう。

 相手は内幸家の長男である綺羅星で、慶事元服を昨年に済ませた人物だ。

 二十歳と十二歳の差は歴然で、誰もが内幸綺羅星の勝利を疑わなかったハズだ。

 噂を聞き付けた城下の人たちが、内幸道場の高い壁をよじ登ってまで試合を観戦しに来ている。

 それだけ松治国・草薙ヶ原の城下は騒然とする試合なのだった。


「では、はじめ!」


 審判役の声が道場の中庭に響きわたった。



* *



 内幸綺羅星の木刀が地面に転がったとき、誰もが「あっ……」と声を漏らし、前のめりに立ちあがろうと腰を浮かせていた。

 ぜえぜえと光重は荒い呼吸を繰り返しながら、自分の木剣の前に片膝をついている綺羅星を目の当たりにした。


「しょ、勝負あり!」


 審判の声だけが道場の中庭に響き渡ったが、歓声よりもどよめきが低く蛇のように場を支配していた。


「む、無効だ!」


 内幸道場の門徒が怒鳴った。

 それに続いて、多くの内幸門徒が立ちあがって無効を主張した。

 その混乱の中で女将あかねは内幸源流道へ目礼し、なにかを告げた。それを聞いた源流道は顔を赤くして憤慨した表情を浮かべる。女将あかねはお付きの奉公人を引き連れて早々に道場を辞してゆく。

 一方で光重の周りには若野林屋の剣士たちが集まり、いまにも襲いかかってきそうな内幸門徒に対峙していた。

 混乱を沈めたのは、内幸源流道の「もう良い!」という怒号にも似た声であった。

 内幸源流道は茶台の盆を蹴り飛ばして道場の中へと去っていた。それを認めた内幸門徒たちは複雑な表情で木刀を降ろし始めた。若野林屋の剣士たちも、それに合わせて道場を辞した。




 試合は外道試合と揶揄されるような内容であった。


 けれども、光重自身はそう思わない。

 斬った、斬られたは命のやり取りである。そこに外道も正道もない。

 圧倒的な強さを誇る内幸綺羅星の攻撃を一合、二合と打ちあい、激しい剣戟によって試合の序盤は盛り上がった。けれども、すぐに光重は剣戟に弾き飛ばされ、態勢を崩してしまう。

 トドメの一撃が光重を打とうとしたとき、十二歳の細い足が綺羅星の股間を打った。

 これを悪手であると批判する声もあったが、光重の木剣が金的を誘うような動きをしていたと分析する『優秀な者』もいた。

 不意の攻撃に崩れた綺羅星の顔に光重は地面の砂を投げつけ、目を潰したところで木剣の一撃が『綺羅星の手首』を打った。脳天を打たなかったのは、十二歳の少年なりの配慮だったのだろう。

 その配慮が見え透いていたので、内幸家の面子は完全に潰れてしまった。

 試合はわずか数分で決した。

 そして若野林屋は内幸家が所有する草薙ヶ原郊外の広大な土地を譲り受け、また剣術指南役としての城主仕えの権利を有した。

 女将あかねは「指南役まで商家が得てしまえば、道場になんの意味がありましょうか」と辞退したが、内幸家にとっては屈辱的な事であった。

 また内幸源流道は宗派対立を煽るような大言を放っていた事も、よくなかった。

 内幸家が信奉する天現宗派と若野林屋が信奉する箴言密教の正統性が、この試合によって一種の決着をみてしまった。

 箴言密教の信奉者のほうが天現宗派の信徒よりも優秀である、というものだ。

 これはある意味で内幸道場としての面子よりも、代々信奉してきた精神的な主柱に亀裂を走らせる重大な出来事だった。

 このような内幸家の立腹がある最中で、一方の若野林屋はお祭り騒ぎのような祝賀会が催された。

 総勢200名を越える『若野林屋』の関係者とその親密な取引先、顧客、さらには常盤院をはじめとした箴言密教の寺院などを招いて、大々的な宴が屋敷で始まった。

 光重は浮足立った屋敷の雰囲気に戸惑いながらも、日々の務めを果たし、稽古は怠らなかった。


 そんな中で小さな不幸が起こる。


 若野林屋に勤める店番のひとりが、酒に酔った勢いで問題を起こした。

 彼は城下ですれ違った内幸道場の門徒に。


「我らは筆と剣を持つ。おまえ達は剣一筋であるのに、なんとも情けのないものだな!」


 喧嘩を売ってしまった事により、殴り合いを始めてしまい近所に迷惑をかける結果となったのだ。本来であれば女将あかねと内幸源流道の間で問題を着地させることが出来たのであろうが、時期が時期であり、道場と商家は初めて『本格的な対立』をしてしまう事となった。

 この問題の根本は自分にあるのではないか、と光重は悩んだ。


「本当は商学や歴史学をやりたい。剣など握りたくないのだ。けれども、そうもいかない。僕はどうしたらいいのだ?」


 とある稽古終わりに鼻血を拭っていたリリアに光重は漏らしたことがある。

 リリアはうまく答えることが出来なかったという。

 そして、あの日が訪れてしまうのだ。

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