那曲光重の長征 03



 春の桜が散り始めた頃、屋敷奉公として小娘が十数名ほど『若野林屋』にやってきた。そのなかに、リュドミラという美しい少女がいた。

 彼女は淑やかながらに強い芯を持った娘で、光重はひとめ見た瞬間に心を奪われてしまった。屋敷奉公の小娘は女将あかねの手ひどい作法の仕打ちに毎夜啜り泣くと言われていたが、リュドミラが涙を流しているところを一度も見たことがなかった。

 リュドミラは優秀な少女だった。けれども、失敗をしないわけではなかった。女将あかねにこっぴどく叱られ、頬を紅潮させて涙を堪えている姿をちらと見かけた事はある。

 けれども、その目に宿った叛骨的な強さは、どの少女にも見られるものではなかった。


「素敵な娘だ……」


 光重は『若野林屋』に来てから、初めて人間的な柔らかな感情を抱く事が出来た。

 またもう一人、注目すべき少女がいた。

 それがリリアであった。

 彼女もまた屋敷奉公の小娘としてリュドミラと同じ一団で『若野林屋』へやってきた。

 リリアは几帳面ではあったが要領が悪く、先輩の上方女中からよく小言を言われては泣いていた。

 もっとも泣いているのを見たことがあるのが、リリアだったのだ。

 そんな彼女が「わたし、もう奉公なんて嫌ッ!」と叫び、木剣をとったのは秋口の事であった。


「わたしはこんなことをしたくない! 強くなりたい! 光重のような、自分よりも大きい相手を倒せるようになりたいの!」


 女将あかねの前でリリアは泣きながら叫んだのだ。

 すると女将あかねは首を縦に振った。


「では、明日から『剣術』と『魔術』の習い事に行きなさい。あんたは小娘だけど淑やかさが致命的に足りないわ。いままでも、たぶんこれからも」


 この女将の裁定は瞬く間に屋敷内に広まった。

 光重は「変わった子もいるもんだな」と思ったのだ。まさか、女将あかねへの直談判に自分の名前が出たとは夢にも思っていなかった。

 案の定、リリアは手ひどく打ち据えられ、泣くというよりは絶叫する毎日であった。


「おまえ、あんまり剣術に向いてないんじゃないのか?」


 ある日、ひどく打ち据えられてうずくまっていたリリアに光重はそう声をかけた。赤くはれ上がった手の甲や腕を点検して、軟膏を塗ったり水で冷やしたりしてやった。

 そのときリリアはずっと泣き通しで、まともな会話などしなかった。

 けれども、そのときから光重とリリアの本格的な交流が始まったのだ。

 お互いに忙しい毎日で、会う時といえば稽古のときだけ。それもリリアはひどく打ち据えられて、悲鳴か絶叫か慟哭を放っている場合がほとんどだった。卒倒したり、鼻血を出したり、なにもないところで転んだり……とにかく、見ていられない女の子という印象を光重は持っていた。

 稽古で身体を痛めつけられるから、他の習い事や雑用にも影響が出てくる。そのせいで女将のあかねや他の先輩からも「あの子はダメだ」「なんてどんくさい子なのだろう」「女将に盾突いたわりに使えない子だ」などと陰口をたたかれる始末だった。

 光重はそれを知っていたから、せめて自分だけはリリアを慰めてあげられる存在でいようと思った。


 この『若野林屋』は想像以上につらい修行の場である。


 だからこそ、仲間同士が手を取り合って日々を乗り越えて行かなくては、到底うまく過ごす事は出来ないのだ。

 同じ苦楽を共にする同世代の仲間だからこそ、光重はリリアをはじめとした多くの奉公人や小僧たちに信頼される存在になっていった。




* *




 太陽暦888年 飾摩24年――。



 その日は、ひどく蒸し暑い朝だった。

 むせ返るような湿っぽい暑さで、起き上がるのに苦労した。

 光重が朝食の支度を終えた頃、嫌な驟雨が城下に降り始めた。


「おい、ちょっと。光重、あんた今日はあたしと一緒に外出をするわよ」


 小僧が寝起きをしている部屋へやってきた女将あかねに言われ、光重は居住まいを正した。

 まわりの小僧達からは「なんか悪い事したのかよ?」と問われたが、まったく身に覚えはなかった。

 大きな傘を持ち、女将あかねと城下を歩いた。

 そして、その刑場へと着いた。


「……お、女将さん、ここは?」

「よく見ておきなさい」

「み、見ておけって……」


 不思議だった。


 多くの人だかりが出来ているのに、その刑場で頭を垂れている人の姿をしっかりと見てとることが出来た。

 彼は元服した男性で、上半身が裸だった。

 生気のない顔をして、伸び放題の髪の毛と髭で表情が良く見えない。けれども、光重はなにか『特別なもの』を感じたのだ。

 役人が口上を述べて、執行人が剣をとる。

 そうしてから罪人の首が胴から飛ぶまでに、長い時間はかからなかった。

 人間の血は想像していたよりも黒いのだ。それに『死』というものは、考えていた以上に現実的な出来事なのだと光重は、なんとなくではあったが思い直した。


「あんたの産みの親だよ」


 女将あかねはそう言ってから、くるりと踵を返して歩みだした。

 呆然としてしまった光重に「ほら、傘を! 濡れるでしょうが」と女将あかねは声を尖らせた。

 慌てて歩調を合わせて歩みを進めたが、軽い困惑が次第に重く広がってゆくのがわかった。


「あ、あれが……僕の父さん……?」


 混乱した。


 自分の産みの親が女性ではなく、男性であったことに衝撃を受けた。

 これまで、自分は他の誰とも同じであると信じていた。けれども、自分は俗に言う『忌子』ではないのか。

 このとき、光重は『忌子』の意味をうまく理解していなかった。

 けれども『忌子』である旨は、本当に大切な人以外には明かしてはいけない『秘め事』なのだと本能的に理解した。

 口うるさい女将あかねが、無言のままに歩いてゆく。

 その姿を目の当たりにして、光重は自分に秘められていた禁忌をひとつ知った。

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