アダン会戦 11



 和平交渉は南部『ギヨレン』の街で行われた。


 本来は戦勝側の首都なり都市で行われるのが通例であるが、北部『アラゼ』の豪雪はすべてを閉ざす勢いであり、とても和平会談を行える状況ではなかった。

 またそのような『地域』であるため、『都市』と呼べる栄えた街がひとつもない。

 そういった事情から南部『ギヨレン』側の国境付近の街で和平会談と調印が行われた。

 『進州開拓団として共に手を取り合って発展してゆこう』という握手から始まった進州入植であったのに、いつしか北部と南部に別れて剣をとる事態となってしまった。


「この悲しむべき現実を乗り越え、わたし達は新たな時代を切り開くために、この和平に互いが調印を行う。将来への素晴らしい布石とするために」


 最終的な調印式で内幸流斬星は言い、洋紙に羽ペンでサラサラとサインを書き込んだ。それから家紋の印判を溶かした蝋の上に押した。ギヨレンの幹部たちが見守るなか、まばらな拍手が起こり、那曲光重の手元に調印書がまわってきた。


「わ、悪いんだけどさ、印鑑を持ってないんだ」


 そう言って筆で名前を書きつけた。

 那曲側と内幸側で二通の調印書を作成し、互いにそれを交換して式は終了となった。

 敵陣でこのような調印式が開けたのは、なにをどう考えてもシグネのおかげだった。アガナ人でセヴァート族の戦長であるシグネは、決戦の際に内幸軍の後背から奇襲をかけた。その際に八名ほどの捕虜をとった。


「綺麗な鎧を着ている連中をさらってきたぞ!」


 そう報告してきたシグネが印象的だった。

 調印式に暴力的な怒号が飛び交わなかったのは、それらの捕虜が強く作用している事は明白だ。和平の上位事項に『捕虜の解放』が盛り込まれたのも、その証拠だろう。

 那曲側は『食料支援』『金銭賠償』『魔導石の贈与』『南部の通行権』などを要求し、承諾された。またデルデ連峰を含むアダンの丘までを北部占有地であることが明記されたが、そんな土地をもらったところで光重はなんの意味もないと考えていた。

 和平会談が終わり、捕虜解放のためにデルデ連峰へ向かっている途中で、護衛としてついて来ていたシグネが「なあ!」と声をかけてきた。

 愛熊『ルモイ』にまたがった身長190センチの彼女は、猪と鹿と熊の皮を継ぎ合わせた特殊な防寒具(戦闘服)を着込んでいた。もう匂いがすごいのだ。また頬や額に塗っている赤や青の顔料も、なかなかに野蛮である。


「メシ、いつこっちにもらえるんだ?」

「アガナには優先的に配るよ。ワギャップへ送ればいいの?」

「そうだな。それでいい。だが、変なものだな」

「ヘン……?」


 前を歩いていたリリアを見失わないように気を配りながら、光重は肩越しにシグネへ振り返る。

 シグネは頬や顎をさすりながら「ああ、ヘンだ」と繰り返す。


「おまえ達のような文明人は『金や銀』を要求するものだと思っていたが、案外、食い物を欲しがるんだな。あたしらと変わんねえーと思ったんだ」

「普通は金や銀やお金を要求するよ。でも、進州でそんなものがあったところで、なんの役に立つんだ? もっと実際的なものをみんなに配らなくちゃだめだ。牛とか馬とか、羊でも良い」

「羊はアガナじゃあ、うまく育たない」


 シグネに言われて「ああ、そうか」と光重は頭を掻いた。

 デルデ連峰から吹きつける風が、一層強くびゅうびゅうと吹き荒れた。

 ぼた雪まじりの風の中で光重は「はぁ……」と空を見上げた。


 不思議な空だ。


 デルデ連峰の稜線には鈍色の雲がかかっているのに、頭上は驚くほど高く青い空だった。その空を見上げたとき、やはり自分は和平交渉の場で『リュドミラ』を要求することが出来なかった、と思った。


「悔やんでるの?」


 前を歩くリリアが歩調を緩めて振り返っていた。


「えっ……?」

「リュドミラの事を考えていたんでしょ?」


 うん、と光重は頷いた。


「もう、僕は彼女とは会えないのかな」

「そんな事はないわ」

「でも、彼女が僕にとっての精神的な軸になっている。流斬星たちはそこを簡単に崩す事が出来る。いろいろと考えれば考えるほど……心に堪えるんだ」

「まさか、厚治国主の内幸源流道と戦うつもりなの?」

「いや、でも……そうなるだろうね。僕がリュドミラを求め続けてしまったら、進州の人たちを厚治との戦いに巻き込んでしまう。だから、リュドミラの事は諦めなくちゃいけない」


 しばらくびゅうびゅうという風の音だけが一行の周囲に満ちていた。

 これまで沈黙を保っていた異界の褐色女であるフェオドラが首をかしげる。


「この戦もそうだけど、相手側から仕掛けられてる。うまく説明できないけど、その『リュドミラ』って子を盾に取られた状態で、また南部『ギヨレン』が攻めてくるとは考えられないのか?」

「充分にあり得るわ。今回に戦いも、その点がもっとも不安視されてた」


 フェオドラの疑問に答えたのはリリアだった。

 リリアは続ける。


「変な言い方になるけど、わたし達は内幸流斬星を信頼したの。あの子が、リュドミラを盾に脅しをかけてこないだろうって。そんな愚劣な事はしないだろうって」


 事実、内幸流斬星はそのような事はしてこなかった。


「この敗戦を機に、考えが変わるかもしれない」


 フェオドラの発言に光重やリリアは頷かなくてはいけなかった。

 歴史的な大逆転勝利を達成したというのに、光重の胸中は大敗を喫したような気分だった。

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