アダン会戦 10



 那曲光重が軍勢を大きく動かしたのは、それから一週間後の事であった。

 悪魔の雪雲がデルデ連峰の上空を覆い、一晩で一メートルの積雪をもたらした。

 すでに雪は三日三晩も降り続き、デルデ連峰の後背に抜ける迂回路は雪によって塞がれた。また峠道も、もはや『道』とは言えない状況に成り果てていた。

 悪魔の雪を理解していた那曲光重の軍勢は、防寒対策によって更なる持久戦を覚悟していたが、まったくの素人である内幸流斬星の軍勢は猛烈な雪に混乱を極めていた。

 戦局の打開を急いだ内幸流斬星の軍勢が、攻勢を仕掛けようと軍列を整え始めたとき……那曲光重も最終的な決戦を予感し、兵員を集結させた。

 内幸流斬星の本陣では激しい軍議が交わされたが、最終的に流斬星の『突撃やむなし』の結論に落ち着いた。大岡山宣幸ら作戦参謀たちは、この不利な状況で最も効率的な攻撃を思案したが、疲労困憊した兵士と極度の寒さ、さらには慣れない山岳や雪原での行動に四苦八苦していた。




 両軍が激突したのは、早朝であった。


 内幸流斬星の軍勢およそ15万が大挙してデルデ砦を目指したのだ。

 後衛の魔導師が魔導石を惜しみなく使って火炎魔法で雪を溶かし、それを足がかりに兵員が突撃を敢行してきた。

 那曲光重の軍勢も魔術師と射手で上方より抵抗を試みた。

 デルデ峠の戦いはここに始まり、およそ八時間近い激闘の末にデルデ砦は陥落した。

 破壊され尽くしたデルデ砦に立った大岡山宣幸は、この惨劇に膝から崩れ落ちたという。


「デルデ砦は陥落した。だが、これは陥落と言えるのだろうか。那曲光重の正規軍は砦に火を放って整然と撤退をした。一方の我々は――」


 宣幸がデルデ峠を振り返ると、そこには黒ずんだ遺体の数々がどす黒い血と泥によって雪を穢していた。死屍累々と積み重なる死の匂いと血の河が峠道となっていた。それを見て、これを勝利と言える人間はいなかったであろう。

 デルデ砦より消えた那曲光重の正規軍の足跡は、悪魔的な雪によって消えかけようとしていた。

 砦から見えた広大な北部『アラゼ』の雪原を目の当たりにしたとき――猛烈な豪雪によって驚くほどの積雪となっている大地全体が、もはや罠と死と破滅の平原であるように思われた。

 部下の遺体の上を脚をとられながら登ってきた流斬星は、「えぐえぐ……」と涙を拭いながら宣幸の元へとやってきた。


「宣幸ぃっ! 宣幸ぃっッ!!! 那曲光重は……光重は捕えたのか! おい、光重はどこだ! 殺したのか!」


 早朝からのアガナ会戦で、大岡山宣幸が指揮する最前線はデルデ峠に阻まれた。一方で後衛の司令部はアガナ人の攻撃を受けて混乱したという。内幸流斬星は、この後衛で戦局を見守っていたため……攻撃に巻き込まれたのだ。

 流斬星の上品で豪勢な赤い甲冑は、薄汚い黒ずんだ血によって『わずかに』汚れていた。彼が身にまとっている鎧の赤が『鮮血の紅』であれば、どれほど心が軽くなっただろうかと大岡山宣幸は密かに思った。

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