第一章 アダン会戦

アダン会戦 01

第一章 アダン会戦



 太陽暦902年 豊北5年――。



 那曲光重<なくちゅ みつしげ>はアダンの丘の本陣より整列した戦闘群の後衛を見つめて肩を寄せた。


「やれやれ、よくもまあ、こんな軍勢を集めたものだね」


 傍らに控えていた副将のリリアは気難しい顔で答える。


「内幸流斬星<うちさいわい きらら>の軍勢はおよそ17万6千、魔導石も8万を越えると推測されます」

「なにを言うの。我々のことだよ」


 馬に槍に甲冑に剣に松明に魔導石に……。

 無一文の状態から数年で、よくここまで軍備を整えたなあ、と那曲光重は思うばかりだった。

 ぼさぼさの頭を右手でわしわしとひっかき、リリアが「お願いですから、鎧を」と言った鎧を肩越しにちらと見る。これから戦が始まると言うのに、大将である光重自身が武装を整えていない。

 本陣の設営も簡易なもので、これが本陣です、と言わなければ誰もわからないだろう。


「こちらの軍勢は3万8千、あちらさんは17万6千と来てる。こりゃ早く行かないとまずいよね」

「なっちゅ……お願いだから、最終交渉の使者が戻るまでは本陣から出ないでください」


 リリアは眉間に寄せた皺をぴくぴく動かしながら、呻くように言った。『なっちゅ』というのはリリアが光重を呼ぶ時の名称だ。苗字が『那曲<なくちゅ>』であるからだが、呼び慣れない客人などはときどき『噛んで』なっちゅと言ってしまう。いつしか、親しい人々の間でそれが定着したのだ。誰も正さず、誰も否定しないので。

 アダンの丘から見える進州の南部が、人馬の息遣いで白く濁っているように見えた。

 地面は白く濁っているのに、空は夜明けの太陽で赤く染まろうとしていた。


「おうい、みんなも急いで逃げる準備をしておいてくれよ。こんな垂れ幕や松明なんて、別に打ち捨てちゃっていいんだ。命を保つことだけを考えて、逃げてくれよ」


 ギイギイと背もたれの鳴く木の椅子は、光重の体重と早朝の寒さで一層うるさく鳴いていた。

 本陣に詰めていた兵士たちが白い息とともに、ははは、と軽い笑いが起こる。

 リリアだけが「まったく……」と目を伏せていた。

 そうこうしているうちに軍列を縫うように一騎の伝令が走ってきた。

 伝令の兵士は馬上から魔導石に魔力を込め、青い色の火を上空にあげた。花火のように空に上がった魔法の珠はズンっという音を響かせて青く輝いて消えた。


「さて、交渉決裂ということだね」

「開戦……ですね」

「そうみたいだ。じゃあ予定通り、逃げましょっか」


 アダンの丘の遥か彼方から、敵兵の雄叫びや太鼓の音が低く響いてきた。まさに、これから『悪しき那曲光重の軍勢を皆殺しにしてやるぞ!』という意志が感じられた。

 だから那曲光重と兵士たちは『理路整然と』アダンの丘を捨てて退却を始めた。




* *




 アダンの丘のふもとには、前時代の旧領主『南雲氏』が館を構えていた。いまでは朽ち果てた木造の躯体が残っていたり、家々の基礎が残っているだけで、そこに人々の生活があったとは思えないような、美しい平原地帯となっている。

 そのため南雲館の平原と呼ばれ、アダンの丘は南雲館の平原を抜けた先に、こんもりとした穏やかな丘として存在している。




 進州南部『ギヨレン』開拓団の長である内幸流斬星<うちさいわい きらら>は、予定よりも早く南雲館の平原に到達したと言う報告に触れて、戦略参謀総長の大岡山宣幸<おおおかやま のぶゆき>に意見を求めた。


「宣幸さ、わかんないものだね。アダンの丘のふもとに布陣しているとなると、合戦は地理的にも南雲館の平原じゃないの?」

「おっしゃる通りです。ですが、那曲光重は『デルデ峠』ではなく『アダンの丘』に布陣しました。わたしが那曲光重であれば、間違いなく布陣は『デルデ峠』です。それを敢えて『アダンの丘』にしたのですから、相応の奇策を用いてくるハズです」


 小柄な内幸流斬星は豪勢な本営の玉座の上で「むう……」と頷いた。父君の内幸源流道<うちさいわい げんりゅうどう>より贈与された真っ赤な甲冑には、竜の刻印と紋章が大きく刻まれている。


「なら、俺はなにを指示したらいいの?」


 流斬星の問いを受けて、背の高い宣幸は彼方の南雲館の平原へ視線を注ぐ。


「兵力も物資もこちらが断然優位です。焦らず、慎重に……焼き払いましょう」


 短い黒髪の精悍な青年は木材で組んだ砲台へ視線を振った。

 砲台の上には野戦砲であるレドンド・キャノンが八基ほど発射命令を待っている。魔導石を装填し、十五名の魔導師によって発射される大型魔導砲の一種である。

 本来は攻城兵器であり、城攻めに多用される。しかし、発射角を調節すれば広大な平原に布陣する敵に対しても有効な打撃を与えることが出来る。

 宣幸は軍配を振り、レドンド・キャノンへ発射準備を整えるよう指示を送った。


「流斬星さま、よろしいですか?」

「……ん? 任せる」


 了解いたしました、と宣幸が「撃ち方、はじめ!」と軍配とともに発声した。

 砲台に設置されていたレドンド・キャノンが猛烈な轟音と光を伴いながら一斉に発射された。

 魔力の光珠が早朝の空気を切り裂きながら、南雲館の平原で炸裂する。

 朽ち果てた家々の基礎や躯体は、もはや原形をとどめていないだろうというほどの衝撃と火炎が、平原に広がった。

 発射の衝撃で首を竦めて両耳を押さえていた流斬星が、宣幸に「こんなに音がするのか、聞いてないぞ!」と苦言を呈した。

 それに宣幸は答えず。


「平原の安全を確保しましたので、一挙に進撃しましょう」


 焼き払われた平原のあちこちで、弱い火柱が見えた。

 それは那曲光重が設置していた奇策の種だろうと宣幸は判断した。


「……我々が正義だ。那曲光重」


 ぽつりと宣幸はそう呟いた。

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