5

 柳は、緋澄に向かって襲い掛かる。片手にナイフを持ち、その胸に突き刺そうとする。

 緋澄は柳の右腕を上へ掃い、隠していたナイフで柳の右脇に切り込む。立て続けに、ナイフを柳の体に滑らせて全身の動脈に刃物を入れていく。だが、柳が怯むことはない。

「キメてるのか、こいつも」

 飛鳥はつぶやきながら足を進める。きっとこの男もフィアレスを飲んでいる。どれだけ切ろうとも、その男は止まらない。

 飛鳥はナイフを持って男の背後へ回り込む。

 例え痛みがなかろうが、動けなくなる方法はある。飛鳥は片膝をつくと、柳の両足の腱を切った。柳はその場にばたりと倒れる。だが、ナイフを持つ右手を振り、なんとかして緋澄を殺そうとあがいている。

「痛みがないから、自分に何が起こってるのかわからないって感じだね」

 飛鳥がつぶやく。ああ、それが「副作用」か、と納得した。

 痛みとは、自分に危険が迫っていることを伝えるための警報だ。

 フィアレスを使えば、痛みを恐れない兵士を作ることができる。だが、結果として自分に迫る死の危険や、どこをどんなふうに負傷したのかがわからず正しい判断ができなくなる、という欠陥だらけの兵士ができあがる。この柳も、その犠牲者の一人だ。

 流血は収まらない。じき、この男は死ぬだろう。

 床が真っ赤に染まる。飛鳥は立ち上がり、緋澄の方を見た。

「そろそろ帰……」

 そう言葉を放とうとして、緋澄が柳の頭を蹴り飛ばしたのが視界に入った。

 完全に気を失った柳の首を、緋澄は遠慮なくナイフで掻き切った。

 柳は事切れた。魂の消えた体を見下ろし、飛鳥はため息を吐いて背を剥ける。

「満足したか? ならさっさと帰るぞ」

「……」

 飛鳥の声をスルーするように、緋澄は感情を隠したような表情で、外へ出る階段へと向かって行った。

「……」

 残された飛鳥は、冷めきった目で、柳の肢体を見下ろしていた。

「……久々に会ったと思ったら、結構あっさり死ぬんだな、お前」

 熱のこもらないその声が、フロアに小さく反響した。


「で、緋澄さんに先越されちゃったってことですか?」

 いつもの喫茶店で、さゆりが呆れ気味に答えた。

「そうそう。ほんとやんなっちゃうあの子」

 やたらと媚びるような猫なで声で、飛鳥は言った。

「もうあの子と同じ組織の人間の依頼するのやめてほしいんだけど、いい?」

「そうですね……まあそれも考えておきますよ」

 ため息を吐いて、さゆりは答えた。

「でも、あの人不思議なんですよね」

「何が?」

「はい、あの人、枝垂の組織の人間が対象の仕事はないかって聞いて来たんです。それ以外は金積まれてもやらないって」

「へえ、枝垂んとこのやつに家族殺されたりしたのかな」

「多分そうでしょうね。こっちの業界の人間はみんな、金さえ払われたら誰を殺そうとも関係ないって感じですから。特定の仕事しかしないってことは、その存在に恨みがあるんでしょうね」

「それもそうだな」

「飛鳥さんとしてはどうなんですか? それ」

「えー? まあそいつの勝手だと思うけど。殺し屋なんて大量にいるんだし、その中にそんな理由で人を殺す人間がいたって何もおかしくないと思うよ」

「いいえ、そうじゃなくって……」

 さゆりが一度、視線を落とした。

「……枝垂の元専属暗殺者としての意見ですよ。自分の同僚が殺されてるんですよ?」

「あーそうだね。昨日も一人殺されたね」

 柳の死に顔を思い出す。なぜだろうか、生きていた時の顔も声も、今となっては思い出せない。

 かつて飛鳥は、この凸風市を取り仕切っているギャング――枝垂直属の暗殺者だった。六年前を境にフリーに転身したわけだが、柳とももちろん面識はあるし、今となっては懐かしい遊びをやったりもした。

 そうだ。昔はもっと派手に遊んでいたな、と飛鳥は自嘲気味に笑う。あちこちの女にナンパして遊びまわっていた。その反動か、今はその手の遊びはさっぱりだ。もう歳だし、ちょうどいいだろう。

「枝垂のとこのやつらが殺されようとも、別にもう俺には関係ない話だし。依頼主は令鬼院に連なるどっかの組織でしょ? クライアントの注文にも個人的な恨みにも答えられるなら、ほら、なんだっけ? あーあのウィンウィンってやつだし、俺はいいと思うけど」

「……そうですよね」

 はあ、とさゆりはため息を吐いた。

「え、なんでそんなリアクションなの。俺なんか間違ったこと言った?」

「いいえ、間違ってないです。あなたにその質問をした私が間違いでした」

 何その反応、と飛鳥は首をかしげて手元に置かれた酒をあおった。

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