第55話 逃避行のはじまり③

 時は戻る。

 文化祭――クスノキ祭は土日を使う行事だったため、一日の休息日が与えられている。

 休息日といっても、要するにただの振替休日だ。

 その休日をどう使うかは自由だ。だけれど、僕にとっては重要な日に位置づけられていた。


「……遅かったね」

「ごめんごめん、いっくん。叔父さんがなかなか外に出してくれなくって。でも、問題なしっ! いつでも何処でも行くことが出来るよっ」


 先に到着したのはあずさだった。

 あずさはいつも通り元気だった。それだけが取り柄――というのも言い方が悪いけれど、しかしながら、僕にとってはあずさが元気で居ること自体が有難かった。僕を頼ってくれること自体有難かった。


「……どったの、いっくん? 何か悪いものでもあった?」

「……いや、何でもない。それより、アリス、遅いな」

「なかなか出してくれないんじゃない? だって、休みは今日だけだし。だったら家に居る方が得策でしょう? まあ、アリスの両親に会ったことないから分からないけれどさ」

「……遅くなったの」


 うわっ。

 背後から突然アリスの声が聞こえて、僕は驚いてしまった。

 アリスは何があったのかさっぱり分からない様子だったが、それよりも、僕の驚いている様子が気になるようだった。


「何をそんなに驚いているの。私は、ただここにやって来ただけなの」

「そういう問題じゃないだろっ。突然後ろから声をかけられたら驚くに決まっているっ。……まあ、アリスで良かったけれど」


 正直、アリスは来ないと思っていた。

 アリスの両親が分からない――それにUFOを見つけた日の次の日に学校にやって来たことから、自衛隊の関係者じゃないかと思っていた。だからアリスは連れて行けないんじゃないか、なんて思っていたのだ。

 だが、だからこそ。


「……アリス、来てくれて良かった」

「どうしたの。そんな顔して」

「……いいや、何でもない。僕は君達が来てくれて、ほんとうに良かった」

「いっくんらしくないよ。その感じ」


 あずさは僕に語りかける。


「あずさ」

「いっくんはもっと元気もりもりだったよ。百パーセントの全力だったよ。でも今は、二十パーセントぐらいの力しか出し切れていないような感じがするよっ。分かる? 分かる? 分かるかなあ?」


 いや、分からない。


「いっくんはとにかく元気で居て欲しいんだよ。分かる? 分かって欲しいな。いっくん」


 ああ、分かっているよ。分かっているとも。

 僕はそう思いながら、話を続ける。


「それじゃ、向かおうか。……今日は、良いところまで連れて行くつもりだよ」

「良いところって何処? この前の映画館があった場所より良いところかな?」

「そうだ。それよりも良いところだよ。絶対に、絶対に良いところだから」


 そう言うことしか出来なかった。

 それ以上言うことは出来なかった。

 けれど――行き先は既に決まっていた。

 目的地は、決まっていた。



   ※



 江ノ電に乗って、藤沢駅へ。

 そこから湘南新宿ライン、小金井行きに乗り込む。


「こが……ねい?」

「栃木県にある駅のことだよ。ここから百キロぐらい離れているんじゃないかな。時間的には三時間ぐらいかかると見積もっているよ」

「……いっくん、まるでそこまで行くような物言いだね?」

「え? いや……その……何でもないよ」


 出来る限り、悟られたくなかった。

 僕が『いっくん』である限り、彼女達には幸せで居て欲しかった。

 だからこそ。だからこそ。だからこそ。

 僕は僕であり続ける。そのために。


「……いっくんは、どうして今日出かけようと思ったの?」

「え?」

「いや、だから、どうしていっくんは出かけようと思ったのか、って言っているんだけれど」

「……いや、ただ、たまに何処か出かけたくなるんだよね」

「ほんとうに?」

「……ほんとうに」


 嘘を吐くつもりはなかった。

 嘘を吐きたい訳ではなかった。

 ただ、真実を伝えられなかった。

 ただ、それだけのことだったのだ。

 僕がどう生きていこうと、それは決められるものではない。

 同時に、彼女達が生きていこうと思うこともまた、誰かに決められるものではない、と思っている。

 だから、だからこそ。

 僕は生きていこうと思った。

 僕は彼女達を救いたいと思った。

 僕は生きている価値を見出そうと思った。


『ドア閉まります、ご注意ください』


 電車のドアは閉まり、電車は発車する。

 ゆっくりと景色がスライドしていき、徐々に加速していくのが分かる。


「ねえ? 何処へ行くのかだけでも教えて欲しいんだけれど」

「……僕のおばあちゃんに会いに行くんだ。でも家族はなかなか会える機会がないものでね、だから君達と一緒に会いに行こうと思ったんだ。悪い話でもないだろう?」

「どうして私達と会いに行くことになったのかは分からないけれど……、でもまあ、良いか。いっくんのおばあちゃんってどんな人だろう……。会ったことがないから分からないけれど」


 僕も会いに行くのは、久しぶりだ。

 それも、急に電話もせずに会いに行くのは。

 もしかしたら用事があって外に出ているかもしれない。

 高齢者ゆえ、病院に行くのが日課みたいなことになってしまっているから、居ないことも数多いのだ。連絡をしないと、もしかしたら居ないタイミングに家に到着するかもしれない――という予想も立てていたのだけれど、電話をする余裕すらなかった。

 理由は、もしかしたら僕の周りにどれだけの自衛隊関係者が居るか分からなかったから。

 もし電話をしている最中にその人間に出会したら、僕の計画がパーになってしまう。そう思ったのだ。だから、僕は言わなかった。ギリギリまで言うのを避けていた。もしかしたら、今も誰かが監視しているかもしれない。そんな恐怖に怯えながら、僕は電車に乗っていた。

 監視されている可能性を考慮するならば、僕はそれに肯定せねばならないだろう。

 何せ池下さんに言われたのだ。――逃げるなら今のうちだ、と。そして僕はそれに従って、逃げている。それが意味するのは、彼の意見に同意したということ。彼の意見に反対しなかったということ。彼の意見に賛同したということ。それが何を意味しているのかは――分からない程、僕も馬鹿じゃなかった。


「……見た感じ、監視されている様子はないけれど」

「いっくん? どうかした?」

「いいや、何でもないよ。……ところで、さっきからごそごそしているのは何かな?」

「いっくんのおばあちゃんに挨拶するんだったら何か食べ物でも用意しておけば良かったな、って思っているんだよ。生憎チュッパチャプスしかないんだよね。新しもの好きだったりしない?」

「……うちのおばあちゃんはそんなこと気にしないから安心して良いよ」

「ええっ? ほんとうに?」

「ほんとうだよ。嘘は吐かない」


 ……まあ、それ以上に吐いている嘘がいくつかあるのだけれど、それは言わないでおこう。


「だったら問題ないかな。アリスも何か捜し物をしているようだけれど、アリスも同じ理由?」

「……食べ物を渡すのは常識、と習ったから」

「いやいや! うちのおばあちゃん、そんなに世間体気にしていないから安心して良いよ? 最悪小山駅のコンビニで買うキャラメルみたいなものだって充分だし」

「そうなの? ……だったら良いけれど」


 何とか二人とも納得してくれたらしい。


『次は横浜で御座います。お出口は――』

「いや! でもやっぱり買っておいた方が良いよ!」


 座っていたあずさがいきなり立ち上がると、そう高々に宣言した。

 周りの目があるんだから、あんまり目立った行動をされると困るんだけれどな……。


「ええっ? 良いよ、別に。気にしないで」

「私が気にするの! という訳で、次の横浜で降りるよ! 良いもの思いついたから! 大丈夫、駅から離れるつもりはないし!」

「え、ええっ!?」


 そういう訳で。

 僕達三人は横浜駅で途中下車をすることに相成ったのであった。


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