第24話 殺人鬼、御園芽衣子⑤

 次の日。八月十六日は登校日だった。別にそれ以上でもそれ以下でもない、ただの八月十六日になるはずだった。なるはずだったんだ。

 午前中の授業を終えて、部室に向かうと、そこにはアリスしか居なかった。

 アリスしか居ない。つまり、僕の疑問を晴らす機会は今しかない。

 そう思った僕は、一番アリスに近い席に腰掛けて、質問する。


「アリス」

「…………何?」


 アリスはまたも難しい本を読んでいた。見ると、アレイスター・クロウリーの『法の書』だった。またどうしてそんな難しい本を読んでいるんだろうか。……いやいや、今はそんなことを考えている場合じゃない。


「一昨日、殺人を犯したのは、君?」


 僕は単刀直入に問いかけた。

 僕と彼女の間に、無駄な言葉など必要ないと思ったからだ。

 僕と彼女の間に、無駄なやりとりなど必要ないと思ったからだ。

 僕と彼女の間に、無駄な価値観など必要ないと思ったからだ。

 だから、彼女は言った。


「…………うん」


 頷いた。

 彼女は、数刻の余韻を置いて、頷いた。


「僕は、殺人をした理由を聞きたいんじゃない、と言えば嘘になる。どうして、人を殺したんだい?」

「…………任務だから」

「任務? 誰かに命じられた、ってことか?」

「…………そこから先は、」

「うん?」

「…………禁則事項だから」


 禁則事項、ねえ。

 つまり、話を聞いても教えてくれないということか。思った以上にガードは堅いようだ。

 そんなことを思っていたら、放送のアナウンスが聞こえてきた。


『――高畑アリスさん、至急保健室に来てください。繰り返します、高畑アリスさん、至急保健室に来てください。放送終わります』

「行かなきゃ」

「それも、『命令』なのか?」

「…………たぶん、そう」


 たぶん、か。

 いずれにせよ、今の彼女を止める術は今の僕には持ち合わせてはいなかった。

 そう思っているうちに、アリスはたったったと走って何処かへ消えていった。

 それを僕は、目線で追いかけることなんてしなかった。



   ※



 保健室には、今池先生が待機していた。

 今池先生は七月からやって来た新任の先生である。高畑と同じタイミングでやって来た人間ということは、何らかの関係性はあるのかもしれないが、それを考えることは、『いっくん』を含めた彼らには何も出来る訳がない。


「…………失礼します」

「あらあら、そんなに畏まらなくたって良いのに」

「…………また、『治療』?」

「そうよ。『治療』は嫌い?」


 こくり、と頷く高畑。

 それを見た今池先生は、ただ一言だけ呟く。


「大丈夫よ、ちくりとするだけだから。直ぐ終わるから、ね。今は未だ平和だけれど、いつかこの世界で大きな戦争があったとき……貴方達には役立って貰わなくてはならない。そのために私達が居るのだから。分かっているわね? 高畑アリスさん」

「…………分かっている」


 何処からか取り出した注射器に、緑色の液体を投入していく。

 そしてそれを見た彼女は、何処か怖がったような表情を浮かべていたが、今池先生はそんなこと気にする素振りも見せなかった。

 そうして、注射器を彼女の右腕に突き刺した。


「…………っ」


 痛みは感じるのだ。

 未だ、痛みは感じるのだ。

 今池先生はそんなことを思いながら、ごめんなさいと思いながら、液体を注入していく。

 それが彼女のためならば。それがみんなのためならば。それがこの国のためならば。

 どんなことだってしてやる。どんなことだってしてみせる。

 そう思いながら、注射器を抜く今池先生は、


「終わったわよ。今日も良く痛みに耐えられたわね」

「…………出動は?」

「今のところ予定はないわよ。それとも、試験走行テストプレイがしたい?」

「…………それは、良い。計画は順調なの? …………今池誠司令官」

「ええ、順調よ。順調すぎるぐらい。今は北も東も落ち着いているしね。……問題はいつ『あれ』が投下されるかどうか、ってこと。あれが投下されてしまったら、貴方達にも頑張って貰わなくてはならない。それは、任務の一つとして決められたことなのだから」

「…………分かっている」

「じゃあ、これで終わりだから、教室に戻りなさい。……それとも、気分が優れないとか、そういう副作用があったりする?」

「…………、」


 首を横に振る高畑。

 そうして、高畑は席から立ち上がり、保健室から出て行くのだった。



  ※



 結局、他のメンバーがやって来るまで、アリスは帰ってこなかった。

 だから僕はあれの続きを聞くことは出来なかった。

 何だろう、このむず痒さは。

 犯人は分かっているのに、警察に突き出すことは出来ない。

 どうせ突き出したところで、『任務』と命じたところが揉み消すに違いないということ。

 そもそも『任務』を命じたところはいったい何処になるんだ?

 UFOが来た次の日に彼女はやって来た。……ということは、彼女はやっぱり、『宇宙人』なのか? だとしたら所属は何処になる? 自衛隊? そもそも僕達の法律で裁ける人間だというのだろうか?

 分からない。全くもって分からない。

 僕は、ちっぽけな人間だ。

 僕は、小さい人間だ。

 何も出来ない、何もすることが出来ない、何も逃れる事が出来ない。

 ちっぽけで、臆病で、どうしようもない人間だ。

 でも、それでも。

 やれることはきっと――あるんじゃないか?

 僕はそんなことを思うようになるのだった。



   ※



 その夜も、天体観測は失敗だった。

 UFOが見えることはなかったのだ。

 いつも通り片付けは部長達とあずさに済ませて、僕とアリスはさっさと帰ることになった。

 アリスはというと、僕の予想の五倍ぐらいのスピードでさっさと帰ってしまったため、続きを聞くことは出来なかった。

 そうそう、強いて言うならば。

 今日も彼女に出会うことが出来た――ってことぐらいかな。



   ※



 後日談。

 というよりもただのエピローグ。

 相浜公園のブランコに、今日もあいつはやって来ていた。


「……御園芽衣子」

「やっほ、いっくん。どうしたの、そんな暗い顔して」


 ブランコの隣に腰掛ける僕は、そんなに暗い顔をしていただろうか。


「犯人は、やっぱり俺だったか?」


 その言葉に、首を横に振る。


「そりゃ、とんだ冤罪だったな。そして、その態度からしてどうやら犯人も見つけているようだが」

「ああ。見つけているよ。けれど、そいつを警察に突き出すことはきっと出来ない」

「どうして? このまま俺の冤罪が適用されたまま、って言うのかよ? まあ、きっと過去にやった殺人をでっち上げてくるんだろうけれどよ」

「……あいつは、殺人を『任務』と言った。だから、あいつには上が居るんだ。命令系統上の上の存在が。その存在をどうにかしない限り、何も始まらないし、何も終わらない」

「そいつをどうにかすることは?」

「出来ないだろうね。今の僕じゃ」

「ふうん。お前らしくもない」


 ブランコから立ち上がると、僕の前に立つ御園。

 御園は言った。


「……それでもお前は俺と同じ存在なのかよ? いっくん」


 そう言い残して、御園はそのまま公園から出て行ってしまった。

 僕はそれを、見えなくなるまでずっと見送ることしか出来ないのだった。



   ※



 最後に、もう一つ。

 三日前の殺人を最後に、殺人事件は収まった。ワイドショーも殺人事件をあまり取り上げなくなってきたので、このまま殺人事件は闇に葬られることになるのだろう。

 結局、アリスが犯人だったのか。

 結局、御園が犯人だったのか。

 それは分からない。

 それが分からない。

 けれど――これだけは分かる。

 中学生一人で何とかなるようなものじゃない――何か大きな流れがあるということを。


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