第三幕 はざまの世界で

第1話 「再会」

 月の女神が第二の空に現れ帳を下ろす夜半時、二人の男が焚火を囲んでいた。

 炎の灯りがその二人の大雑把な輪郭を照らし出す。一人は魔術師風の丈の長い胴衣を着た者、もう一人はその身に甲冑を纏っていた。

 二人はこの世界に来て、まだまだ日が浅いが、ようやく全貌が見えて来たところだった。まずこの大地は広大であること。幾百年掛けねば辿り着けぬ場所だって星の数ほど存在する。それほどまで広い大地を彼らは旅している。当てのない旅に等しいが、いちおうその目的はあった。人を探しているのだ。もう別れてずいぶん経つ。しかし最愛の人の姿は瞼の裏に焼き付いていた。

 甲冑の男はその物思いに耽りそうになったが、ふと、こちらに近付いてくる足音を聴きつけて立ち上がった。



 二



 一定の間隔で身体が軽く揺すられる。

 レイチェルは目を覚ました。目の前には地面があった。そして彼女は自分が何者かに「く」の字に抱えられていることに気付いた。人攫いだろうか。しかし、何故人攫いに捕まってしまったのか理解できなかった。彼女は思い出す。仲間や多くの同胞達と共にヴァンパイアロードを攻めたことをだ。不気味に光る真っ赤な眼を思い出し、自分がヴァンパイアの捕虜になってしまったのだと悟った。

「気が付きましたか? レイチェル」

 不意にヴァンパイアには似つかわしくない透明で優し気な声が言い、レイチェルは混乱した。

「私をどうする気ですか?」

「まず、その体勢では身体が不便でしょう。一度止まりますから、座り直して下さい」

 優し気な声が言った。その声に悪意は微塵も感じられない。そして歩みが止まり、レイチェルは自分が抱えられているのではなく、腹這いに相手の背に乗せられていることに気付いたのだった。

 月明かりが四本の白い立派な脚を、その長い首に生えたたてがみを照らしている。

 それは動物だった。喋る動物。知識を総動員する。

「あなたはケンタウロスですか?」

 腹這いのままレイチェルは尋ねた。

「私はあのような野蛮な者ではありませんよ」

「じゃあ、ケンタウロスの中でも博識と言われているケイロン様ですか?」

 たてがみの主は愉快そうに軽く笑った。

「ケイロンではありませんが、彼らもまた私と主を同じくする神のしもべですね。ケンタウロスもそうですが、彼らはあくまで兵隊です。ケイロン達とはよく喋りますが」

 レイチェルは相手の言っていることを聴き混乱した。そしてそれを打破すべく尋ねた。

「あの、じゃあ、あなたは一体、どなたなのですか?」

 すると周囲の木々の枝々がちょうどなくなり、月明かりがその頭に突き立つ一本の鋭く長い角を明らかにさせた。

「私はユニコーンです」

 ユニコーン!? レイチェルは驚き再び混乱した。神学校時代に習った記憶が呼び起こされる。神の馬とも高位の使いとも呼ばれるユニコーンはこの世には存在しない。ユニコーンは獣の神キアロドのもとで神の宮殿を守護しているのだ。

「さあ、レイチェル一度下りて、再び私の背に座ると良いでしょう。あなたは大変疲れているはずです」

 そう言われ、レイチェルは背から下りた。途端に強烈な立ち眩みと眩暈に襲われた。そのまま倒れそうだったが、彼女は意思を強く持ち、恐縮しながら再びユニコーンの背に、今度は正常な形で座った。しかし、レイチェルの脳裏に一抹の不安が過ぎっていた。神の使いユニコーンがいるということは、自分は死んでしまったのだろうか。

「あなたは非常に特殊な状態です」

 こちらの考えを見透かしたようにユニコーンが言った。

「覚えていますか? あなたがヴァンパイアに汚染された仲間を助けるために、その全力を使い果たしたことを」

 レイチェルは思い出した。ヴァンパイアに噛みつかれ、人間からヴァンパイアへ変貌を遂げようというところのヴァルクライムに組み付き、そして祈ったことをだ。

「ヴァルクライムさんはどうなったのですか?」

「あの者は助かりました。あなたが助けたのです。無論、キアロド様の力があって成しえたことです。レイチェル、あなたは、あなたの肉体はそのキアロド様の力に耐えきれなかったのです」

「じゃあ、やっぱり私は死んだのですね?」

「いいえ、違います。キアロド様の強力な力があなたの魂を身体から押し出してしまったのです」

 レイチェルは首を傾げた。ユニコーンは言った。

「あなたの肉体は生きています。心臓も動いています。ただし行き場を失ったあなたの魂はここに来てしまいました」

 レイチェルは頷いた。半信半疑だが、ユニコーンは嘘は言わないだろう。今の自分は魂なのだ。そう思うのも変だった。

「キアロド様はこの度のあなたの自己犠牲の心を尊く思い、あなたを再び地上へ返すよう、眠り続ける肉体の中へ再び戻るようにおっしゃりました。本当ならば、あなたは死人と同じ扱いとして、地上にある肉体も、運命神サラフィー様や、他の創造神によって滅ぼされるところでした。しかし、キアロド様が強く交渉し、こうして再び地上へ戻り生を得ることができるようになったのです」

 レイチェルはとにかく、主神と仰ぐキアロドによって、特別に地上へ帰れることを許されたことだけを、どうにか理解した。

「どうすれば、生き返ることが……。いえ、肉体に戻ることができるのですか?」

 レイチェルが問うとユニコーンが応じた。

「それは役者が揃ってからお話いたしましょうか」

 レイチェルは頷きつつも尋ねた。

「ここは死後の世界なのですか?」

「そうですね。死後、最初に来る世界です。ここでは再び死を選び転生するか、第二の生を謳歌するか、自由に選べます。神も人も、ここを、はざまの世界と呼びますね」



 三



 ユニコーンは歩き続け、レイチェルはその背で考え続けた。だが、ヴァルクライムが助かったと聞いてホッとした。

 月明かりが照らす静かな道は果てしなく続くかと思われた。だが、前方に赤い灯りが見えてきた。

 レイチェルにもそれが焚火の灯りであることは何となく分かっていた。誰かが居る。

 やがて焚火の様子が明らかになったとき、そこに二人の人物が座っているのが見えた。

「そこにいるのは誰だ?」

 ふと、響いた声に、レイチェルは覚えがある気がした。彼女は懸命に耳を澄ました。

「言っておくが盗賊ならば諦めろ、お前達にくれてやるものは何もない。俺達を襲っても、お前達の授かった二つ目の命を落とすだけだ」

 レイチェルはその声を聴き身体が感動で震えた。

 忘れるものか、この声を! 深い音色の様な心地よい素晴らしい声を!

 彼女はユニコーンから降りようとしたが、立ち眩みに襲われ断念した。

「いや、友よ。そこに居られるのは、神の御使いのようだ」

 別の声が言った。

「神の使いだと?」

 ユニコーンが歩んでゆくと、魔術師風の影がまず跪き、もう一人甲冑の男が倣って跪いた。

 その姿を見てレイチェルは涙が溢れた。この甲冑の形には見覚えがあった。忘れるわけがない。

「クレシェイドさん!」

 レイチェルは感極まってそう呼ぶと、甲冑の男は驚いたように顔を上げた。

「その声、レイチェルか!? しかし、何故ここへ!?」

 クレシェイドが狼狽したように声を上げた。

「神の使いよ、これはどういうことだ、彼女は死んでしまったのか!?」

 クレシェイドは立ち上がり物凄い剣幕でユニコーンに詰め寄ったが、魔術師が制し、再び跪くように促した。

「彼女は死んではいません。しかし、簡単に話せば死んでいるも同じ状態です。クレシェイド、そしてグレン、あなた達にはキアロド様の御命令を言い渡します。あなた達二名は、このレイチェルを再び地上へ返すよう、その旅に同行するようにとキアロド様は仰せになられました」

「レイチェルは生き返るのだな?」

 クレシェイドが強い口調で問うと、ユニコーンは頷いた。

「彼女を再び地上へ返すのならば、どんな過酷な旅でも俺は行くぞ」

 レイチェルはその言葉を聴いて胸が熱くなった。

「神の御使いよ、私もこのクレシェイドと同じだ。友の友は私の友でもある」

 もう一人、魔術師風のグレンが答えた。

「よろしい。では、あなた方の向かう目的地は、風吹き洞窟と呼ばれるところです。そこに地上へ続く道があります。ただし、キアロド様が望むのは、このレイチェルが戻る事のみです。欲に目が眩み、一線を越える行いをすれば、レイチェル共々、揃って魂は永遠に消滅するでしょう」

 ユニコーンが言った。

「つまりは、風吹きの洞窟の入り口までが我々の許される場所ということか?」

 グレンが尋ねた。

「いいえ、細かく言えば、風吹きの洞窟の底までです。洞窟の底、つまり最下層には穴があります。それこそが天と地上を結ぶ入り口なのです」

「なるほど、よくわかった」

 グレンは頷いた。

「それで、風吹きの洞窟はどこにあるのだ?」

 クレシェイドが尋ねるとユニコーンは答えた。

「風吹きの洞窟は西に、闇の者共の住まう領土の国境を越えた更に先にあります。管理は厳重ですし、あなた方は闇の者の領土を突破しなければなりません」

「ふむ、三人ではちとキツそうだな」

 グレンが言うと、ユニコーンは言った。

「では、後程、何者かを送りましょう」

 クレシェイドとグレンは頷いた。

「さて、レイチェル。あなたとの旅はこれまでです」

 ユニコーンが言い、レイチェルは感動して言った。

「キアロド様にどうか、このレイチェルが多大なるご恩を賜り、そのことでお礼を述べていたとお伝え願えませんか?」

「伝えましょう。ただし、残念ながらあなたは既にキアロド様から破門されております。そのお力を賜ることはもう二度と無いでしょう」

 もう神官には戻れない。そういうことだ。

「わかりました」

 レイチェルは衝撃を受けながらも頷いた。ヴァルクライムのことと、こうして再び生を受ける機会を作って下さったことだけも良しとせねばならない。

 レイチェルはユニコーンの背から降りた。足元がふらつき、それをクレシェイドが支えた。

「では、あなた方の旅の幸運を祈ります。運命神サラフィー様が微笑むことを期待して、これで別れです」

「ユニコーン様、ありがとうございました」

 レイチェルが言うと、神の御使いは頷き、そして背を向けて去って行った。

「レイチェル」

 クレシェイドが名前を呼び、レイチェルはその身体に抱き付いた。そして涙を流した。そうして幾重にも心に反芻する懐かしい声と感触に、安らぎを覚え、いつしか黒いまどろみの世界へと落ちていったのだった。

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