第27話 「防衛戦」 (後編)
目が覚めると、そこは見覚えのある天井だった。
レイチェルはベッドから身を起こした。療養施設の大部屋のベッドは負傷者でいっぱいだった。
「レイチェル!」
名を呼ばれて振り返ると、紫色の髪をしたカレンが駆け付けて来た。
「目が覚めたのね!?」
カレンは嬉しそうな顔をしたがすぐに表情を険しいものへ変えた。レイチェルは悟った。まだ戦いは続いているのだと。
「どのぐらい寝てたんでしょうか?」
「一日よ」
ならばまだ戦いの形勢は何も変わっていないだろう。再び戦場へ赴かなければなるまい。足元に弩と矢筒が置いてあった。矢筒を背負い、弩を持つと、カレンは何か言いたそうだったが、一言だけ告げた。
「死なないでね、レイチェル」
レイチェルは頷き外へ出た。
昼間だった。上空から強襲してくるオークの兵達と傭兵達が戦っている。その脇を通り過ぎ、彼女は外壁へと達した。見覚えのある大きな背があった。
「バルバトスさん!」
「レイチェル、戻ってきたのか!?」
「はい!」
矢が飛んでくる中、彼女は彼女のために空けられた位置に着いた。最前列だ。敵の最前列のダークエルフの弓兵達がこちらへ向かって矢を放つのが見えている。
「弓兵が前に出ているか……」
バルバトスの思案気な声が聴こえた。そして彼は言った。
「ジュベルト、ここを頼む」
「それは良いが、どうするつもりだ?」
「敵の弓兵に強襲を仕掛ける。弓兵の数が減ればこちらの損害も同じく減るだろう。見たところダークエルフは軽装だ。それにオークほど白兵戦で苦戦する相手ではない」
バルバトスが急いで去って行くのがわかった。そして程なくして下で彼の呼ぶ声が聴こえた。
「私と共に敵を討ちに行きたい者がいれば集まってくれ!」
程なくして跳ね橋が下がるのが見え、鬨の声と共にバルバトスを先頭として歩兵達が戦場へ飛び出していった。ダークエルフの弓兵部隊が慌てて標的を変えようとしたが遅かった。こちらの歩兵部隊はダークエルフ達に斬り込むと深入りすることなく引き上げて来た。そして跳ね橋が上げられた。
「多少は敵は減っただろうか」
戦場を埋め尽くす軍勢と比較すれば本当に多少だった。だが、それでも見たところバルバトスは一人も犠牲を出さずに帰ってきたようだった。
それからも防衛戦は続いた。矢は危うく幾度もレイチェルを掠めていった。そして夜になり飛竜によるオークの強襲はなくなった。
そろそろ交代の時間だろうか。レイチェルがそう思ったとき、敵の軍勢の遥か後方で大きな炎が上がるのが見えた。
俄かに敵勢が慌ただしくなる。
「あの炎は、バルバトス、お主の仕業か?」
ジュベルト・アテジクトが尋ねる声がする。バルバトスは応じた。
「先程の強襲の際、数人を敵勢の目を掻い潜らせて外に待機させた。その者達が敵の糧秣に火をつけたのだ。どうやら上手くやってくれたようだ」
外壁上の味方から歓声が上がった。今の出来事がこちらの士気を上げさせたのだ。
「だが、兵糧はまた運ばれてくるだろうな。夜通し三日、いや知らせが行って往復六日になるか」
ジュベルト・アテジクトが言った。
そうして戦は続いた。そして四日目に、食料不足になり注意散漫なことを見抜いたバルバトスが自ら先頭となり、また強襲を仕掛けた。前衛のダークエルフ軍の多くがその刃の餌食になった。そしてバルバトスは再び颯爽と戻ってきたのであった。
「敵に兵糧が届く前に決戦を仕掛けたいところだが、数の上では圧倒的に不利だ。悔しいがこちらの援軍が合流するまで待つしかない」
バルバトスが言った。
翌日も敵の緩慢な攻撃に隙ありと見たバルバトスが飛び出した。そして三度目の戦果を上げて見せた。
「オークも弓を使えばこの戦、向こうに一気に流れがいっただろうに、どうして奴らは弓を使わないんだ?」
どこかで兵がそう口にするとバルバトスが答えた。
「オークは誇り高い。自らの手を汚さず敵の命を奪う弩弓を嫌っているのだ」
更に次の日になると、ジュベルト・アテジクトの言う通り兵糧が届いたようだった。敵は見る見るうちに息を吹き返し、再び苛烈な弓矢による攻撃が続いた。飛竜による攻撃も再開された。
レイチェルは気付いたのだが、もしも外壁を囲む堀が無ければ、昔読んだ何かの物語の様に、かぎ縄や、梯子が外壁に飛び交い、それを伝って敵が侵入を試みようとしただろう。
それから更に数日、数十日が過ぎた。こちらの兵も四千五百を切ろうかというところで、ついに兵糧が底をつきそうだという噂が飛び交った。
確かに今日の朝、支給された食料は干し肉二枚だけだった。
今度はこちらの士気が落ち始めているのをレイチェルは実感した。
すると、あの高慢な絵筆頭と大隊長クエルポが相談のもと、歩兵に配属されていた魔術師と精霊魔術師が召喚され、弓兵に交じってそれぞれ魔術で応戦を開始した。レイチェルはヴァルクライムと、ティアイエル、そして同じく弓兵部隊に配属されているはずのリルフィスの安否を気遣った。戦が始まってから仲間達が顔を合わすのは極々稀なことになっていた。
そうして数日後、ついに傭兵達は力尽きようとしていた。クエルポが演説をして奮起させようとしていたが駄目だった。レイチェルもまたふらふらで立ち上がれない状態になっていた。敵も外壁にこちらの弓兵が立たなくなったのを見ると、無駄な攻撃は止め、ただひたすら取り囲むことに専念してきた。
その時だった、物見が大声を張り上げた。
「アビオンの方に動きあり!」
まさか陥落したのだろうか。傭兵達は騒然とした。
二
バルバトスが外壁に向かうのをレイチェルは見た。
そして到達した前線基地の勇者は振り返って声を上げた。
「来たぞ! 援軍だ!」
その声にレイチェルは驚愕し、すぐに飛び上がりたいほど胸を躍らせた。
「あれはアビオンと、おそらくサグデン、バルケル、他にも合流しているな!」
バルバトスが嬉しそうに言うと傭兵達にも動きがあった。
「勝てるぞ! いや、勝つしかない! 立てる者はいるか!? 援軍と合流し、敵を討ちに行きたい者はここへ並べ!」
大隊長のクエルポが愛用の大斧を振り上げると、最後の力を振り絞るように傭兵達が次々集った。
「クエルポ、私が先頭で行こう!」
バルバトスが戻って来てそう言うと大隊長クエルポは分厚い唇を歪ませた。
「良いところを取るようですまんが、全身に流れる戦士の血が沸き立つのよ。ここはワシに譲ってくれ。そしてワシがもし死んだら、バルバトス、お主が大隊長になってくれ」
「縁起でもないようなこと言うな、クエルポ! お主以外にここの大隊長を務められる者はいないぞ!」
バルバトスが応じた。
「お主とはもっと早く仲を深めて置くべきだった、バルバトス。それに値する男だった。意地で嫉妬ばかりしていたワシを許してくれ」
「……必ず戻って来い! 信じているぞ、クエルポ!」
バルバトスの言葉に大隊長は背を向けて片手を軽く上げて応じた。
「扉を開けよ、これより出陣するぞ!」
何十日かぶりに扉が開き、跳ね橋が降ろされた。
「行くぞ、勇敢なる傭兵達よ、我について参れ!」
クエルポを先頭に傭兵部隊は出撃した。
弓兵達が慌てて外壁へ向かうと、レイチェルもその後に続いた。
ダークエルフの弓兵隊はこちらに矢を放つ暇は無かった。
アビオン方面から来るのは土煙を上げる無数の騎兵隊だった。その後をこれまた同じく数多の歩兵に輜重隊が続いている。
騎兵隊は敵勢とぶつかり、リゴ村の傭兵達もクエルポを先頭にして敵軍に衝突した。
軽装のダークエルフを前面に出していたせいか、こちらの軍勢は次々敵軍を切り捨て突破していった。だが、オークの列と衝突すると、これには進みが遅くなった。
勝ちますように、勝ちますように。レイチェルは外壁上で座り込み、そう無心に祈り始めていた。
騎兵が歩兵が、波の様に広がり敵勢を包み込んでゆく。それはまるで芸術的なものにレイチェルには見えたのだった。
そして敵が壊走して行くのが見えた。こちらの軍勢は分断の樹海の奥へ奥へ追撃を続け、そして見えなくなった。
彼らの帰りを見届けたい気持ちだったが、輜重隊が入城し、傭兵達が沸き上がっていた。
「姉ちゃん、姉ちゃん!」
サンダーが階段を上がってきた。彼もまたしばらく顔を合わせないうちに更に痩せ細っていた。
「サンダー君、どうしたの?」
「飯だよ飯! 下で飯を配ってるよ!」
途端にレイチェルは空腹なのを思い出した。
「ほら立って」
サンダーが肩を貸してくれた。
「サンダー君はどうしてそんなに元気なの?」
「俺から元気を取ったら何も残らないでしょう。それと同じで、姉ちゃんから食欲を取ったら何も残らないじゃないか」
「もう、酷いよ」
レイチェルは微笑んだ。
下では鍋が幾つも並び、煙を上げていた。
「良いか、よく聞け! 空腹なのはわかるが、一気に食べようとするなよ! 冗談ではなく身体が驚いて死んでしまうからな! わかったか!?」
傭兵達は揃って声を上げた。
久々の食事はドロドロした芋のスープだった。薄味だが塩の味を感じる。汁が喉を伝わり体の中を流れてゆくのを感じた。
そうして兵達が引き上げて来た。表に勢揃いしたのは、見事な騎兵と歩兵の面々だった。それぞれ統一された鎧兜、そして武具で武装している。
そんな中、一人の亡骸が運ばれてきた。それは先頭を切って出陣した大隊長のクエルポだった。
彼はガガンビのために御触れを出してくれた。不意に涙が溢れ出て来た。傭兵達もまた声を押し殺して偉大なる大隊長の死に嗚咽を漏らしていた。
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