第9話 「脱出」 (中編その1)

 ギラ・キュロスの剣を握り、ヴァルクライムは絶えず闇の魔力を生みながら剣と己との間を行き来させていた。

 河を背にし、葦の茂みの中に彼は佇んでいる。そしてその先に続く木々の織り成す暗い道から、仲間達が戻って来るのを待っていた。

 大地が揺れ、行く手の方角で聞いたことも無いほどの、激しい地鳴りが轟いた。彼は仲間達の安否を気遣ったが、飛び出したいのをこらえた。闇に脅かされているも同然の有様では、手助けらしいものも満足にできはしまい。むしろ逆なのだと逸る己を宥めすかした。

 その時、空気を孕む重々しい翼の音がし、尾のある巨大な影が、曇り空の彼方目指して飛び去って行くのを見た。影だったのか、それとも全身が黒一色だったのか、それは素早く雲の中へと消え去ってしまったが、しかし黒の中で唯一目立った黄色い目の軌跡を彼は確かに見た。

 彼は、鳥ではなく亜竜を想像した。中でも山岳に住むワイバーンのような亜竜は、然るべく場所に行けば出会えるほどの割りと身近な怪物達だが、それにしては身体は桁外れに大きく太かった。翼のある亜竜というわけではないな……。

「おうおう、今のはなんじゃ! ヴァル何とかとやら、お主も見たか!?」

 この度の護衛依頼の対象者が側に寄ってきた。馬のような河の精霊の背に跨り、広い流れの上に彼女はいた。

「竜かと思うが……」

 彼は己の握る剣を眺め、そうなのだろうと納得した。剣を握った時から何処かでこのような運命を予感していたようにも思えた。悲運な英雄の墓所の側で竜が現れるなど、偶然ではないはずだ。あれこそが邪悪なる竜デルザンドなのだろう。どうやって甦ったかは分からないが、オーガーどもがまた迂闊なことを仕出かしたのか、あるいは英雄キリオンの封印と連動していたのか……。いや、洞窟の方から出てきたということは、中に潜む悪党どもの仕業だろう。魔術師が関わっているという話を聞いていたが、そうなれば奴らは、邪な企みのために、必然的にその眠りを覚ましたに違いない。

 不滅の妖剣ギラ・キュロスの長い刀身は、膨れ上がる闇の結晶で溢れ埋もれていた。

 我々はこの剣を頂いた者として竜を討たねばならないだろう。

「お主もそう思うか」

 領主の伯爵の娘は、幼い表情を思慮に曇らせた。彼女にはこちらの旅の過程を話して聞かせていた。この意外にも聡明なお嬢様も、竜の出現が偶然とは思っていない様子だ。その背後から、肩の上まで水に浸かりながら、リザードマンの従者が歩んで来た。

「お嬢様、どうか向こう岸まで、お戻りになられて下さい」

 大きな蜂蜜色の瞳は、顔立ちと相俟って、今しがた頭上を過ぎたものをどうしても想像させた。

「ヴァルクライム殿?」

 不安げに、それでも気遣うように従者が名前を呼ぶ。護るべき主人の手前、こちらの顔と、闇の降り積もる剣とに警戒の視線を向けていた。

「心配いらんロブ殿、私なら正気だ。だが、お嬢様は向こうの茂みに戻っていた方が良い。先程のが戻ってくるかもしれんぞ」

 ヴァルクライムが笑いながら諭すと、従者も頷いて同調した。その時、唐突に河の馬が消え、シャロンお嬢様は浅瀬に落下してしまった。従者のロブが慌てて抱え上げ川岸に下ろした。

 精霊が消えたということは、術者の身に何かがあったか、それとも解除しても良いと判断したのか、どちらかだ。

 ライラを向かわせたとはいえ、敵が盗賊と闇の魔術師だけでは無く、竜にも関わりがあったという事実は、彼女達の無事な帰還を大いに危ぶむ材料となっていた。例え足手纏いの身でも、自ら直々に向かうことを視野に置かなければならない。無責任だが、お嬢様のことは忠実で逞しい従者がいれば心配は無い。彼ならこの樹海の中でも、アルマンへの道を必ず見付けてしまうはずだ。

 森の道から慌しい声が聞こえてきた。そして薄暗い枝葉の下から現れたのは、大勢の女達と、それに神官戦士の少年と少女、ライラに、銀色の鎧兜に身を包んだ圧倒的な巨漢……手にはその男が扱うに相応しい、大きな剣が握られている。そして銀色の鎧の男はサンダーを背負っていた。ヴァルクライムは再会できたことを喜ぼうとしたが、仲間の少年の顔色がどうにも優れない様子であることに気付き、出掛かっていた微笑みを引っ込めて一行の到着を待ち受けた。

 そんな彼に代わるように、シャロンお嬢様は葦の茂みを踏み躙りながら一行の下へと駆けつけて行った。ヴァルクライムはその様子を窺うことにした。

「皆、無事であったか!」

 見知らぬ小娘の歓迎に、女達はうんざりと言う様子で一瞥をくれただけであった。彼女達は疲れ切った顔をし、早々にその場にへたり込んだ。シャロンは肩透かしをくらったように、呆然とし、そして戦士達の方へと駆けて行った。

「あなたは、サグデン伯爵の御息女の……」

 金色の髪をした少年の神官が、浮かない顔色を僅かに驚愕させ、頭を垂れた。

「おう、お主はトッドピル家の次男のクレソナス殿じゃったな」

 シャロンが尋ねると、クレソナスは頷いた。彼は何事か挨拶を述べようとしたが、その口は震えるだけであった。お嬢様が心配したように相手の顔を覗き込んだ。

「どうしたのじゃ?」

 そして彼女は顔を上げ、巨漢に背負われたサンダーの方へと歩んで行った。

「サンダー・ランス、お主もどうしたのじゃ? 怪我をしたのか?」

 少年の顔色はとても悪かった。そして彼は何かを思い出したかのように、さめざめと無言で涙を流し始めた。ライラはその様子を曇った表情で一瞥すると、列を抜け、真っ直ぐこちらへ歩いて来た。

 何かあった。それもとても良くないことが。ヴァルクライムは覚悟を決めつつ、レイチェルの姿が無いことに気付いたのであった。

 まさか……。彼は身が凍り付くような嫌な緊張を感じた。

「ヴァルクライム、中で崩落があったのだ」

 ライラは努めるように力強い口調で言った。

「レイチェルなのか?」

 ヴァルクライムが問うと、彼女は目を伏せ頷いた。彼は久しく落胆などしたことは無かった。それは魔術師として、あるいは冒険者として、常に孤独を保ってきたからだ。

 ギルドでは顔を遇わせた出来合いの者達で依頼に赴いていた。彼はそういう意味では実に冒険者らしい、一期一会という姿勢を偶然にも貫いてきていた。それに他人とのしがらみは、自由を損なうようで面倒でもあった。同情で顔見知りに手を貸すことも多々あったが、それ以上は決して距離を縮めたりはしなかった。だからこそなのだと、彼自身も気付いた。これが大切な友人を失ったという気持ちなのだろう。だが、少年と娘のようなライラの前で、この私までもが悲しみに顔色を変えるわけにもいかない。どうすれば良い。この傷ついた二人に私はどのような声を掛けるべきなのだろうか。

 更に背後から人影が現れた。背格好がレイチェルに似ていたが、違う人間であった。少女であったが、茶色の革の外套と頭巾に身を包み、背中には弩弓を背負っている。狩人だろうか。その黒髪の少女は、草蔓で繋がれた魔術師の格好をした若い男を引き連れていた。

 周囲の人々の視線が、その魔術師の男に集った。男はそれらに圧倒され、決まり悪く目を伏せて萎縮しきっていた。こいつ程度が直にレイチェルをどうこうとしたわけでもなさそうだ。彼女の邪魔はしたかもしれないが……。すると、ライラが雷に打たれたかのように俊敏に振り返り、その男目掛けて駆け出した。彼女の手の内にある長柄の得物が青々とした葦の束を次々と引き倒し、そして力強く宙に浮いた。

「や、やめてくれ!」

 魔術師の男が悲鳴を上げてたじろいだ。

「黙れ! レイチェルの仇を討たせて貰う!」

 長柄のツルハシの切っ先が、脳天に振り下ろされようとしたが、それを止めたのはサンダーの声であった。

「待って! 殺しちゃ駄目だ!」

「サンダー、何だって!?」

 少年は泣き腫らした目を見開き、巨漢の背から降りると、ライラに近寄って行った。

「もう終わったんだよ、ライラ姉ちゃん。それに、その人は既にレイチェル姉ちゃんが許したんだ。それに、救える人は助けることができたし、お嬢様だってこうして無事で待っててくれた。次は皆でアルマンへ向かわなきゃ……。そんなのとても納得できないけど……でも行くしかないよ」

 少年の言葉を受けて、ライラは力なく膝から崩れ落ちた。彼女の膝と、手から落ちた得物が泥濘の中へと沈んだ。

「そうだな……。その通りだ。我々は行かねばならない……。嗚呼、レイチェル!」

 ライラは目に涙を滲ませ、少年を抱き締めた。そして二人は声を潜めて泣き始めた。

 巨漢の神官と、小年少女の神官が、こちらへやってきた。

 桃色の髪をした少女もまた泣いていたのだろう。涙の光る顔を上げて彼女は言った。

「レイチェルのお仲間の方ですね」

「ああ、お嬢さん。魔術師ギルド所属のヴァル・クライムだ。レイチェルのことは今聞いたところだ」

 ヴァルクライムが応じると、彼女は淡々とした声で話し始めた。アネット・ラースクリスという自分の名と、彼女とレイチェルが同郷で学友だということ、自分達がムジンリに滞在しているときに盗賊の一団に捕まったこと、そして神官ベルハルトと魔術師達が竜を造り出した事、最後にレイチェルが自分と隣の彼クレソナスを庇って土砂と落石の下敷きになったことを、彼女は涙に負けじとしっかりとした顔つきで健気に話していた。

「私の力が及ばず……」

 そう言ったのはクレソナスと呼ばれた神官の少年であった。ヴァルクライムは首を横に振り、労わりを籠めてその謝罪をすぐに制した。命を捨てて誰かを庇うだなんて、考えてみれば、あのレイチェルが一番やりそうなことではないか。彼女はそれで満足だったのだ。友人と、その仲間が無事に生き延びてくれて、そうだとも、レイチェルにとってはそれこそが後悔の無い行いだったのだ。

「力が及ばなかったという点では我々も同じだ。こうして今一歩早く駆け付けて来ることができれば……」

 何かが覆ったのかもしれない。大切な温かな何かを、今一度この手に掴むことができたのかもしれない。

「シスターラースクリス、クレソナス、女性達の具合を見てやってくれ。しばし、ここで休息を取ろう」

 銀色の鎧の巨漢が彼女達を促した。二人は力なく一礼すると去って行った。相手の男は、鋭い双眸でこちらを見下ろした。

「何故そうまでしてその剣に執着するのだ? 貴殿の身体は闇に蝕まれる寸前というところだが、実に巧妙にそれを回避しているようだ。神官としては、そこまでして、そのような剣を持ち出す理由をまずは問わねばなるまい」

「これは、この樹海を巡る過程で偶然手に入れたものだ。ギラ・キュロスの剣という。持ち主はキリオンというらしい。そちらに聞き覚えはあるか?」

 ヴァルクライムの問いに、相手は頭を横に振った。彼は話を続けた。キリオンの眠る墓と、剣が本来その隣に納められていたこと、キリオンと邪悪なる竜デルザンドの因縁のこと、おそらくオーガーが墓地を荒らし封印を解いたこと、現世に現れたキリオンの悲運な姿のこと、神官戦士同盟が記したルーン文字のことなどを。

「賊が言っていたことを漏れ聞いたが、デルザンドとは間違いなくあの竜のことだろう。その鱗は、我が剣にして獣の神器、飛翼の爪でさえ簡単には貫き通せなかった。しかし、貴殿は邪竜デルザンド復活の事実を、前以って知っていた訳ではあるまい。こそ泥の真似事を命懸けでやるとも思えぬし、その剣を手にしなければならない、込み入った訳があるのだろう?」

「いかにも。だが、今は、私の友人の清き悲願を晴らす為には、どうしてもこのギラ・キュロスが必要だとしか言うつもりは無い。もっとも、そちらの権限で取り上げるというなら、我らに逆らう余地は無いが……」

「貴殿の言う英雄キリオンのことは本当のことなのだろう。そうだとすれば、改めて塚を築き、手厚く供養することは教会と神官の役目となる。つまりはその遺品の所有権も、察しの通り我らにこそ相応しいものだ」

 二人は睨み合った。しかし、ヴァルクライムは相手の表情に、無骨さの中に滲み出るような僅かな温かさを見て取った。そしてこちらが彼にそれを頼って、請うべき姿勢をみせるべきなのだとも感付いた。この男は、我らを信頼してくれている。だが、役目ゆえあくまで身勝手なままでの黙認はできぬということだ。

「神官殿、訳はあれ以上は話せぬが、私の友人にはあれが是非とも必要だ。彼と大切な連れ合いの闇を裂くには、このギラ・キュロスほど打って付けのものはないのだ。おそらく大陸中を巡っても、それに代わるものなど到底見付かるまい。神官殿、どうすれば良いだろうか」

「魔術師ギルドのクライム殿よ。その剣を手にする者は、英雄キリオンの意思を引き継がねばならないだろう。それはこの大空の何処かを行く邪悪なる竜デルザンドを討つことに他ならぬ。邪悪に対するは、全ての聖なる教会の役目ゆえ、その名の下に貴殿らが討伐の任を引き受けるというのならば、我々聖なる教会一同は、速やかにその剣を貴殿らに貸し与えるだろう。そして、万一貴殿の友人がこの任を断るというならば、この私自身がその剣を手にし、邪竜討伐に赴くつもりだ。如何する?」

「その任、謹んでお受け致したく思う」

「ならば、討伐した暁には、彼の竜の身体の一部を、最寄の獣神の教会に持って参るよう。それで貴殿らの任務を終わりと認めよう」

「承知致した」

 ヴァルクライムが畏まって答えると、相手は俄かに笑みを見せた。愛と労わりに溢れた双眸が射抜くようにこちらを見下ろし、戸惑わせた。

 相手は低い声で短く魔術の旋律を詠んだ。そして浄化の光りの宿った大きな手を伸ばし、膨張し闇の塊のようになった妖剣の刀身を握り締めた。

「竜とは、極端に人里と離れた場所を好んで身を置くものだ。剣の闇を補填する猶予はそれまでに充分にあるだろう」

 そして神官は後ろを一瞥し、横目で促した。

「あの二人は貴殿を必要としているはずだ。行ってやりなさい」

 ライラとサンダーは、今も抱き合って悲しみに暮れていた。ヴァルクライムは已む無く傍観者に徹するしか無かったとはいえ、二人の姿を目にし、胸が潰れるほどの罪悪感をようやく覚えた。神官がヴァルクライムの手から剣を抜き取り足元に置いた。ギラ・キュロスは中和され僅かに蒸気を立ち昇らせている。闇は磨り減っていたが、それでも尚、強大なものであった。

 ヴァルクライムは神官に感謝の一瞥を向けると、彼の前を過ぎ去り、二人の愛すべき仲間の下へと足を進めた。二人がゆっくりと涙に濡れた真っ赤な目を上げた。二人はまだまだ泣き足りないように彼には思えた。

「今は悲しむべき時だ。ライラ、少年、レイチェルの嬢ちゃんのために共に泣こう」

 彼は感じるがまま素直に述べていた。二人の若い身体が、温もりと慰めを求めてその胸に飛び込んできた。



 銀色の兜の下で、司祭であり神官戦士のエルドは、魔術師クライムとの一件を今一度顧みていた。

 相手の要望に対する己の決断が甘かったとは思わなかった。そう結論付けたが、結局は情に流されているの認めないわけにはいかなかった。

 シスターシルヴァンスと、サンダー少年は、文字通りその身を血みどろに疲弊させてまでも人々のために戦った。そしてシスターシルヴァンスはその命を散らせることとなった。土砂と落石は、魔法の扉を押し破り、新たな崩落を引き起こした。もはや、洞窟はその入り口も崩れ落ちてしまっていた。これで良かったのだという己がいる。シスターシルヴァンスは、自分の亡骸を探すために、危険な場所に後戻りをして欲しいとは願わないはずだ。たった三人で、多くの人々のために死地に踏み込み、そして……。

 エルドは百太刀以上を掛けて、ようやく邪悪なる竜の脇腹に剣を突き刺すことができた。しかし、半ば連れ去られるように、竜と共に飛翔し、四本角の黒い頭部が、天井を何度も打つ事態を止められず、惨事を引き起こしてしまった。彼はそう感じ、深く後悔していた。広間中に砂と岩が降り注ぎ、アネットとクレソナスが、シスターシルヴァンスと共に埋もれ、そして彼らが再び姿を見せたとき、その頭上で大きな天井が岩石となって剥がれ落ちようとしていた。こちらが声を掛ける前に、土砂の中からシスターシルヴァンスの影が起き上がり、そして二人を庇うために突き飛ばした。

 気高き娘だ。その身分こそまだ見習いではあるが、同じような窮地に際し、心身共に鍛えられたという神官達でさえも決断を下すには恐れ慄き、そして悔やむ結果を目の当たりにするものだ。彼らは己の戸惑いが招いた有様に衝撃を受け、神官という役職に初めて重責を感じ、時には職を辞し、いずれも一生を懺悔の道に生きてゆく。このように、神官が夢見、教えられ、目指す「人々のために」という名目を、他人に訪れた突発的な窮地を前に、その命を犠牲にしてまで達成した者は、そう多くは無い。

 アネットとクレソナスを救うために、シスターシルヴァンスがやったことはまさしく鑑と言える。そして、軽率だったこの私はその逆だ。後悔し、懺悔しこれからを生きて行く。未来ある素晴らしい神官の一人を失う結末を招いてしまったのだから……。

 彼は神器、飛翼の爪を見下ろした。刃こぼれを知らぬ巨大な鉄色の表面に、己の顔が映った。苦悶している。何を悩んでいるのだ。偽りの声が自問する。当然、己自身のこと、答えは分かっていた。高位の選ばれし者を示すこの神器を返却し、神官を辞すのだ。そして己の中に潜んでいた全ての慢心を吐き出し、凝視し、悔いて生きて行くのだ。

 シスターシルヴァンスの仲間の冒険者達が、こちらに歩んで来た。魔術師のクライムを真ん中にし、彼の両腕が労わるようにそれぞれの若い二人の肩を包み、ゆっくりと前へと連れ立っている。

 そして魔術師は二人をそこに置き、彼だけこちらへ歩んで来た。狼を思わせるような鋭利な雰囲気の顔が、真っ直ぐこちらを見ている。程なくして相手は言った。

「待たせてしまった。我々ならどうにか落ち着いたつもりだ。神官殿、色々と感謝する」

「いや、礼を言われることでもない。落ち着いたのならそれはよかった」

 エルドは考えていたことを振り払って応じた。魔術師は頭を振って言った。

「彼女の勇敢な行為を、各々の裁量で糧にして生きて行くべきだ。我ら三人の思いはそれで纏まった。己が強く生きること、人を許し信じて道を示してやること。嬢ちゃんは、あの若い我が同胞の走った過ちを許したそうだ。それを踏まえて、言葉にすれば、今はこんなところだと我々は思っている」

「成る程」

 エルドも頷いた。シスターシルヴァンスの死に際して、それは少なくとも複数の人々の心を清らかなものにしてくれたということなのかもしれない。この己自身も、その中の一人だと願いたい。彼女の死に何も感じないなど、歳を重ねてゆく過程でそんな冷徹にものを見るような神官に成り下がったとは思いたくは無い。私もまた、進むべきなのだ。彼女の見せてくれた思いを糧として……。

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